戸惑い

「はあ、はあ……!」


 息を荒くしながら、私は食品コーナーを駆け抜ける。


 時折他のお客さんとぶつかったりしたけど、気にしてる余裕なんかない。ただひたすら走り続ける。


 どこまで走るかなんて考えてない。ただ慎吾っちから少しでも遠くへという思いだけで、私は足を限界まで酷使する。


「こ、ここまで来れば大丈夫かな……?」


 そしてデパートを出たところで限界が来た私は、そう呟きながら後ろを振り返る。


 あと一週間もしない内に年明けということもあってか、デパートはたくさんの人が出入りしてるけど、慎吾っちの姿はない。


「はあ……」


 慎吾っちの姿がないことを確認したと同時に、私は息を吐きながら脱力する。


 ……そもそも、どうして私は慎吾っちから逃げたんだろう?


 家族で買い物に来て、偶然で慎吾っちに会ったことにとても動揺したけど、わざわざ逃げる必要はなかったはず。


 せっかく久しぶりに話す機会を得られたんだから、いっぱい話したかった。


 ……でも、慎吾っちは私なんかと話したいのかな? こんな、人の顔を見るなり逃げ出すような女とは話したくないかもしれない。


 そもそも、二ヶ月近く前の告白の件もある。今更フった女なんか見たくもないのかもしれない。


 こんなことなら、教室で目が合った時に話しておけば良かった。恥ずかしいからって躊躇っている場合じゃなかった。


「慎吾っち……」


 もう一度名前を呼ぶ。


 ドキっと胸が甘く高鳴り、頬が熱を帯びていくのが分かる。


 ずっと浸りたくなるほどの甘い感覚だけど、私は頭を振って自制する。


 この気持ちは、もう私が持ってはいけない、捨てなくちゃいけない感情だ。持っていても辛いだけ。何より、慎吾っちに迷惑だ。


 けど私は未だに捨てられずにいる。どれだけ頑張っても、慎吾っちのことを忘れられない。


 いっそのこと嫌いになろうかと思ったけど、それも無理だった。


 なろうと思って嫌いになれるなら、そもそも好きにはなってない。


 恋をするのがこんなに大変だなんて思わなかった。こんなことなら、慎吾っちに告白なんてしない方が……、


「そんなことはない」


 自分の考えを口ではっきりと否定する。


 確かに失恋したことは辛い。以前のように慎吾っちと気軽に話せなくなっちゃったし、たまにあの日のことを夢に見て泣いちゃうこともある。


 でも、あの告白をなかったことにはしたくなかった。私の望んだ結果にはならなかったけど、それでもあの時私が抱いていた想いを間違いだったなんて考えたくない。


「慎吾っち……」


 胸がチクチクと痛む。痛くて痛くてたまらない。涙が出そうだ。


「……あれ?」


 胸の痛みに涙しそうだと思っていたら、本当に涙が出てきた。


 人目もあるので、慌てて溢れる涙を拭う。けど、拭っても拭っても涙は止めどなく流れ続ける。


「慎吾っちぃ……」


 いつの間にか、嗚咽混じりの声で大好きな人の名前を呼んでいた。


 どうしてこのタイミングで彼の名前が出てきたのか分からない。でも不思議なことに、彼の名前を口にしたのに呼応するかのように、涙が勢いを増した。


 もうグチャグチャだ。身も心も、自分のものなのに自分で制御できない。


 冬空の下。私は涙が枯れるその時まで、人目も憚らずポロポロと雫を溢し続けるのだった。






「…………」


 澪に逃げられた後、デパートでの買い物を終えて合流した俺たちは現在、親父が運転する車内にいた。


 行きは他愛ない会話で時間を潰していたが、今の俺は先程の澪とのやり取りが気になって誰かと話をする気になれない。


 どうしてあの時澪は逃げ出したんだ? それだけ、俺の顔を見るのは嫌だったというのとだろうか?


 ……だとしたら、悲しい。けど同時に仕方ないことだとも思う。前みたいな関係に戻りたいなんてのは、俺に都合のいいワガママでしかないのだから。


「おい慎吾」


「……何だよ親父?」


 前の席で運転していた親父が、運転を継続しながら俺の方に声をかけてきたので、意識をそちらに向ける。


「いや、何かお前さっきから暗い表情をしてたからな。さっきの女の子と何かあったのか?」


「……別に何もねえよ。そんなどうでもいいことより、親父は運転に集中してろ」


 舞華がいる以上、澪のことを話すのはマズいので話を逸らそうとするが、


「さっきの女の子? 慎吾君、デパート何かあったんですか?」


 なぜか助手席にいた義母さんが食い付いてきた。


「やっぱり霞さんも気になるか。おい慎吾、さっきの女の子との関係、俺たちにも説明しろ」


「……ただのクラスメイトだよ」


 上手い誤魔化し方を思いつかず、無難な回答をする。


「クラスメイトねえ……澪って言ったけか? お前が女の子を下の名前で呼ぶなんて珍しいよな?」


「そ、それは……」


 クソ! 親父め、余計なことを……!


 こ、これはマズいぞ。舞華は澪のことを知っている。というか、一度は殺そうとしてた相手だ。知らないなんてことはあり得ない。


 以前は告白を断ったから命は取られずに済んだが、今日偶然会ったことを知られれば、舞華が嫉妬心からまた澪に危害を加えるかもしれない。


 それだけは何としてでも阻止しなければ!


「あらそうなんですか? ふふふ、慎吾君も中々隅に置けませんね」


 親父の言葉を聞き、義母さんが助手席から顔だけをこちらに向けてクスっと笑う。


 義母さんの声音が心なしか弾んでるような気がする。


「慎吾君、澪さんというのはどんな方なんですか? 私、母親として気になります」


「……別に普通だよ」


「もう、私が聞きたいのはそういうことじゃありません! 慎吾君の異性関係が気になって仕方ないんです!」


 目尻を吊り上げて、俺の回答に不服を示す義母さん。


「俺なんかの異性関係にどうしてそこまで興味津々なんだよ?」


「母親だからに決まってるじゃないですか。舞華も気になりますよね?」


「…………!?」


 唐突に舞華に話を振った義母さんに、思わず目を見開く。


 ここまでの会話に、舞華は入ってきていない。ずっと隣で黙ったままだ。不気味なまでの沈黙のせいで、今舞華がどんな顔をしているのか確認するのが怖い。


 しかし確認しないのはもっと怖いので、恐る恐る隣の舞華を見てみると、


「そうですね。母さんの言う通り、私も気になります。私にもその澪さんという方について教えてくれませんか、兄さん?」


 普段はあまりお目にかかれないレベルの笑みを浮かべる舞華。しかし恐ろしいことに、その目は全く笑っていなかった。


「ひ……ッ!?」


 あまりの異様さに、思わず情けない悲鳴が漏れた。


「あら、どうかしましたか慎吾君?」


「な、何でもない!」


「そうですか? それなら話を続けましょう。さあ慎吾君。澪さんという方のこと、洗いざらい吐いてくださいね?」


 ――その後家に着くまでの間、俺は澪に関して義母さんの宣言通り洗いざらい吐かされた。


 告白の件については何とか最後まで守り通したが、その他の件については色々と話す羽目になった。


 こんな目にあったのも、全ては親父のせいだ。後で仕返しをしてやる!






『十二月二十六日。

 今日は家族でデパートに買い物に行きました。

 デパートは広いので二手に別れることになったのですが、とても残念なことにお兄様とは別々になってしまいました。

 とてもとても残念です。お兄様と二人きりでデパートを見て回りたかったのに!

 ですが公平なグーパーの結果です。お兄様と一緒に回る義父さんが憎くて憎くてたまりませんが、我慢しました。

 しかしその結果、お兄様は偶然にもあのメスと会ったそうです。

 私があの時無理にでもお兄様と一緒に買い物をしていれば、こんなことにはならなかったかもしれません。完全に私のミスです。

 いったいお兄様と何をしていたのかは知りませんが、もし再びお兄様に色目を使おうものなら、この世に存在したという痕跡すら残さず消し去ってあげましょう!

 あとなぜか車から降りた瞬間、お兄様が義父さんに飛び蹴りを叩き込んでいましたが、まあどうでもいいことですね。どうせ義父さんがまたお兄様を怒らせたりでもしたのでしょう。』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る