糸島は決意する

 糸島がウチに来た次の日の放課後。俺は毎度の如く糸島に呼び出された。


 昼休みは舞華が警戒していたので、放課後の呼び出しは助かる。まあ、呼び出されないのが一番だが。


 しかし今回は一つだけ気になることがある。それは俺を呼び出した糸島のメールの内容だ。


 普段は場所の指示ぐらいなのに、今回はメールの最後に『大事な話があるので絶対に来て下さい』とあった。


 大事な話……十中八九舞華に関することなのだろうが、いったい何の話をするつもりなんだ?


 あまり変な話じゃないといいんだが……。


 そんな不安を胸に、俺は屋上へと続く扉を開いた。


「ちゃんと来てくれたんですね、お兄さん」


 屋上に出ると、なぜか糸島が腕を組んで仁王立ちで待ち構えていた。


 これが人相の凶悪な奴なら威圧感があっただろうが、残念ながら糸島ではそんなもの欠片も感じられない。


「それで? 大事な話って何だよ? 手短に済ませてくれ」


 舞華の監視のこともある。放課後は昼休みと比べれば安全だろうが、それでも万が一ということもある。


 なので、あまり長時間糸島と二人きりでいたくない。


「そうですね。お兄さんの言う通り、早く話を進めるとしましょう」


 そう言って糸島は一度目を閉じた。その様子は、まるで何か決意を固めようとしているように見える。しばらくすると糸島は目を開けた。


 ……やはり今日の糸島は様子がおかしい。その証拠に再び開かれた糸島の瞳には、鬼気迫るものが宿っていた。


 しかし疑問が尽きない俺の内心など知るはずもなく、糸島は口を開く。


「私、今度の期末試験の結果で勝てたら……舞華に告白しようと思います」


「…………ッ!」


 唐突な宣言に思わず息を呑む。


 もしかして、昨日舞華と二人きりの時に何かあったのだろうか? ……いや、間違いなく何かあったはずだ。


 でなければ、いきなりこんなことを言い出すわけがない。


「……随分といきなりだな」


「そうですか? お兄さんに協力してもらった時点でいつか告白する覚悟はしていたので、いきなりというほど急でもないと思いますけど」


「それにしたって急すぎるだろ。それに、どうして試験で舞華に勝ったらなんて条件を付けるんだ? 普通に告白すればいいだろ?」


 なぜわざわざ回りくどいことをするのか、全く理解できない。


「この条件は私なりの覚悟ですよ」


「覚悟?」


「私はこれまでずっと舞華のことを想い続けながらも、好意を告げたことはありませんでした。どうしてだと思います?」


「それは……」


 訊かれても答えられるはずがなく、俺は口を閉ざすしかない。


 しかしそんな俺を気にした様子もなく、糸島は続ける。


「多分、怖かったんだと思います。もし拒絶されたら、今までの関係でいられなくなるかもしれないことが」


「糸島……」


 少しだけ……ほんの少しだけだが、今の糸島の気持ちが俺には分かる。


 俺も澪に告白された時、一番最初に考えたのは今までの関係が変わってしまうことだった。


 だから、糸島が告白を躊躇っていたことを俺はおかしいとは思わない。俺だってこいつの立場なら、何もできなかったはずだ。


 なのに、


「でももうやめます。逃げるのはやめます。逃げているだけじゃ、何も変えられませんから」


 今までの関係が壊れることを理解して尚、どうしてこいつは告白を決意したんだ? 何がこいつをここまで突き動かすんだ?


 俺には全く分からない。かつて告白してくれた澪なら理解できたのだろうか?


「だから、もし舞華よりいい成績を出せなかったら、舞華のことは諦めます。そのくらいのこともできないのなら、その程度の想いだったということですから」


 糸島はきっぱりと迷いなく言い切った。


 俺の記憶が確かなら、舞華はかなり頭がいい。あいつの成績を詳しく知っているわけではないが、きっと学年一位ではないだろうか?


 そんな奴に勝つことを条件とする辺り、こいつの覚悟がどれほどのものか窺い知れる。


「……本気なのか?」


 今更意味がないことを理解しつつも、一応訊ねてみる。


「冗談で言ってるように見えますか?」


「……見えないな」


 分かり切っていたことだ。それでも確認したのは、舞華にはすでに好きな人がいることを知っているから。


 告白が成功しないことを分かっていながら、止めないほど俺は無情ではない。


 しかしこいつは、俺が何を言っても止まらないだろう。最早、そういう段階はとうに過ぎてしまったのだから。


 だから糸島に告白を諦めさせるような発言はしない。代わりに俺は絞り出すような声音で、


「……どうして、告白することを俺に教えたんだ?」


 素朴な疑問を口にした。


「どうしてって……お兄さんは私に色々と協力してくれたじゃないですか。そこまでしてくれた相手に何も言わずに告白するのは、失礼じゃありませんか?」


 協力といっても、脅されて仕方なく従っていただけだ。それなのにわざわざ義理を果たそうとする辺り、こいつの性格の良さが分かる。


「……まあ、ライバルへの宣戦布告という意味もありますが」


「ん? 何か言ったか?」


「いいえ何も」


「いやでも――」


「しつこいですよ。何も言ってないと言ったら何も言ってません」


 本当に気のせいだったのだろうか? 何か大切なことを言ってるように感じたが。


 しかし本人が否定しているのだから、これ以上追及したところで意味はない。


 俺が追及を諦めたところで、糸島は軽く頭を下げる。


「話はこれで以上です。聞いてくれてありがとうございます、お兄さん」


 その言葉を最後に、顔をあげた糸島は俺の横を通り抜け、屋上の唯一の出入口である扉へ向かう。


「…………」


 俺はそんな糸島の背を眺めながら、今後のことを考えていた。


 仮に試験で舞華に告白したところで、十中八九、糸島はフラレるだろう。これは最早揺るぎようのないことだ。


 問題なのは、フラレた後の糸島のこと。きっと糸島は悲しむだろう。失恋の痛みに胸を焦がすだろう。


 その時、協力者の俺は果たして糸島に何て言葉をかけることができるだろうか?


 そもそも、最初から全て分かっていながら何一つ真実を伝えることをしなかった卑怯者の俺に、その資格があるのだろうか?


 ……自分で自分が嫌になる。資格があるかだって? 考えるまでもない。そんなのあるわけないだろ。


 むしろ糸島に恨まれてもおかしくない。俺はそれだけのことをしたのだから。


 糸島がいなくなり俺一人となった屋上で、俺はそんな自虐的な想いに駈られるのだった。






『十一月二十八日。

 本日のお兄様は何だかとても暗い表情をしていました。何かあったのでしょうか?

 いえ、あの表情は間違いなく何かあったのでしょう。私の義妹としての直感からそう判断します。

 しかしだとしたら原因は何でしょうか? お兄様をあそこまで落ち込ませることなど、そうそうありません。

 浮気相手の件もありますし、最近は色々とおかしいですね。ですが安心してください、お兄様。

 お兄様を苛む障害は、この舞華が全て蹴散らしてみせます。だからお兄様は、私のことをずっと愛していてください。

 それだけで私は、どんな不可能も可能にしてみせますから』



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