新年
悪夢から覚めた俺は、いつも通りリビングに向かう。
すると足音で察したのか、義母さんが顔だけ台所から出した。
「あら慎吾君。元旦なのに早起きなんて、偉いですね」
「まあ、どうせ舞華が起きてくるし、おせちの準備もあるから……」
「もう、あの子は相変わらず慎吾君に甘えてますね。もし辛いようなら、私からあの子に言ってあげましょうか?」
「いやいいよ……」
魅力的な提案ではあるが、仮に義母さんが言ってやめたとしても後が怖い。
「それより義母さん。ちょっと話があるんだけどいいか?」
「構いませんよ?」
頷き、義母さんは台所から出て俺の前まで来る。
「ええと、その……とりあえず、色々と心配かけてごめん」
深々と頭を下げる。
別に親父に言われたからというわけではないが、義母さんに心配をかけたのは事実だ。
だから、この謝罪は一種のケジメだ。
「頭を上げてください、慎吾君」
頭を下げたまま数秒後。義母さんが普段と変わらぬ声音でそう言ったので、素直に従う。
すると俺の視界に、いつも通りの柔和な笑みを浮かべた義母さんが映った。
「もう、そんなことで謝る必要はないんですよ? 私は家族として当たり前のことをしただけなんですから」
「いやでも、心配させたのは事実だし……」
「構いませんよ。むしろ私は、母親らしいことができて嬉しいくらいだったんですよ?」
義母さんは笑みを深める。
「あまり家にいられることがないので、こうして頼ってもらえると、親としてはとても嬉しいです。それにその様子だと、慎吾君の悩みは晴れたみたいですね?」
「うん、まあ……」
「それは良かったです」
俺の悩みが晴れたことを義母さんは自分のことのように喜んでくれるのだった。
――それからしばらく、おせちの準備を進めた俺と義母さんだったが、昼になる前に全て終わった。
「やっと終わったか……」
「そうですね。久しぶりに作りましたが、結構大変ですね」
リビングのソファーに二人で座り、しみじみと呟く。
作るのにそれなりに時間はかかってしまったが、その分味には自信がある。夜に食べるのが楽しみだ。
自分の料理の出来映えに満足していると、二階からドタドタと騒がしい音が近づいてくるのが聞こえてきた。
恐らく音の発生源は親父だろう。ウチでこんなに喧しいのは親父以外に考えられない。
いい年した大人なんだから、もう少し落ち着いてほしい。
無理であることは理解しつつもそんなことを願っていると、リビングのドアが勢いよく開かれた。
「明けましておめでとう、霞さん! 舞華ちゃん!」
ドアの向こうから現れたのは予想通り、親父だった。昨日は酒を飲んでから風呂に入ってのぼせていたくせに、今はピンピンしている。
「ん……? おい慎吾、舞華ちゃんはどうした?」
「朝食を摂った後、部屋に戻ったよ」
「そうか。なら舞華ちゃんにも新年の挨拶をしてくるとするか」
「親父、さっきみたいな騒がしい挨拶はやめとけよ。舞華に嫌われるぞ?」
「はあ? お前は何言ってるんだよ? 舞華ちゃんが俺を嫌いになるわけないだろ?」
さも当然のように言い切る親父。いったいその自信はどこからくるのだろうか?
まあ、そこまで自信満々ならあえて止めるつもりはない。存分に嫌われてくるといい。
舞華の部屋に向かおうと背を向ける親父だったが、その動きが不意に止まり、再びこちらに向き直った。
「ああ、そうだ。慎吾、お前午後用事はあるか――って、そんなものあるわけないか。お前友達いないしな」
「新年早々ケンカ売ってんのか?」
せっかく数日前に大掃除で綺麗にした我が家を親父の血で汚すのは嫌だが、仕方ない。ケンカを売ってきたのは親父なのだから。
「違う違う。この後みんなで初詣に行こうと思ったから、予定を訊いただけだ」
「初詣? 何でまたいきなり……」
唐突な親父の発言に首を傾げる。
「久しぶりに日本に戻ったんだ。せっかくだから、思いで作りに初詣に行きたいと思ってな」
「……初詣に行きたい理由は分かった。けど、どこの神社に行くつもりなんだよ? 今日はどこもかなり混んでるぞ?」
家の近くに神社はないので、行くなら車か電車が必要になる。
わざわざ新年から、人の波でごった返すような場所に行くのは正直面倒臭い。ここ数日は色々あってあまり休む暇がなかったので、できれば今日はゆっくりしたいところだ。
「だからいいんじゃねえか。無駄に長い列に並んで、無駄に長い時間待ち続けてやることは賽銭入れて両手を合わせるだけ。初詣っていうのは、そういうのも含めて楽しむものだろ?」
「いや、それは何か間違ってないか……?」
というか、今の話を聞いて余計に行く気が失せたぞ。
「まあとにかくだ。霞さんも行きたいと言ってるし、後で舞華ちゃんも誘うつもりだから、何も予定がないならお前も来い」
「えー……」
思わず顔をしかめてしまう。
何が悲しくて、初詣なんてクソ面倒臭いことをしなくちゃいけないんだ? 俺は暖房の利いた部屋でダラダラしたい。
「……慎吾君、もしかして初詣に行くのは嫌ですか?」
「え? いや、その……」
隣に座っていた義母さんが、瞳を潤ませながら悲しげな声音で訊ねてきたため、戸惑ってしまう。
「私はただ、たまにしか会うことができないから、こういった機会に家族の思い出を作りたいと思っていただけなんですが……慎吾君は嫌なんですね。残念ですが、初詣は慎吾君を除いた三人だけで――」
「わ、分かった分かった! 行くよ、行かせてもらいますよ!」
半ば叫ぶような形で、初詣に行くことを了承する。
義母さんにここまで言われて断ることができるほど、俺は冷徹な人間ではない。
「慎吾君……!」
歓喜の笑みを作る義母さん。先程までの潤んだ瞳など、まるで嘘のような笑みだ。
……まさか、さっきのは演技なんてことないよな? いや、義母さんに限ってそんなことあるわけない。きっと俺の気のせいだ。
「それじゃあ、昼食を食べてから早速準備をしましょう。初詣、楽しみですね、慎吾君?」
義母さんは言葉通り、楽しそうな声音でそんなことを言うのだった。
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