親友

 舞華の説得に失敗した俺は、その後もう一度舞華と対話することなく学校に戻った。


 学校に戻ると翔に何も言わずにいなくなるなと叱られた。どうやら翔は俺がいきなり学校を飛び出したことを澪から聞いたらしく、大層心配していたようだ。


 心配させてしまったことを悪いとは思ったが、あの時はとっさのことだったので許してほしい。


 クラスのみんなに謝罪した後、俺は作業に戻った。途中何度か澪に話しかけようと思ったが、何を話していいのか分からなかったし、向こうも俺を避けているようだった。


 おかげで同じ教室内にいたにも関わらず、一言も喋れなかった。だがそんなことでは状況は何も変わらない。


 明日舞華が何かやらかすのはほぼ確定。ならば俺がすべきはその対策――つまり、どうすれば舞華を止められるか。


 ……いや、それだけじゃないな。澪の告白に対する答えもまだ出ていない。そちらも大切なことだ。真剣に考えなければ。


 しかし俺は二つの問題を同時に対処できるほど器用ではない。というか、こんな難問を二つ同時に解決できる人間なんてこの世にいるのか?


 作業しながら二つの問題について考えていたが、当然ながら答えは出ず。結局就寝時間を過ぎても、眠ることができず頭を悩ませていた。


「……はあ」


 少し気分転換をしようという考えに至り、眠っている他の男子クラスメイトを起こさないようにそっと教室を出た。


 人気のない真っ暗な廊下に出ると少し寒気を感じ、ブルっと身を震わせる。


 とりあえず教室を出たがどこに行こうか? この時間帯になると警備員も巡回しているので、見つかったら連れ戻されるだろう。


 となると、警備員が巡回しない場所は限られている。その中でも生徒である俺が入れる場所となると……屋上しかないな。


 というわけで早速屋上へ向かう。案の定鍵は壊れていたので、あっさりとドアが開いた。


「…………ッ」


 屋上に出た瞬間、少し強めの冷たい風が身体を襲った。風がある分廊下よりも寒い。


 ドアを閉めてから歩を進め、飛び降り防止のためのフェンスに寄りかかる。


 フェンス越しの景色は街灯以外の光は見当たらず、地味なものだった。すでに日付が変わっているような時間帯なので当然だろう。


 そこからしばらく二つの問題に関して頭を捻ったが答えは出ず。しまいには眠気から欠伸が漏れてしまった。


 このまま教室に戻って寝てしまいたいところだが、それはできない。残された時間はもう少ないのだから。


 俺がやらなければ。自身を奮起させながら再び思考の海に潜り込もうとしたが、


「大丈夫か?」


「…………ッ!?」


 俺以外誰もいないはずの屋上に声が響いた。即座に声のした方を振り返るとそこには、


「よう、親友」


「……驚かせるなよ翔」


 声の主は俺の数少ない友達である翔だった。


「何でお前がここに?」


「それはこっちのセリフだよ。夜中にコソコソ教室を抜け出したかと思えば、何で屋上なんかにいるんだよ?」


「それは……」


「何か悩みでもあるのか?」


 口ごもる俺に、訊ねるというよりは確認するような口調で翔は言った。


「あるなら相談に乗ってやるぞ? 友達なんだからさ」


「…………ッ」


 ……ヤバい、少し泣きそうになった。どうしてこいつは、このタイミングでそんなことを言ってくるんだ? 思わず頼りたくなるじゃないか。


 いや、もう頼らないという選択肢はない。親友の伸ばしてくれた救いの手を振り払うほどの余裕は、俺にはすでになかったのだから。


「……なら遠慮なく乗らせてもらおうか。実は――」


 俺は翔に話した。澪と買い出しに行った際、帰りにゲームセンターに寄ったこと。そこでガラの悪い奴らに澪が絡まれていたので助けたこと。なぜか名前で呼ぶことを強要され、手を繋いで学校まで戻ったこと。


 そして……告白されたこと。澪に関することは包み隠さず全て話した。


 ただし舞華のことだけは一切話さなかった。これは家族である俺が解決しなければならない問題。翔を巻き込むわけにはいかない。


 俺の話を聞き終えた翔はしばし無言を貫いた後、


「そっか……色々と大変だったな」


 そんな優しい言葉をかけてくれた。そろそろ涙腺が崩壊しそうなので、これ以上優しくするのはやめてほしい。


「それで、澪ちゃんの告白への返事はどうするつもりなんだよ? 決まったのかよ?」


「決まってたらとっとと教室に戻って寝てる……」


「それもそっか」


 あっさりと納得する翔。


 何となくイラっと来たがここは堪える。悔しいことに何も答えは出てないから。


 選択肢は二つ。澪の告白にイエスかノウで答えるだけ。


 一見簡単に見えるがそんなことはない。この選択は恐らくどちらを選んでも結果は変わらないだろう。


 真実かどうかは定かではないが、教師を社会的に殺すような奴だ。


 まず告白を受け入れればどうなるかは言うまでもないだろう。十中八九澪を殺しにかかる。


 次に断った場合だが、これもダメだ。そもそも舞華が怒った原因は、俺に手を出したからではないかと予想している。


 もし俺の予想通りなら、告白を断ろう舞華は澪を害するだろう。それでは意味がない。


 そもそも俺は未だに澪のことを異性としてどう思っているのか。それが自分でも分かっていない。


 好きではあるが、これが恋なのか友情なのか判断がつかない。


 脳裏に『八方塞がり』という単語が浮かんだが、諦めるわけにはいかない。諦めてしまえば全て終わってしまうから。


「…………」


 しかしいくら考えても答えが出ない現状に、少し心が折れそうになる。


 いったいどうすればいいのか。どこまで行っても答えの出ない難問に絶望していると、黙ったまま俺の様子を眺めていた翔が不意に口を開く。


「なあ親友」


「……何だよ」


「お前が澪ちゃんのことをどう思っているのか、俺には分からないけどさ……」


 翔はそこで一旦言葉を区切ったかと思えば、視線を俺から空へと移し、話を再開する。


「お前の好きなようにしたらいいんじゃないか?」


「俺の好きなように?」


「そうやって一生懸命悩むのはいいことだけどさ、結局お前自身がどうしたいのか……それが一番大切なんじゃないか?」


「…………ッ!」


 思わず息を飲んだ。


 そうだ、翔の言う通りじゃないか。結局のところ、大事なのは俺がどうしたいか。当然のことだが、二人のことを考えるあまり失念していた。


 俺の気持ち……俺は舞華も澪も好きだ。大切だ。恋とか愛とか、そんなものはよく分からないけど、どちらも失いたくないというこの想いだけは本物だ。


「最初から悩む必要なんてなかったんだな……」


 俺がどうしたいか。答えは最初からそこにあったんだ。


 そこまで考えて一つだけ、たった一つだけだが思いついた。舞華が罪を犯すことも澪が死ぬこともない、唯一の策を。


 だがこの策は。舞華も澪も。そして俺も……。


 ただのその場しのぎでしかない。しかしもう決めたことだ。決意は揺るがない。例え


「……ありがとな、翔。お前が友達で良かったよ」


「や、やめろよ、そういうこと言うの。照れるだろ?」


 顔を少し赤くするという珍しい反応をする翔。


 普段人前で親友親友連呼してるくせに、おかしなところで恥ずかしがる奴だな。


「ははは……」


「あ、何笑ってんだよこの野郎!」


 その後は翔と他愛ない話に華を咲かせた。


 決意を固めた俺の胸には、もう迷いはなかった。

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