突然の再会

「ヤベえ……迷った」


 人混みの中、甘酒入りの紙コップを両手に俺は一人ボソリと呟いた。


 現在周囲に親父と翔はいない。甘酒を買ったところまでは一緒だったのだが、舞華たちのところに戻る途中ではぐれてしまった。


 その後も人の流れに飲み込まれて抗うこともできず、気が付けば現在地すらも分からない状態だ。連絡を取ろうにも、スマホは電源切れ。八方塞がりとはこのことか。


 舞華にあれだけ言われてたのにこの様。自分でもバカなんじゃないかと呆れてしまう。もう舞華に怒られるのは確定だ。想像しただけで鬱になってくる。


 何かこのまま家に帰りたくなってくる。……もちろん本当に帰ったりはしないが。


 とはいえ、このまま何もせずにいるわけにもいかない。とりあえず親父たちを探してみるとするか。


 まずは自分の現在地を把握しておきたいので、一旦この人混みを抜けよう。俺は、甘酒を溢してしまわないよう慎重に人混みをかき分けていく。


 しばらくすると、人の輪から離れた場所に出ることができた。すし詰め状態から抜け出せたので、解放感が凄まじい。


「ここは……」


 現在地を把握しようと周囲を見回してみるが、ここは見覚えがない。これじゃあ、現在地なんて分かるわけない。


 こうなったら誰か近くの人に訊いてみようか。そう考え始めたところで、不意に後ろから誰かがぶつかってきて持っていた甘酒を片方落としてしまった。


「ご、ごめんなさい! 大丈夫ですか!?」


「ああ、大丈夫で――」


 振り向いた先には一人の少女がいた。桜色の鮮やかな着物を着ている。


 そんな彼女を見て、俺は言葉に詰まってしまった。なぜなら俺の目の前にいた少女は、


「し、慎吾っち……?」


「澪……」


 最後に会ったのは二十六日のデパートだったか。まだ一週間も経ってないのに、随分と久しぶりに顔を見た気がする。


 それに今日は着物のせいか、普段の澪とは全然雰囲気が違う。正直……とても似合ってる。不覚にも、胸が高鳴ってしまった。


 初詣に来ていることは翔から聞いて知っていたが、まさかここで会えると思ってはいなかったので、この偶然は嬉しい誤算だ。


 想定外ではあったが、今ここで俺の想いを伝えよう。


「澪、お前に話があるんだ。実は――」


「…………ッ」


 俺の言葉にビクリと肩を震わせたかと思えば突然くるりと反転して、その場を走り去ろうとする澪。その動きは、以前デパートで俺から逃げ出した時を彷彿とさせるようなものだった。


 以前の俺はいきなりの澪の逃亡に驚き、何もできなかった。しかし今回は違う。俺はもうあの時のようにウジウジして、立ち尽くして何もできないでいるのはごめんだ。


「待ってくれ、澪!」


 走り去ろうとした澪の細い腕を掴む。決して離さないよう強く、強く握る。


「い、痛いよ、慎吾っち……」


「わ、悪い……」


 顔をこちらに向けないまま放たれた澪の苦悶の声に、思わず謝罪する。


 流石に強く握りすぎていたようだ。少し力を緩める。もちろん逃げられないよう、腕はしっかりと掴んだままだが。


「……澪、少しでいいから話さないか?」


「……話? 私は慎吾っちに話すことなんて、何もないよ」


「お前になくても俺にはあるんだ。頼む、大事な話なんだ。少しだけでいいから、俺の話を聞いてくれ」


 真摯に頼み込む。俺には、これ以外に澪をこの場に留める方法はない。


 澪は俺の言葉に少しだけ身体を震わせた後、一度溜息を漏らした。


「……分かったよ、慎吾っち。話を聞いて上げるから、手を離して……」


「あ、ああ……」


 もう少し抵抗すると思っていたが、想像していたより随分とあっさり大人しくなった。


 まさか逃げられたりしないかと警戒しながらも、言われた通り手を離す。


 澪は特に逃げ出すような真似はせず、こちらに振り返った。


「そ、それで話って何? 私、今一緒に来てたクラスメイトのみんなとはぐれちゃったから、早く合流したいんだけど……」


 どうして一人でいたのかと思ったが、そういうことか。つまりこいつも翔と同じ状態というわけだ。


「それは俺も後で付き合ってやるから、とりあえず話はどこか落ち着ける場所でしないか? ここは少し騒がしいし」


 人混みからは離れているが、ここは大事な話をするには少し騒がしい。できれば、移動しておきたい。


 俺の提案に澪は言葉少なく頷いた。


 ――それから、喧騒を避けるように歩くこと数分。人のいない静かな場所に着いた。


 ここならいいだろう。そう思って口を開こうとしたが、そこで澪が微かに震えてることに気付いた。


 今日の澪は着物を着ている。着物の防寒性能がどれほどのものかは知らないが、真冬のこの寒さを凌げるものではないだろうことは、男の俺でも分かる。


 このままじゃ、話に集中できないかもしれない。それは俺も困る。


「澪、寒いならこれ飲むか? もうかなり冷めてヌルくなってるけど」


 未だに持っていた甘酒を澪に差し出した。ほとんど冷めたヌルくなっているが、まあないよりはマシだろう。


「え? あ、ありがとう……。で、でもこれ、慎吾っちが口を付けたんじゃ……」


「安心しろ、まだ俺は飲んでない。俺が口を付けたやつなんて、澪も嫌だろ?」


「そ、そっか。そうだよね……うん、ありがとう慎吾っち。甘酒、ありがたくもらうね」


「…………?」


 なぜか澪がガクリと肩を落とした。俺、何か余計なこと言ったか?


「ん……甘酒、冷えても美味しいね」


 柔らかく微笑む澪。思えば、こんな表情の澪を目にするのはいつぶりだろう?


 文化祭の時以来、俺は澪が笑っているところなんて一度も見れなかった。それが今こうして見れてることに、込み上げてくるものを感じた。


「し、慎吾っち? そんなにジっと見られると恥ずかしいんだけど……」


「わ、悪い……」


 何やってるんだ、俺。澪に見惚れてる場合じゃないだろ。


「……なあ澪、こうして二人きりになるのは結構久しぶりだよな」


「……ッ」


 幸せそうな表情で甘酒を飲んでいた澪の表情が、一気に曇る。


「それに二人でまともに話すのも久しぶりだ」


「そう……だね」


 歯切れの悪い返事。きっと、澪はこの話をあまりしたくないのだろう。


 当然だ。今の俺の行いは、下手をすると澪の傷口に塩を塗る行為になりかねない。


 けれど俺はやめない。今更怖じけづくわけにはいかない。


「俺さ、からお前が側にいないのが、その……寂しかったんだ」


「え……?」


「学校でも同じ教室にいたのに、遠くにいるみたいでずっと寂しかった。俺にとって、お前はいるのが当たり前の存在なんだって初めて思い知ったよ」


 澪がいないだけで、こんな気持ちになるとは思わなかった。


 澪がいないだけで、こんなに辛いとは思わなかった。


「お前の気持ちを受け入れなかったのに、虫のいい話だとは思う。けどそれでも俺は、お前と前みたいな関係になりたいと思っている」


「…………!」


 澪が持っていた甘酒入りの紙コップを落とした。


 まだ残っていた中身が地面にぶちまけられるが、澪はそちらに目をくれることもなく、ジっと俺のことを見つめてくる。


「……ダメか、澪?」


 俺も澪を見つめ返す。


 どれほどの間そうしていたか。一瞬にも永遠にも感じられるような沈黙の中、澪が口を開く。


「――無理だよ、慎吾っち」


 ――残酷な拒絶の言葉が、俺の胸を穿った。

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