糸島の家へ
次の日の昼休み、またもや糸島からメールが来た。
どうせ屋上に来いという内容だと、半ば確信に近い予想を立てながら、メールの内容を確認する。
しかし俺の予想はあっさりと裏切られた。
『明日、私の家で作戦会議をしましょう。お兄さんは私の家の場所を知らないでしょうから、正門前で待ち合わせをしましょう。くれぐれも舞華には気付かれないようにお願いします』
何と家へのお誘いだった。普通なら、思春期男子として女の子からのお誘いは興奮するものだが、相手はあの糸島だ。しかも招く理由が理由なだけにときめく要素が欠片もない。
最早何かの罰ゲームと言っても過言ではない。だが例の如く俺に拒否権などあるはずもない。
元々明日は土曜日。学校は休みだから特に問題はない。
休日に外出など滅多にしないので、舞華には疑われるかもしれないが、友達とテスト勉強をするとでも言えば納得するだろう。
「……はあ」
渋々とではあるが、了承の旨をメールで返信するのだった。
「兄さん、どこへ行くのですか?」
土曜日の昼前の時間帯。玄関で靴を履いていた俺の背後から、舞華が声をかけてきた。
「友達の家にテスト勉強をしに行くんだよ」
「友達……新島さんですか?」
友達としか言ってないのに、なぜ翔だと思ったのだろう? まさかとは思うが、こいつは俺に翔以外の友達がいないと思っているのだろうか?
まあ実際その通りだが……何かちょっと泣きたくなってきた。
「兄さん? どうかしましたか?」
「いや、何でもない。とにかく、俺は今から勉強しに行ってくる。昼飯は冷蔵庫に入れてあるから、レンジで温めてくれ」
それだけ言い残して俺は玄関の扉を開け、外に出る。
「あ、兄さん、ちょっと待って――」
「夕飯前には帰ってくるから、留守番よろしくな」
扉が閉まる直前、舞華が何事か言いかけていたが、下手に追及されると面倒なのでそのまま閉める。そして鍵をかけてからその場を離れた。
休日の通学路は少し新鮮だ。そんなことを考えながら二十分ほど歩を進めていると、見慣れた校舎が視界の端に収まった。
約束の正門前まで行ってみたが、まだ誰もいなかった。スマホで時間を確認してみると、まだ約束の時間まで十五分ほど余裕があった。
少し早かっただろうか? まあ遅刻するよりはマシだろう。
そう考えて正門の壁に背を預けて待つこと十分。
「ごめんなさい。お待たせしてしまいましたか、お兄さん?」
私服姿の糸島が、謝罪しながら俺のいる正門前まで駆けてきた。
別に遅刻はしていないだろうに、真面目な奴だな。流石は舞華の親友といったところか。
しかし特に悪いこともしてないのに謝られるのも気分が悪いので、一応そんなに待ってないことを伝えよう。
「いや、今来たところだ」
「…………」
「お、おいどうした?」
なぜか糸島が、苦虫を噛み潰したような顔になっっていた。
一瞬俺が何かデリカシーのないことでも言ったかと考えたが、思い返してみても特に覚えがない。
いったいどいうことだろう? と首を捻っていると、糸島が顔をしかめながらも口を動かす。
「……あの、そういう恋人みたいなやり取りするのやめてくれません? 吐き気がします」
「……ごめんなさい」
流石は舞華の親友。言うことがいちいち心を殺しに来ている。ちょっと泣きそうになったよ。
最近ごめんなさいを連発してるなあ、と思うとまた泣けてくる。舞華もそうだが、こいつは思春期男子の繊細な心の耐久度をもっと考えてから発言してほしい。
しかし糸島は俺の心情に気付いた様子もなく話を続ける。
「まあいいでしょう。それじゃあ付いてきてください」
「あ、おい待てよ」
嘆息しながら糸島が歩き出したので、俺は慌てて後を追いかけるのだった。
「……なあ糸島、一つ聞いてもいいか?」
「何ですか?」
「こういう質問って本当はあまりしちゃいけないんだろうけどさ……お前の家って、実は結構お金持ち?」
失礼とは分かっていながらも、俺は眼前の豪邸を前にそんなことを訊ねてしまった。
ざっと見た感じ、ウチの二倍くらいあるぞ。ちなみにウチは何の変哲もない普通の二階建ての一軒家だ。
「家に招く度にみんな一度は同じことを言うんですけど、ウチは別に特別お金持ちというわけではないですよ。普通です、普通」
「世間一般では三階建ての家を普通とは言わないんだよ」
「そんなものですか……」
言いながら、糸島は家のドアを開けて中に入る。
「お邪魔します」
挨拶を口にしながら、俺も追従するような形でお邪魔する。
家の中は、やはり豪邸という単語が連想されるくらい立派な造りだった。
こんな家に来るのは初めてなので、妙に緊張してしまう。
「何をしてるんですか、お兄さん? 私の部屋まで案内しますから、付いてきてください」
家に圧倒されていた俺を尻目に、糸島が奥へと進んで行く。
「あ、待ってくれ」
急いで靴を脱ぎ、俺もその後を追う。
その後は糸島の後を黙々と歩き、途中誰とも会うことなく糸島の部屋に入った。
……よくよく考えてみると、舞華以外の女子の部屋に入ったのはこれが初めてかもしれないな。
そんなことを考えながら部屋の中を軽く見回していると、不意に一つの違和感を覚えた。
一瞬気のせいかとも思ったが、そんなことはなかった。この部屋、舞華の部屋にしか見えない。
部屋の中に散乱している数個のぬいぐるみ。毎日目にしている家具の数々。どれも舞華の部屋にあるものだ。
「どうですか、お兄さん? この部屋、舞華の部屋にそっくりでしょう?」
そっくりだって? これはそんなレベルじゃない。舞華の部屋そのものだ。
唖然とする俺に、したり顔で糸島は語る。
「実は前回舞華の部屋に入った時、舞華の部屋にあるものを全部調べておいたんですよ。昨日ようやく完成しました」
「……聞きたくないけど、一応聞かせてくれ。どうしてこんなことをしたんだ?」
「より舞華の気持ちを理解するためですよ」
なるほど。意味が分からん。分かったのはこいつの異常な行動力だけだ。
こんなことで舞華の何が分かるのか聞きたいところだが、世の中知らない方がいいこともあるというし、やめておこう。……別にひよったわけではない。
「そ、そういえば親とかはいないのかよ? 挨拶だけでもしておきたいんだけど」
これ以上この部屋の話題はマズい。そう考えて話題を逸らすことにした。
糸島は俺の質問に特に疑問を持つことなく応じる。
「いませんよ。ウチの両親は昔から仕事が忙しい人たちなので、休日だろうと基本家にはいません。確かお兄さんの家もそうでしたよね? 舞華から聞いたことがあります」
「まあな……」
こいつも家に両親がいないことが多いのか。何だかウチと似ているな。
そんな風に少し仲間意識のようなものが芽生えていたところで、唐突に一つの疑問が湧いた。
「なあ、今この家って俺たち以外に誰もいないのか?」
「いませんね。私は一人っ子で兄弟もいませんし」
「……ということは、今この家にいるのは俺たち二人だけってことになるな。お前、俺と二人きりで大丈夫なのか?」
「何がですか?」
「何がって……」
あれ? 普通異性と誰もいない家で二人きりってのは、警戒するものなんじゃないのか? 特に女子なら身の危険を感じてもおかしくないはずだ。
だというのに、糸島はそんな素振りを全く見せない。俺が意識しすぎてるだけなのか?
変に警戒されるよりはマシだが、全く危機感を持たれないというのも、それはそれで釈然としない。
……もしかして、こいつにとって俺は男と認識されてないのだろうか? だとしたら地味にショックだ。
いやまあ、同性の舞華を恋愛対象として見ているのだから、そういった発想自体がないかもしれないが……。
「どうかしましたか、お兄さん?」
「……何でもないから気にするな。それよりもさっさと本題に入ろう」
この件に関してはいくら考えても意味はない。そう思い、さっさと本題に入ることを促す。
「それもそうですね。では早速――」
そこから日が暮れるまで、俺は糸島と長々と話し合うのだった。
『十一月二十五日。
本日は土曜日。本来ならお兄様と一日家でゆっくりしているつもりでしたが、残念なことにお兄様は友人と試験勉強の予定があるため、午後から家を空けるとのこと。
本当は行ってほしくありませんでしたが、試験勉強はとても大切です。お兄様のためを思い、ワガママを言うのは我慢しました。
その後は私もお兄様に習って試験勉強をしていました。
大体三時間ほど勉強したところで集中力が切れてきたので、合間の息抜きに近所を散歩していたところ、新島さんに会いました。新島さんは近所というほどではありませんが、同じ中学だったこともあり家は近い方です。
なのでこうしてばったり会うことも普段ならおかしくないのですが、今日に限っては話が違います。
お兄様は友人の家で試験勉強をすると言ってました。ここで言う友人というのは間違いなく新島さんでしょう。というか、新島さん以外に友達などいるはずもありません。
しかしそうなると、この場に新島さんがいるのはおかしい話です。
一応新島さんに確認してみると、案の定お兄様と勉強の約束などしてないとのこと。
つまりお兄様は、未来の妻である私に嘘を吐いたということです。妻に嘘を吐いてまでの外出。これは十中八九浮気でしょう。
ああ、私はとても悲しいです。浮気は裏切りと同義。つまり私はお兄様に裏切られたということになります。これは悲しまずにいられません。
何か私に落ち度でもあったのでしょうか? もしそうなら謝りますし頑張って直します。だから私のところへ帰ってきてください、お兄様。
お兄様が帰ってきてくださるのなら、私も今回の件は寛大な心で許してあげます。
ですからお願いしますお兄様。もう一度私にチャンスをください。今度はお兄様に浮気などされないよう、しっかりと頑張りますから』
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