大晦日

 澪と偶然会ってからの数日間、俺はずっと澪のことを考えていた。


 どうしてあの時澪は逃げたのか。今の澪は俺をどう思っているのか。そんな答えのない疑問ばかりが脳裏をよぎる。


 それが意味のない行為だと頭では理解しているが、考えることをやめられない。


 そんな感じで悶々としながら両親のいる日々を過ごしていた俺だが、当然ながら答えが出るはずもなく、こうして十二月三十一日――大晦日を迎えてしまった。


 この数日間は色々なことがあった。例えば普段と比べて綺麗な我が家。


 これは昨日した年末の大掃除の結果だ。本当は親父たちの休みが終わってから一人でするつもりだったのだが、義母さんが人手の多い今の内にやろうと言い出した。


 せっかくの休みに悪いとは思ったが、こういった時の義母さんは押しが強くて断ることができなかった。


 親父が「舞華ちゃんの部屋を隅々まで掃除したい!」などと抜かした時は眩暈を覚えたが、義母さんが何事か耳打ちすると借りてきたネコのように大人しくなった。


 当初こそ親父のクソウザい戯言があったが、その後は特に何の問題もなく掃除は終了した。


 そしていつも以上に綺麗になった家で、俺たち甘木一家は大晦日を過ごしていた。


 時刻は午後七時。リビングから聞こえてくるテレビ番組の音を聞きながら、俺は台所で大晦日ならではの料理――年越し蕎麦の準備をしていた。


 まあ準備しているといっても、蕎麦は市販のものだ。流石に手打ちは無理だが。


 まあ親父たちもいるから、エビの天ぷらだけは頑張って手作りにするつもりだ。


「ふふふ。慎吾君は本当に料理が上達しましたね。もう私よりも上手いんじゃありませんか?」


 天ぷらを揚げる準備を進めていると、隣で手伝いをしてくれている義母さんがそんなことを言ってきた。


「昨日の大掃除の時も思っていましたが、家事の手際がかなりいいですね」


「そ、そうか?」


 普段あまり誉めてもらえないせいか、こうして称賛の言葉を送られるのは照れてしまう。


「今の時代、家事のできる男の子はポイント高いですよ? 周りの女性が放っておきません。例えば先日話していた澪さんとか……」


「その話、まだするの?」


「あら、いけませんか? 初めて聞く慎吾君の浮わついた話ですから、私もっと聞きたいんですよ。舞華は昔からああいう性格ですから、こういう話はできませんし」


 ……舞華がヤンデレになるほど好きな奴がいるって教えたら、義母さんはどんな反応をするのだろう?


 少し気になったが、そんなことをしても誰も幸せにならないと考え、口を閉ざす。


「それで結局のところ、慎吾君は澪さんのことをどう思っているんですか? 誰にも言わないから教えてくださいよ」


「いやだから何度も言ってるだろ? あいつとは、ただのクラスメイト以外の何ものでもないって。いい加減しつこいぞ」


 思わず苛立ち混じりの声音になってしまうが、訂正するつもりはない。こういった話題を今後はさせないようにするためにも、ここはあえて強めに言おう。


 しかし義母さんは特に臆した様子もなく、口を開く。


「そうなんですか? 慎吾君、この前の買い出しからずっと澪さんのことで悩んでるようでしたので、てっきり特別な仲かと思ったんですけど……」


「…………!?」


「あら、図星みたいですね」


 俺の反応を目にして得意げな顔になる義母さん。


「……どうして俺が悩んでるなんて分かったんだよ?」


「母親ですから」


 相変わらずきっぱりと言い切る義母さん。


 理由にもならないような言葉なのに、不思議なことに義母さんが言うと妙な説得力がある。


「それに気付いてたのは私だけじゃありませんよ? あの人も、ここ数日様子がおかしい慎吾君のことを心配してましたし」


「親父が?」


 昨日の大掃除で、舞華の部屋を掃除できなかったからってガチ泣きしていたあのおっさんが? 何かの冗談だろ?


 チラリとリビングにいる親父に視線を向ける。


 現在親父は、大晦日の特番を見て爆笑していた。とてもではないが、義母さんの言うように俺を心配しているとは思えない。


「……義母さん、親父が俺のことを心配してたなんて、きっと何かの間違いだろ」


「信じられませんか?」


「ああ、いくら義母さんの言うことだからって信じられないな。そんなのを信じるくらいなら、政治家の掲げる公約を信じる方がまだ現実味がある」


 いや、流石に言いすぎか? 親父なんかと比べるなんて、世の政治家たちに失礼かもしれないな。


「ふふふ」


「……何笑ってるんだよ、義母さん?」


「いえ、相変わらず仲がいいと思いまして」


 口元に手を当ててクスクスと笑みを漏らす義母さん。


「そうやって相手のことを好き勝手言えるのは、仲がいい証ですよ。ケンカするほど仲がいいとも言いますし」


「むう……」


 反論の言葉が思いつかず、唸るしかない。


 その後、俺と義母さんは他愛ない話をしながら夕食を作り終えた。そして俺が親父と舞華を呼ぼうと台所を出ようとしたところで、


「慎吾君」


 義母さんがいつもより優しい声音で俺の名前を呼んだ。


 何なのだろう? と疑問に思いながら振り返ると、そこには先程と変わらず柔和な笑みを浮かべた義母さんが立っていた。


「慎吾君、もし辛いことがあったら私たちに相談してくれてもいいんですよ? だって私たちは――家族なんですから」


 優しげな声のまま発せられた言葉が、じわりと胸に染みる。


 思わず泣きそうになってしまうが、流石にそれは恥ずかしいので我慢だ。その代わりに、


「……ありがとう、義母さん」


 俺は謝意を口にするのだった。


 

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