想いをぶつけるその1

 それはあの日から十日ほど経ったある日のこと。


 放課後の廊下を私――甘木舞華は歩いていました。


 向かう先は生徒会室。ここ数日の生徒会は、もう少しで二学期修了ということもあって大忙しです。


 今年中に終わらせないといけない書類の数々。


 普段の私ならお兄様と触れ合える時間が減ることを嘆いてしまいますが、今の私にはそんな余裕はありません。


「藤花……」


 無意識の内に唯一無二の親友の名前が口から漏れました。けれど応じる人がいるはずもなく、私の声は放課後の廊下に虚しく消えてしまいます。


 ただただ、憂鬱な気分です。少し気を抜けば、藤花のことばかりを考えてしまいます。


 藤花は今どうしているのか? どうして学校に来ないのか? などと、何度も何度も似たようなことばかり考えてしまいます。


 ――けれどいつも最後に考えるのは、私は藤花に告白されたあの日、どうすれば良かったのか。


 きっと何度同じ場面に遭遇しても、私は答えを変えることはないのに、そんな意味のない自問自答を繰り返してしまいます。


 あと数日もすればクリスマス。お兄様と二人きりで過ごすことをずっと前から楽しみにしていましたが、今はもうそんな気分ではありません。


 自己否定の思い胸に廊下を歩いていると、不意に学生カバンの中のスマホがブルブルと震えました。


 誰かが私にメールか電話をしたのでしょう。ですが私に連絡なんていったい誰が……?


 私は他人にあまりアドレス教えたりしないので、連絡を入れる人なんて限られています。両親、お兄様、それと――、


「…………ッ!」


 一つの可能性に至った私は、即座にカバンからスマホを取り出します。


 どうやら届いたのはメールのようです。差出人は予想通り、何度連絡を取っても返信のなかった藤花。


 私は手早くスマホを操作してメールの内容を確認します。


『件名:舞華へ

 今すぐ屋上に来て。待ってるから』


 端的かつ唐突な藤花からの呼び出し。内容からして、藤花はすでに屋上にいるのでしょう。


 正直に言って、直接会うのは少し怖いです。会ったとして何を言えばいいのか、どんな顔をすればいいのか、何も分かりません。


 けれど断るつもりはありません。だって、ずっと藤花とは話をしたいと思っていましたから。


 藤花の方からというのは予想外でしたが、それでもこの機会を逃すわけにはいきません。


 目的地を生徒会室から屋上に変更。私は急ぎ足で屋上に向かいます。


 藤花と対面してからのことはまだ何も分かりませんが、不思議と歩を進める足に迷いはありませんでした。


 階段を上がり、屋上へと続く扉の前まで来ます。


 私と屋上を隔てるのは、たった一枚の扉だけ。この先に藤花がいると思うと、とても緊張します。


 ですが、ここまで来て怖じ気づいても意味はありません。意を決して扉を開けます。


 夕日がよく見える屋上に出ると、周囲を忙しなく見回します。藤花がどこにいるのか探すためです。


「――舞華」


 不意に声が聞こえてきました。声のした方を振り向くとそこには、


「藤花……」


 ずっと会いたいと思っていた親友が目の前にいました。少しやつれていますが間違いありません、藤花です。


 彼女の姿を認めて、瞳から涙が溢れそうになります。何せ、ずっと会いたいと願っていた親友が目の前に現れたのですから、少しくらい泣いてしまっても仕方のないことでしょう。


 ですがここは耐えます。私は泣くためにこんなところまで来たのではありません。藤花の話をするために来たのですから。


 しかし、いったい何を話せばいいのでしょう? 何も考えずに来てしまいました。


 まずは、ずっと連絡がなかったことを怒るべきなのでしょうか? それとも、藤花を傷付けてしまったことを謝ればいいのでしょうか?


 どれが正解なのか、全く分かりません。けれど混乱する心とは裏腹に、私の口は動きます。


「どうして……何も連絡をくれなかったの?」


 自分でも驚くほどの穏やかな声音。


 別に何も怖いことはないはずなのに、なぜか藤花はビクリと肩を震わせます。


「……ごめんなさい」


「どうして謝るの? 私はただ訊いてるだけよ?」


 意図したわけではありませんが、少し威圧的な訊ね方になってしまいました。


 これはいけません。私は別に藤花を責めるために来たのではありません。話をするために来たのです。


「あのね、藤花? 私は別に怒ってるわけじゃないの。ただ、あなたと話がしたいだけなの」


 先程以上に穏やかな声音で藤花に、そして私自身にも言い聞かせるようにして声をかけます。


 そこから、しばらく場を沈黙が支配しました。それは一瞬にも永遠にも感じられるような時間。


 そんな時間を破ったのは、藤花の弱々しい声音から発せられた一言だった。


「……私、舞華のこと好きだったの」


「……ええ、知ってるわ」


 改めて衝撃的な事実を告げられるてしまいましたが、私は驚きを飲み込み毅然とした態度で応じます。


「だから告白を断られた時、とてもショックだったの……」


「それが理由で、今まで何の連絡もしなかったの?」


 私が確認のために問いただすと、無言で藤花は首を縦に振ります。


 きっと藤花は私に振られたことで、とても大きな心の傷を残したのでしょう。少しだけですが、藤花の気持ちは同じ恋する乙女として分かります。


 私ももしお兄様にこの想いを受け入れてもらえなかったらと考えるだけで、心臓が張り裂けてしまいそうになります。


 ですがそれとこれとは話が別です。


「それは連絡をしなくていい理由にはならないわ。私がどれだけ心配してたのか、あなたは分かっているの?」


「…………ッ」


「あの日から今日までずっと、あなたのことを考えていたわ。今どうしているのか、なぜ連絡をくれないのか」


「ごめん……なさい」


 謝罪しながら、藤花はとうとう泣き出してしまいました。


 泣かせるつもりはなかったのに、やってしまいました。ですがなぜでしょう? 藤花の泣いてる姿を見ていると……罪悪感ではなくとてつもない苛立ちを覚えてしまいました。


 私はその苛立ちを胸の内にしまうことができず、言葉として吐き出してしまいます。


「謝らないでよ! あなたがずっと学校に来なかったのは、私のせいなんでしょう!? なら、私に恨み言の一つくらい言いなさいよ! どうして藤花が謝るの!? 悪いのは私じゃない!」


 私らしくもない乱暴な言葉。なぜこんなことを口走ってしまったのか、自分でも分かりません。


「私があの時、もっと違う言い方をしていればこんな……こんなことには……!」


 気が付くと、一筋の涙が頬を伝っていました。止めどなく涙が溢れてきます。拭っても拭っても、涙が止まりません。


 涙が邪魔でよく見えませんが、藤花が困惑したような顔を浮かべていることだけは分かります。


 いきなり泣き出した私に驚いているのでしょう。でもごめんなさい。今はあなたに向ける余裕はないの。


 どうしてこんなにも涙が溢れて止まらないのか。そしてなぜ無性に苛立つのか。ここに来てようやく理由が分かってしまいましたから。


 私はただ、自分が許せなかったんです。親友である藤花の気持ちを深く考えず、ただお兄様への想いを理由に藤花の告白を断った自分が。


 藤花は唯一無二の親友。そんな雑な返事を許される相手ではありません。私自身の言葉でしっかりと断るべきでした。


 例え藤花を傷付けることになろうと、それが彼女にできる私なりの誠意だったのです。


 なのに私はそれを怠りました。最低です。自分で自分に嫌気が差します。



 

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