嘘を吐くSIDE舞華
時刻は午前六時の早朝。まだ空は日が昇っておらず、周囲は静寂と暗闇に支配されていた。
学校の方も生徒は寝静まっており、教師もまだ出勤するような時間ではないので一人もいない。
そんな人気の少ない時間帯に、俺は学校の正門前にいた。
なぜ正門前にいるのかというと、ここで人を待っているから。
ただ肝心の待ち人がいつ来るのかは、俺にも分からない。そのため、すでに三十分近くこの場から動かず待ち続けている。
ただ根拠はないが確信はあった。この時間帯にあいつは動くだろうと。
更に待つこと数分。眼前に人影が現れた。街灯の光以外当てになるものがないため、ここからでは人影の正体は視認できない。
だが俺には正体は分かっていた。
「――舞華」
名前を呼ぶ。同時に、街灯の下に人影――舞華の姿が晒された。
感情の読めない表情ながらも、昨日と変わらず、どこか尋常ならざる雰囲気を身に纏っている。
俺の姿を確認した舞華は軽く目を見開きながら、
「……どうして兄さんがここに?」
「そういうお前こそ、どうしてこんな朝早くに学校にいるんだよ? いくら生徒会長だからって、登校するには早すぎないか?」
「質問に質問で返さないでください」
感情の窺えない表情のまま、舞華は淡々と言葉を返した。
「もう一度訊きます。どうしてここにいるんですか? まだ起きてるような時間帯ではありませんよね?」
「普段から俺はこの時間に起きてるだろ?」
「それは……」
言葉に詰まる舞華。
俺は普段から家事のために早起きしていることを思い出したのだろう。会話で珍しく舞華から一本取れた。
「確かにその通りですね。兄さんは毎朝この時間には起きてました。ですが、だからといってなぜわざわざこんな場所に? 誰かと待ち合わせでもしてたんですか?」
「待ち合わせというよりは、待ち伏せしていたという方が正しいけどな」
「どういうことですか?」
「俺が待ってたのはお前だよ、舞華」
俺の言葉に、舞華は軽く目を見張る。しかしすぐに表情を元に戻し、口を開く。
「こんな朝早くから私を……何か用があるということですね? いったい何の用ですか? 私は少し用事があるので、手短にお願いします」
「安心しろ。そんなに手間は取らせない」
そこまで言って、一度深呼吸をする。
何とか舞華と対話するところまでは持ち込めた。これでようやくスタートライン。ここから先は、俺の話術にかかっている。
「舞華、昨日の話の続きだ。お前は昨日、澪の告白を覗き見してたよな?」
「告白? いったい何のことを――」
「
「…………!?」
決して大きな声を出したわけじゃない。ただ真剣に舞華の目を見て話しただけだ。だがたった一言で舞華は押し黙った。
「舞華、頼むから正直に答えてくれ」
重ねて懇願する。思えば、舞華とここまで真剣に話すのは初めてかもしれない。
「……兄さんの言う通りです。確かに私は昨日、告白の一部始終をこっそり覗き見してしまいました。ですが、それがどうかしましたか?」
覗き見していたことに対して何の謝罪もなく、逆に聞き返してきた。我が義妹ながら、その胆力には呆れを通り越して感心してしまう。
だが、今舞華はハッキリと覗き見していたことを認めた。これでようやく話を前進させられる。
「実はさ、ここに来る前に告白の返事をしてきたんだ」
「…………!?」
能面のようだった舞華の表情が、ここに来て初めて崩れた。まるで今にも泣きそうな、弱々しい顔になる。
いや、反応はそれだけではない。よくよく全体を観察してみると、肩は微かに震えており、両拳は力強く握り締めたためか血が出ている。
「……何て返事をしたんですか」
絞り出すような声音で、恐る恐る舞華が問う。
ここだ。ここからが一番重要なところだ。ここで間違えれば、俺の策は失敗に終わる。
そう考えた途端、緊張からか今更ながら怖くなってきた。心臓の鼓動が早くなる。嫌な汗が吹き出す。
軽い眩暈すら覚えたが、それでも何とか耐えて舞華に返答する。
「――断った」
「え……」
舞華らしからぬ間の抜けた声が漏れた。表情も先程までとは打って変わって、驚愕の色に染まっている。しかし俺は気にすることなく続ける。
「ここに来る三十分前に返事は済ませてきたんだ」
「……随分と早い時間に返事をしたものですね。相手の迷惑を考えない辺り、流石は兄さんと言わせてもらいましょうか」
少し調子が戻ったか、いつも通りの口調で俺を俺を罵る。
「それで、どういう理由でお断りしたのですか? 私の記憶が正しければ、鎌田さんはとても可愛らしい容姿の女性だったはず。差し支えなければ教えて下さい」
本来ならばデリカシーの有無を問われかねない質問。だが俺は元々回答を用意していたので、すぐさま答える。
「好きな人がいるって言って断った」
「…………!」
二度目の驚愕。しかし次の瞬間、その表情は険しいものへと変わった。恐らく、俺の言った好きな人に怒りでも抱いているのだろう。
しかし残念なことに、俺に好きな人なんていない。そんなのは舞華の怒りを澪から逸らすための嘘だ。
実際のところ怒りの対象が変わっただけで、根本的な解決にはなっていないが問題ない。
これから吐くもう一つの嘘でその問題も取り除く。
「俺の好きな奴さ、澪と比べると全然素直じゃない上に可愛げもない奴なんだよ。いつも人のことを罵倒してさ。何度泣きそうになったことか」
「…………ッ」
ギリっと歯を食い縛る音が聞こえたが、構わず続ける。
「でもさ、その分自分にも厳しい奴でさ。生徒会役員の仕事をいつも頑張ってるんだ」
「え……」
舞華が目を丸くした。普段なら俺の前では絶対に見せない顔だ。
「しかも一年生で生徒会長をしているんだよ。俺の好きな人は、そういう何でも頑張る努力家なんだ」
いつも俺のことを罵倒して生徒会長をしている。ここまで聞けば俺の好きな人というのが誰のことかは自ずと想像がつくだろう。
その証拠とでも言うべきか、舞華の表情はこれまで見たこともないほど穏やかなものに変わっていた。
「ふふふ、そうですかそうですか。全く、兄さんはどうしようもないほどのおバカさんですね。もしかしたら兄さんの人生において、最初で最後の告白だったかもしれないんですよ? それを断るなんて……ふふふ、兄さんは所詮兄さんということなんですね」
クスクスと舞華の口元から笑みが漏れている。
そんな舞華の様子に、俺は思わず小さなガッツポーズを作ってしまった。
俺の考えた策は、舞華に俺が好きなのは自分であると勘違いさせること。
こんなことをしても何の解決にもならない。ただ問題を先延ばししているだけであることは理解している。
だがこれしかなかった。舞華に罪を犯させず、澪に害が及ばないようにするためには、この策しかなかったのだ。
そのために俺は許されないことをした。義妹である舞華を騙し、勇気を出して告白してくれた澪には、その想いに本心から答えることができなかった。
――多分今日の出来事を、俺は一生忘れないだろう。
未だに眼前で満面の笑みを浮かべている舞華を見ながら、俺は胸を締め付ける罪悪感と共にそんな益体もないことを考えていた。
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