第336話掴みたかった手
男は何も持っていなかった。
親も──。
家族も──。
仲間も──。
友人でさえも──。
男の最初の記憶は四角い部屋の中。
親と呼ばれる者から与えられるのは罵りの言葉と痛みのみ。
そんな奴隷のように扱われる日々の中、男は何も与えられる事無くふとした事で殺されそうになり、抵抗している内に逆に殺してしまった。
元々重度のアルコール中毒だった事が災いし子供の抵抗ですらよろけ頭を打ち付けた事が原因だった。
常に罵りの言葉と痛みのみを与えて来る絶対的な人間の呆気ない幕切れ。
それは男に恐怖でも恐れでもなく命の軽さを教え絶対的な者に勝つ為の行為、すなわち傷付けられる前に傷付ける事を教えた。
それからの男は自由だった。
盗み、傷付け、奪い、時には失敗もしたが男はその度に考え、問題を洗い出し一つずつ問題をこなしクリアしていった。いつしか周りにはそんな自分に追従する者達が現れ群れになった。
しかし、そんな子供の行為は容易く大人の組織に潰された。
男の組織を潰したのはその街を根城にする非合法な者達だった。だが、大人達は知識も無く周りをまとめ、自分達を動かすまでになった男の事を高く買い自分達の組織に引き入れた。
そして男は再び使われる側になった。
そこで男は様々な事を学び、組織でも順調に上へと登り一目置かれる存在へとなっていった。
だが、そんな男の人生は簡単に組織に裏切られ呆気なく終わった。
簡単な仕事だった。
後から思えばそれは不自然な程
だが目的の場所に着き、部屋へ入った瞬間爆風に襲われ体を打ち付けられた。
男の居る組織には敵対する組織があった。
しかし、その敵対は戦争ではなく理性的なゲームだった。
戦争になれば双方の被害は甚大なものになってしまう。それ故のルールのある抗争。それがこの街のもう1つのルールだった。
だがある時、双方にとってとても具合の悪い不都合な事が起こった。
それはルールでは対処出来ないもの、だからこそ男の組織は内外共に知れ渡った男を相手の組織に差し出したのだ。
衝撃による痛みと体が焼かれる痛み、その二つに苛まれながらその事に思い至った男は合意の上の犠牲者にされたのだと理解した。
そして増悪すら抱く事無くただただ諦め男の意識はそこで途絶えた。
…………声が聞こえた。
自分の犯してきた罪を責め立てるように感じた痛みはいつの間にか消えていた。
目を開けるとそこには見知らぬ者達が居た。
言葉は意味を成さず、意思の疎通も出来ない。
しかし、何故か分からないがどうやら自分が人と似た、人ならざる者達の赤子となったのだという事だけは理解出来た。
「貴方の名前はガダルよ」
男はガダルと名付けられ、成長と共に自分達の種族が魔族と言われるものだという事、生活、そしてこの世界の事を学んだ。
そしてガダルは前世を通して世界で初めて愛情と呼ばれるものに触れた。
前世ですら触れた事の無かったそれは、ガダルに心地良さとくすぐったさを与えたがそれは悪いものではなかった。
ガダルの産まれた村は小さなものだった。
人口も少なく、周囲の魔物を狩り食料を調達出来る者も少ない村。しかし、それでもさほど困る事は無い程の規模の村だった。
魔族の中でも特に高い力を持っていたガダルは、周囲の魔物を狩りながら食料を調達する役目を果たしていた。
平穏な日々。前世では考えた事も無いような幸福で退屈な平穏な暮らし。しかしそれはずっと続くものではなかった。
村は魔族の領域を覆う結界の近くにあった、その為今までも小さな小競り合いが近くで起こった事は何度もあった。しかし今回は人間と魔族の大きな争いに巻き込まれた。
数人と共に食料を調達しに出掛けていたガダルにそれを止める手立ては無かった。結果として護る物のほぼ全てを奪われたガダルは人間と魔族両方を憎んだ。
憎しみを抱きながらも生き永らえたガダルは力や技を身に付けやがてウィルドの部下になる。
志を同じくする者、暴れたいだけの者、人間を苦しめたい者、様々な者達を併合しながら勢力を伸ばした。そしてガダル達はフリスク地方を魔族の……いや、ウィルドの支配下に置く事に決めたのだ。
フリスク地方を選んだ理由は幾つかある。
1つは他の魔王の支配下ではない事だ。
保有する魔力は強いがまだ若いウィルドは、魔王に匹敵する力を持ってはいても、老獪な他の魔王には手が出せない。
別段魔王が全てを支配している訳ではないが、それでも封印されている土地縄張りというものは自然と決まっている。
それは封印が弱まり結界の外へと魔族が出ても変わらない。数多居る魔王やそれに与する魔族それらを悪戯に刺激せずに勢力を拡大するには都合が良かったのだ。
他種族に比べて人の寿命は短い。
過去勇者の力により封印された為に、他の種族と違い今の人間は魔族の力を知らない者が多い。それ故に組みやすいとこの地を候補に決めたのだ。
しかし、人間には勇者召喚という奥の手がある。
それを知っていた魔族は各地に人間の振りをした魔族を潜ませ、フリスク地方に恐怖を根付かせた。更には王都へも魔族を送り王を操るまでの地位にも就かせ計画は滞り無く進んでいた。
人間を裏から支配する。
一見消極的なものだが、魔族全体の目的とは違う
エルム村でグルドが負けたという報告を聞くまでは──
グルドは決して強くはなかったがそれでも辺境の冒険者に負ける程弱くもなかった。それなのに負けたという報告を聞いたガダルは興味を持って密かに調べさせた。
グルドとの詳細な戦闘の報告を聞きハクアもまた自分と同じ、転生者ではないか? という結論にこの時至った。
ユルグ村での接触。そして戯れの質問の答えで益々興味が湧き、遂にはグロス、カーチスカ、マハドルを倒したハクアを手に入れるのも良いかと思った。
攫ってきたハクアと話をして更に興味が湧いた。
ダンジョンでの様子を見て自分とは違う技術、考えが根本にある為の生存性である事もその一つだ。
しかし、それでも手に入らないのであれば──と、ハクアの前へとやって来た。
最後の通告。
聞き入れる訳は無いと分かっていたがそれでも本心からハクアを欲した。
だが、答えはやはりNOだった。
そこで終わる筈だった。
しかし、「お前の目的はこっちでは叶わないものなのか」事もあろうにそう勧誘して来たハクア。
そしてその言葉に心が揺れた瞬間、ガダルはハクアを拒絶した。
それはその手を取ってしまいそうだから。
それはお前ならあるいはと思っていたから。
それは自分が選ぶ事の出来なかった道だから。
もっと前に。
もっと早く。
敵としてではなく傍に居たなら──。
だが、その思いは最早届かない。
遅すぎた。
だからガダルはこう答えた。
「悪いがその段階はとうに過ぎている」
有り得たかもしれない、共に並び立つ届かない未来を一瞬幻視しながら、話し初めからずっと差し出された、掴みたかった手を打ち払った。
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