糸島は見た

 糸島の家に行ってから二日後の月曜日。いつも通り学校での授業を全て終えた俺は、放課後になっても教室に留まっていた。


 普段ならすでに家に着いてるような時間帯。それでもまだ教室にいるのは、一昨日糸島と話し合った末の結論が起因する。


 一昨日糸島はテスト勉強という名目で、もう一度ウチに行くことを決めた。


 舞華と二人きりになることでいい雰囲気を作り、あわよくば告白まで持っていくつもりらしい。


 そして、そこに俺がいるのは邪魔ということなので、現在俺は学校で時間を潰している。


 まあ時間を潰してると言っても、特にやることもないので机に頬杖を付きながら窓の外をボーっと眺めているだけだ。


「何してんだよ、親友」


 不意に声をかけられたので、意味もなく窓の外にやっていた視線を声のした方に向ける。


 するとそこには、俺の唯一の友達である翔が立っていた。


「ああ、翔か……」


「普段のお前なら帰ってる時間だろ? 何してんだよ?」


「別に何も。そういうお前こそ、何してんだよ? お前だって普段ならこんな時間まで学校に残ってないだろ?」


「俺はちょっとクラスの女の子と外でお話してたんだよ。今はそれが終わったから教室に戻ってきたんだ」


 こいつは相変わらずモテモテだな。最早嫉妬心すら湧かない。いったいどうすればそこまでモテるんだ? やっぱり顔なのか?


「けどまさか親友がまだ残ってるなんてな。まだ帰らないのか?」


「まだしばらくはここにいるつもりだ」


「そっか。なら俺も一緒に残るよ。せっかくだからダベろうぜ」


「俺は別にいいけど……」


 窓の外を見るだけで退屈だった俺としてはありがたい申し出。断る理由もない。


 そんなわけで、そこからしばらく他愛ない雑談をしていたが、不意に翔が話題を変える。


「あっ、そういえば一昨日舞華ちゃんに会って何か色々聞かれたたんだけど、お前何かしたの?」


「…………ッ!」


 唐突な舞華の話題に、思わず息を呑む。


 一昨日の舞華と翔の会話。日記では詳細は分からなかったため、ずっと気になっていた。


 それをここで聞けるのは今後の舞華の行動を知るためにも必要になるが、同時に不安もある。


 舞華が翔にどんなことを訊いたのか。そして翔はその質問に何と答えたのか。それを知るのが少し怖い。


 何せ、場合によっては糸島との密会がバレてしまうことになるから。バレた場合の舞華の行動は、あいつの日記を読めば一発で分かる。


 十中八九、流血沙汰になるだろう。あいつは親友が相手だろうと容赦はしないはずだ。流石にそんなものを見逃せるほど、俺は人でなしではない。


 今後の対策のためにも、聞いておいた方がいい。そう結論付けて覚悟を決める。


「ま、舞華はどんなことを訊いてきたんだ?」


「まあ色々かな? 最近お前の様子がおかしくないかとか、誰か知らない人が周りにいないかとか。お前に関することばかりだったよ」


「……お前は何て答えたんだ?」


「最近、親友があまり一緒に弁当を食ってくれなくなったこと、あとは昼休みになるといつもどこか行ってて、昼休み終了ギリギリまで帰ってこないぐらいかな」


 考えうる限り最悪の答えだった。これじゃあ、昼休みに何かあると言ってようなものじゃないか。


 確実に舞華は疑うだろう。もしかしたら、すでに昼休みの屋上には監視を付けてるかもしれない。


 今日は昼休みに呼び出されなかったが、今後は昼休みに会うのは控えた方がいいかもしれないな。舞華にバレたらシャレにならない。


「どうしたんだよ、親友? そんな浮気がバレた亭主みたいな顔して」


「いや、どんな顔だよ……」


 夕日の差し込む教室の中、俺は軽い頭痛を覚えるのだった。






「それじゃあ、お茶とお菓子を持ってくるから、少し待っててくれる?」


 それだけ言い残して、舞華は部屋を出た。


「ふう……」


 軽い吐息が漏れる。同時に、バクバクと心臓が脈打っているのが分かった。


 別に長距離を走ったわけでもないのに、動機が激しい。しかしこれは仕方のないことだ。


 なぜなら私――糸島藤花は現在、親友にして想い人である舞華の家にお邪魔しているのだから。


 しかも案内されたのは舞華の部屋だ。この状況で無反応でいろという方が無茶だと思う。そんなのができるのは、僧か尼ぐらいのものだ。


 この部屋に来るのは二度目になるけど、未だに慣れることなく興奮が収まらない。


 けれどそれは仕方のないこと。だってここは舞華の部屋だから。


 舞華が普段この部屋で着替えや勉強をしていると思うだけでもう……ッ!


「いけないいけない」


 頭を振ってトリップしかけた意識を戻す。私が今日ここに来た目的を忘れてはいけない。


 舞華には一緒に試験勉強がしたいからだなんて嘘を吐いたけれど、実際のところただ舞華とイチャイチャしたいだけだ。


 今日中に恋人になるのは無理でも、せっかくお兄さんも協力してくれたのだから、何か結果を残さなくては。


 だからいつも舞華が寝ているであろうベッドの匂いを嗅いだり、舞華が使ってる枕に顔をうずめたり、タンスにしまってある下着を堪能するのは我慢しなければいけない。


 目的を見失ってはいけない。例え目の前に楽園が広がっていようと……、


「……ちょっとだけなら」


 けれど少しだけ、ほんの少しだけならいいはずだ。むしろこの状況で何もしない方が失礼に当たるはず! そうに決まっている!


 自分の欲望を正当化しながら、まずはタンスに手を伸ばそうとしたところで、不意に部屋のドアが開かれた。


「ねえ、藤花――」


「ごめんなさい! ほんの出来心だったんです!」


「と、藤花? いったいどうしたの?」


 脊髄反射で謝罪の言葉を口にした私に、舞華が戸惑いの声をあげた。


「え、ええと……何でもない」


 まさかタンスの中を物色しようとしていたなどと言えるはずもなく、絞り出すような声音でそう答えた。


「それならいいけど……」


 訝しそうにしながらも、舞華は一応納得してくれた。


 ううう……舞華に嘘を吐いてしまった。罪悪感で胸が押し潰されてしまいそうになる。


「ねえ藤花。私、ちょっと外に出たいのだけどいいかしら?」


「外に?」


「ええ。実はお茶とお菓子が丁度切れてしまってたから、近くのスーパーまで買いに行こうと思って」


「い、いいよ、そこまでしなくても。元々勉強が目的で来てたんだから、私は気にしないよ?」


 流石にそこまでする必要はない。そう思い止めようとするが、こういった時の舞華が頑固であることを私はよく知っている。


「ダメよ。藤花はお客様なのだから、ちゃんともてなさなくちゃいけないわ。そもそもこんな事態に至ったのは、管理を怠った兄さんが悪いもの」


 それはあまりにも理不尽ではないだろうか? 少しお兄さんに同情してしまう。


「そういうわけだから、悪いけど少しだけ留守番しててちょうだい」


 そう言い残して、舞華は再び部屋を後にした。しばらくすると下の階から物音がした。多分舞華が家を出たのだろう。


「…………」


 舞華がいなくなったことで、私はこの家に一人だけとなった。


 これは私に舞華の下着を堪能しろという神様からの天啓なのだろうか? だとしたら、ここで行動しないわけにはいかない!


 早速タンスに手を伸ばす。中には、前回同様舞華の下着が規則正しく詰められていた。


 色とりどりの下着の数々。これら全てを私の自由にできる考えるだけで、とてつもなく興奮してしまう。


 そして欲望の赴くまま、タンスの中に手を突っ込んだ。しばらく手に触れた下着の感触を楽しんでいた私だが、不意に下着とは異なるものが手に触れた。


「これは……」


 何だろう? と思い取り出してみると、それは一冊のノートだった。


 こんな人目につきにくい場所に隠しているということは、あまり人に見られたくないものだろう。


 ということは、これはもしかしなくても舞華の日記ではないだろうか?


 舞華の日記……読んでみたくはあるけど、これは流石にプライバシーの侵害ではないだろうか? ……他人の下着を現在進行形で漁っている私が今更か。


 自身への呆れと舞華への申し訳なさを胸に抱きながらも、私は日記と思しきノートのページに手をかけた。


 ――後に私は後悔する。日記なんて読まなければ良かったと。






『十一月二十七日。

 本日はまた藤花が家に来ました。本当はお兄様に会わせたくなかったのですが、上手く断れず招くしかありませんでした。

 ですが今日はお兄様がいなかったので、藤花に会うこともなくて安心しました。

 しかし今日はなぜ帰宅が遅れたのでしょうか? 気になったのでお兄様に訊ねてみましたが、はぐらかされてしまいました。

 考えたくはありませんが、もしかして放課後に浮気デートでもしていたのでしょうか?

 だとしたら憎たらしいことこの上ないです。

 私ですら、まだお兄様と夫婦らしいことの一つもできていないというのに。これは一刻も早く浮気相手を突き止めなければいけませんね。

 そして特定でき次第、浮気相手は二度とお兄様に近づけないよう、遠いところに行っていただきましょう。誰もいない、遠いところに。』

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