クリスマスの夜
――それは俺と義母さんの二人で作った昼食を食べている時のことだった。
「なあ慎吾。お前、今日はこの後何か予定はあるのか?」
なぜか左頬が真っ赤に腫れ上がり、胸の辺りを手で押さえながら昼食を食べていた親父が、不意にそんなことを訊ねてきた。
「この後は夕飯の買い出しに出かけようと思ってるけど、それ以外は特に予定はないな」
箸を止めてこの後の予定をざっくりと伝える。
「何だよ、今日はクリスマスだぞ? お前、彼女ぐらいいないのかよ?」
「うるせえな。別にいなくたって問題はないだろ?」
「いやいや大問題だろ。その歳で恋愛経験なしとか、俺は親として心配になってくるぞ。なあ、霞さん?」
なぜか義母さんに話を振る親父。今ほど余計なお世話という言葉が相応しい場もなかなかないだろう。
「そうですか? 私は慎吾君なら大丈夫だと思いますけど……」
一方話を振られた義母さんは、のんびりとした声音で親父の意見に首を傾げた。
「いや、甘いぞ霞さん! こいつみたいな『女には興味ありません』なんて斜に構えてる奴はな、今の内に彼女を作っておかないと、将来女の子との接し方が分からず生涯を独身のまま終えることになるんだぞ!」
熱弁する親父。いったい何が親父をここまで駆り立てているんだ?
「本当に余計なお世話だな。というか親父、そんなくだらないことを言うために俺の予定を聞いたのかよ?」
「そうだ!」
「違いますよ、あなた」
断言する親父をやんわりと否定する義母さん。
もう義母さんに話を聞いた方が早そうだな。
俺は正面の親父から、その隣に座る義母さんの方に向き直る。
「慎吾君。実は今日、家族水入らずで外食しようと思っているんですよ。なので慎吾君も予定がないなら一緒にどうですか? 舞華は行くと言ってるので、後は慎吾君だけなんですけど……」
「ああ、俺も行くよ」
断る理由もないので頷く。
しかし外食するとなると、この後の買い物で買うものは変更しないといけないな。
そんな感じで昼食後の予定を考えていると、義母さんが微笑みながら口を開く。
「そうですか、それは良かったです。実はこの日のために半年以上前からお店の予約をしていたので、断られたらどうしようかと思っていました」
「……それ聞いたら尚更断れなくなったよ」
半年以上前って、どれだけ今日という日に気合いを入れていたのだろう?
「ふふふ。親子水入らずでの外食、とても楽しみですね。舞華もそう思うでしょう?」
「ええ、まあ……」
黙々と食事をしていた舞華が、歯切れの悪い返答をする。
「…………?」
少し様子のおかしい舞華に、俺は首を傾げるのだった。
「……なあ親父」
「何だ慎吾?」
「……予約したレストランって、本当にここなのか?」
隣に立つ親父に訊ねながらも、俺の視線は正面にそびえ立つ高層ビルに釘付けだ。
半年以上前から予約していたと言ってたので何となく予想していたが、やはり予約したレストランというのはかなりお高いところだった。
「正確には、このビルの十一階のレストランだけどな。ふっふっふ、凄いだろ? 半年前でも予約するのは結構大変だったんだぞ?」
「……俺、生まれて初めて親父を凄いと思ったわ」
「そうかそうか。もっと誉めていいんだぞ?」
流石は親父だ。頭の悪い勘違いをしている。こんなビルにあるレストランを予約しているといっても、所詮は親父ということか。
「二人共、そんなところでいつまで喋っているんですか? 置いて行きますよ?」
「そうですよ。それにそんなところにいると、他の人の邪魔になってしまいますよ?」
俺たちよりも少し前を歩き、ビル内に入ろうとしていた舞華と義母さんがそんなことを言った。
ちなみに現在の俺たちの服装は、普段とは全く違うものだ。
高級レストランには、ドレスコードというものが存在する。今の俺たちの服装は、それに従ったものだ。
義母さんは黒の袖があるワンピースのような服装。確かカジュアルエレガンスとか言ったか? 舞華にそっくりの黒髪もあって、よく似合っている。
対して親父は礼服。……特に言うことはないな。
俺と舞華は学生らしく学校の制服だ。まさか、冬休みにまで制服を着ることになるとは思わなかったが、レストランのマナーなのだから仕方ない。
「早く来て下さいよ、二人共」
「分かってる。今行くから待ってろ」
俺は前方の舞華に急かされながら、ビル内に入るのだった。
「……美味いな」
口にした料理に、思わず感嘆の声が漏れてしまう。
「確かに、これはとても美味しいですね」
俺と向かい合うようにして席に着いている舞華が、同意するように頷く。
あの後レストランに入った俺たちは、予約していたこともあってすぐに席まで案内された。
テーブルは二人席のものが二つ。通路を挟んだ向こう側には、義母さんと親父もいる。
ちなみに、席に関しては少し揉めた。まあ、揉めたと言っても、親父が「舞華ちゃんと一緒がいい!」と駄々をこねただけだが。
ウザいことこの上なかったが、義母さんが何事か耳打ちしたら押し黙った。
いったい何を言ったのか気になったが、外でもないのにガタガタと震えてる親父を見てると訊くのが怖くなったのでやめた。
そんなわけで現在俺は、舞華と二人で料理を楽しんでいた。
このレストランの料理はコース形式で量は物足りないが、それを補って余りあるほど美味しい。
窓から見える景色はとても綺麗で、美味しい料理と相まって楽しい食事になっている。
「ふふふ、とても美味しいですね、兄さん」
しかも、舞華もかなり上機嫌だ。こんな風に微笑んでる舞華は、年に一回見れるかどうかだ。
「……? そんなに私を見つめてどうかしましたか、兄さん?」
どうやら見つめすぎてたらしい。舞華が俺の視線に気付いて、料理の手を止めて訝しむような視線を送ってきた。
「いや、舞華の機嫌珍しくいいみたいだから――あ」
やってしまった。俺はバカか? いくら舞華の機嫌がいいからってそんなことを言えば、『つまり兄さんの目から見て、普段の私は不機嫌に見えるということですか? ならお望み通り、今からいつも通り不機嫌になってあげますよ。良かったですね、兄さん?』なんて言われて、楽しい食事が地獄の晩餐になってしまうのは分かり切っていたことだろ!
自分の頭の悪さをこれほど恨めしいと思ったことはない。
「え、ええとだな、舞華? 今のは言葉の綾というかだな……」
無駄だと知りつつも、何とか舞華を諌めよとする。しかし、
「……舞華?」
舞華の様子がおかしい。俺の予想だと怒り心頭だと思っていたが、今の舞華は怒ってるようには見えない。それどころか――満面の笑みを浮かべていた。
「ふふふ。もう、兄さんったら、私だって女の子なんですから、そんなこと言われたら傷付いちゃいますよ?」
「……はい、すいません」
「次からは気を付けてくださいね?」
それだけ言って、舞華は食事を再開した。
本来なら俺も舞華に倣うべきなんだろうが、残念なことに手が震えてナイフとフォークが持てない。
このレストランが寒いというわけではない。この震えは恐怖から来るものだ。
さっきの失言は、いくらご機嫌だろうと舞華なら間違いなく怒るものだ。お説教三時間コースは確実だろう。
それなのに舞華は怒るどころか、笑みを浮かべてみせた。
別に俺はマゾではないので、怒られないのは純粋に嬉しい。しかし、しかしだ! あんな失言をしても笑みを保ち続けた舞華を見てしまうと、逆に怖くなってしまう。
いったい何が舞華をあんな風にしてしまったんだ? 気になって食事を楽しむどころではない。一刻も早く原因を特定しなければ!
――その後俺は食事をしながら、舞華がご機嫌の理由を考え続けるのだった。
『十二月二十五日。
本日はクリスマス。私の計画通りなら、この日はお兄様のたくましい腕の中で目覚めるはずでした。
しかし忌々しいことに、昨日両親が帰ってきてしまったことで私の計画はご破算となりました。
私は両親がいる家で致すような物好きではありません。なので今回は我慢しましたが、お兄様が望むのなら私はいつどんな場所でも構いません。妻なのだから当然のことですね。
さて今朝はいつも通り起きましたが、リビングに向かった私を迎えてくれたのは愛しいお兄様ではなく、私とお兄様の情事を阻んだ母さんでした。
私の朝はお兄様のご尊顔を目にするところから始まるというのに、最悪の気分です。
その後はイライラしたので部屋に籠っていたのですが、なぜか義父さんが来ましたが、どうでもいいことなので割愛します。
そしてお昼を過ぎた頃、私のところに母さんが来ました。何の用かと訊ねてみると、今夜家族水入らずで食事をしようとのことでした。
場所は以前テレビで紹介されたことのある高級レストラン。
とても興味がありましたが、正直私はあまり行きたいとは思えませんでした。
だって私、初めての高級レストランはお兄様とのデートの時にと心に決めていたからです。
ですがお兄様も誘うと言われれば、断るわけにはいきません。当然行くと答えました。いずれお兄様と二人きりで行くための下見と考えての答えです。
実際に行ってみると、レストランは料理も景色も素晴らしく大変満足のいくものでした。
何よりも素晴らしかったのは、お兄様と向かい合って一つの席に着けたことです。きっと周囲からは恋人に見えていたことでしょう。
最初は渋々と来たレストランですが、結果は満足のいくものでした。
いずれ本当のデートでもこういったレストランに行ってみたいものです。ねえ、お兄様?』
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