嘘を吐くSIDE澪
――時を遡ること三十分と少々。
「お待たせ……慎吾っち」
黒色の空の下、俺に声をかける者がいた。澪だ。
場所は昨日澪が告白してきた、人気のない校舎裏。日が昇るにはまだ早く校舎の灯りもないため、周囲は真っ暗だ。
街灯の光のみが、かろうじて互いの顔が分かる程度に差すのみ。
そんな時間帯になぜ俺と澪がこんな場所にいるのかというと、何てことない。単純に俺がスマホで呼び出しただけだ。
時間が時間だけに気付いてくれるか不安だったが、その不安は目の前にいる澪が解消してくれた。
「こんな早朝に呼び出して悪いな」
「ううん、気にしないで。それよりも話があるってことだったけど……それは告白の返事をするって受け取っていいのかな?」
「ああ、それでいい。そのつもりでお前を呼んだからな」
澪が息を呑む気配が伝わってきた。
……俺も覚悟を決めなければならない。しかしその前に、
「澪、返事をする前に一つだけ訊かせてくれ」
「……何?」
「どうして、俺なんかを好きになってくれたんだ?」
告白してくれた相手にするには、少々不粋かもしれない問い。だがどうしても気になってしまった。こんな何の取り柄もない男のどこを好きになったのか。
当然澪に答える義務など存在しないし、答えなかったからといって俺も何かするつもりなどない。
俺の問いに数秒ほど悩むような素振りを見せた澪だったが、何か決心できたのか口を開く。
「慎吾っち、一年前、初めて会った時のことは覚えてるって言ってたよね?」
「ああ……」
あれほどのことを忘れろというのが無理な話だ。もしかして、そんなに前から俺に好意を抱いていてくれたのだろうか?
「あの時慎吾っちは、私の趣味を知っても笑ったり軽蔑したりしなかったよね? 今だから言えるけど、あの時点で慎吾っちこと、かなり好きになってたんだ。それからも慎吾っちの新しい面を知る度にどんどん好きになっていって……あははは、こうして説明すると、何だか恥ずかしいね」
どこか照れ臭そうに頬をかきながら、澪は説明してくれた。
聞いてるこっちまで顔が熱くなってしまうような内容だ。だが同時に、どうして澪が好意を寄せてくれたのか納得できた。
「えへへ……結構つまらない理由だったでしょ? 私もね、自分でかなり単純だなって思ったんだ。……笑っちゃうよね?」
言いながらはにかむ澪。
確かに単純かもしれない。けれど、俺は澪の言うように笑う気にはなれない。
どんな理由であれ、俺を好きと言ってくれたことは、純粋に嬉しかったのだから。
「私が慎吾っちのことを好きになった理由はこんな感じかな……慎吾っちの答えを訊いてもいい?」
澪のまっすぐな視線が俺を射抜く。
正直なところ、俺は未だに澪への返事を迷っていた。
本当なら、もっと考えてから返事をしたい。だがそんなことをすれば、返事をする前に澪が殺されてしまう。
だから俺は口にする。本心など欠片も籠っていない、空虚な答えを。
「お前の気持ちには――答えられない」
「…………ッ!」
次の瞬間、澪が表情を今にも泣き出しそうなものへと歪めた。
その表情を見たと同時に、胸が締め付けられたかのように痛んだ。俺の言葉が澪を悲しませてるという事実に、罪悪感を覚える。
だが今更撤回することなどできないし、するつもりもない。最早後戻りは許されない。
「そっか……」
どれほどの時が流れただろうか。一瞬のようにも永遠のようにも感じられる沈黙の中、何かに耐えるようにしながら澪は呟いた。
「……理由を訊いてもいいかな?」
フラれた理由が気になるのは当然のことだろう。しかしバカ正直に理由を話すことはできない。
だから嘘を吐く。最低最悪の、決して許されてはいけない嘘を。もしかしたら口汚く罵られるかもしれない。殴られるかもしれない。
だが、それで澪の気が晴れるのなら甘んじて受けようと思う。それぐらいしか、俺が澪に償える方法はないのだから。
「俺……好きな人がいるんだ」
誰かを好きになったこともない人間が吐くには、あまりにも滑稽な嘘。
澪に対して不誠実な答えであることは分かっている。だがそれでも、やめるつもりはない。
澪の反応はどんなものだろう? 泣いてしまうだろうか? それとも怒るのだろうか?
疑問は尽きない。しかし答えはすぐに分かった。
「……ありがとうね」
澪の反応は俺にとって予想外のもの――感謝の言葉だった。
「どうして……お礼なんか言うんだよ?」
ここは怒ったり泣いたりしていいところだ。お礼を言う意味が分からない。
澪は俺の同様に気付いた様子もなく、話を進める。
「慎吾っち、目元にクマができてるよね」
「あ、ああ……」
鏡でもないと確認のしようがないが澪の指摘通り、恐らく目元には濃いクマができているだろう。
昨日は翔と話した後、今日に備えてちゃんと寝ようとしたが、緊張のあまり眠ることができなかった。おかげで睡眠不足のままここに来た。
今のところ強い眠気が襲ってきてはいるが、耐えられないものではない。
「そんな風になったのって、私の告白への返事を悩んでたからだよね?」
「それは……」
違うと言いたかった。
俺はお前の告白への返事を考えることを放棄したんだ。このクマは、お前が考えてるような理由でできたものじゃない。
俺には感謝される資格なんてない。俺にはそんな優しい言葉をかけてもらう資格なんてない。
いっそ罵ってくれた方が楽だった。それなら、この胸を刺すような罪悪感に苛まれることもなかったのに。
「慎吾っちがそんなんになるまで悩んでくれただけで、私とても嬉しいって思ったんだ。だから私に言えることがあるとすれば、それはやっぱり『ありがとう』だよ」
澪は俺の目を見てそう言い切った。その瞳が涙で濡れ始めているにも関わらず。
そんな澪の健気さに、不意に涙が溢れそうになった。しかし俺にそんな甘えは許されないので、拳を強く握り締めて堪えながら、
「なら俺も言わせてくれ。俺を好きになってくれてありがとう。凄く嬉しかった」
意味がないと知りつつも、せめてもの想いで彼女に感謝を伝えた。
その言葉を最後に、俺はこの場を後にする。
次に向かう先は正門。そこで舞華を待つ予定だ。
数歩進んだところで背後から嗚咽混じりの泣き声が聞こえたが、決して振り返りはしなかった。
――俺にはもう、澪にかける言葉は存在しないのだから。
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