焦燥
澪に好意を告げられ、俺が最初に感じたのは恐怖だった。
翔と同じく親友だと思ってた澪からの告白。これは受け入れようが受け入れまいが、今までの関係ではいられなくなる。関係が変わることへの恐怖。
そしてこの告白が舞華に知られた場合、あいつがどんな行動に出るのか。どんな反応をするのか分からない舞華への恐怖。
二つの恐怖が澪の告白への戸惑いを塗り潰していた。
十月終わりの肌寒い季節にも関わらず、嫌な汗が吹き出る。
「慎吾っちは私と同じ気持ち? 答えを聞かせてほしいな……」
澪が答えを催促する。
どうすればいい? どうしたらいい? どう答えるのが正解なんだ?
グルグルと正解を求めて思考を巡らせていると、不意に近くの木から何かが落ちるような音が聞こえてきた。
俺と鎌田の視線が音のした方に集まる。
「誰だ!?」
澪の告白の動揺から過敏に反応してしまい、音のした方へ思わず怒鳴ってしまった。
「…………!?」
俺の声に驚いたのか、音の主はすぐにその場を立ち去った。
しかしこのまま逃げられて、ここで起こったことを吹聴されては困る。元々クラス内に居場所のない俺だけならともかく、澪の場合はかなり困ったことになる。
今すぐ追わなくては。そう思い立ちすぐに後を追おうとしたが、数歩踏み出したところで何かに足を引っかけて盛大に転んでしまった。
「だ、大丈夫、慎吾っち!?」
無様な醜態を晒した俺に澪が駆け寄ってきた。
「あ、ああ大丈夫。ちょっと頭を打っただけ――」
多少痛むがケガはしてない。そう伝えようとしたが、何となく気マズくなり口を閉ざしてしまう。
確実に先程の告白が尾を引いている。覗き見していた奴に向いていた意識が、急速に澪へと引き戻された。
この空気をどうにかしたいが、俺にはその術がない。まだ澪の告白への答えが見つかっていないのだ。
この場ですぐに答えを出さないことが、勇気を振り絞って告白したであろう澪に失礼なことは理解できている。
しかし今の俺には好意を告げてくれた澪に対して、相応しい答えを用意できる自信がない。
今の関係が崩れることを惜しく感じ、どうしても二の足を踏んでしまう。そんなことをしていても、状況が変わるわけでもないのに。
こんな暗い気分でいても答えはでない。俺は逃げるように自分が何に足を引っかけたのか確認してみる。
暗くて多少見えづらかったが、その正体は俺たちも使用する学生カバンだった。
少々気は引けるが中を確認してみた方がいい。中には教科書やノートが入ってるはずだ。当然ながらそこには持ち主の名前も書いてあるだろう。
名前を確認すれば、覗き見していた犯人もすぐに見つかる。今日は無理でも、明日本人のところまで出向いて口外しないよう頼めばいい。
早速カバンの中身を確認しようと手を伸ばして――やめた。
やめた理由は単純。カバンの中身を見なくても、持ち主が特定できてしまったから。
カバンにはハートのネックレスが付いていた。
――まるで誕生日プレゼントとして舞華に与えたネックレスのような。
「…………ッ!」
気が付けば俺は走り出していた。
片手にはカバン。食材や備品の入ったレジ袋はその場に放り捨てた。
「慎吾っち!? どこ行くの!?」
後ろで澪が何事か叫んでいたが、今の俺はそれどころではない。
いつから聞いていた? どうしてあんなところにいた?
いくつもの疑問が脳裏をよぎっては消える。
「はあはあ……!」
学校を出てからすでに数分経過したが、俺は現在家までの道を休むことなく走っている。そのせいで息は乱れ、心臓の鼓動がうんざりするほど耳朶を打つ。
だが止まるわけにはいかない。俺は胸の内をかき乱す焦燥感に駆られながら、舞華がいるであろう自宅へと走り続けた。
自宅のインターホン前に立った俺は、そこで一度深呼吸をする。自分の家なのに嫌な緊張感で身体が固くなってしまった身体を解すためだ。
俺がやるべきことは二つ。
一つ目は澪の告白を口外しないよう舞華に頼むこと。恐らくだが、こちらに関しては問題ないだろう。口外したところで舞華に利益など全くないのだから。
問題は二つ目だ。俺が告白されたことで、嫉妬心から告白した澪に危害を加える可能性がある。
かつて俺をバカにしたというだけで教師を社会的に殺すような奴だ。澪にも同じような……いや、下手したらそれ以上のことをするかもしれない。
だからどうにかして舞華が澪に危害を及ぼすことを阻止する必要がある。
今の俺には阻止するための策なんてものは存在しない。だがそれでも俺はやらなければならない。
俺を好きだと言ってくれた澪のため。そして、大切な家族である舞華のために。
「よし……」
意を決してインターホンを押す。聞き慣れた軽快な音が響き、遅れて徐々に大きくなる足音と共に玄関のドアが開かれた。
「どちら様で――兄さん?」
玄関のドアから舞華が半身を出しながら、俺を見て軽く目を見開いた。
「どうしてこんなところに? 今日は学校に泊まり込みのはずでは?」
「……少しお前に訊きたいことがあってな」
「私に……ですか?」
首を傾げる舞華。俺が何を聞きたいのか見当も付かないと言いたげな様子だ。
そのあまりに自然な様に一瞬覗き見していたのは舞華ではないのでは? と思ってしまったが、落ちていたカバンが舞華のものだったのでそれはない。
つまりしらばっくれてるということだ。だが俺はすでに証拠を掴んでいるので、そんな小細工は無駄だ。
「なあ舞華。さっき覗き見してたのは、お前だな?」
だから真っ向から堂々と訊くことにした。
「覗き見……いったい何のことですか?」
素知らぬ表情の舞華。だが俺は追及することをやめない。
「惚けても無駄だ、舞華。こっちには証拠だってあるんだ」
言いながら、片手に握っていたカバンを舞華にも見えるように掲げる。
「これはお前のだよな、舞華? あの場に落ちてたんだ」
「確かにそれは私のカバンですね」
またシラを切るかと思ったが、舞華はあっさりと認めた。予想外ではあるが俺にとっては都合がいい。そう思っていたが、
「ずっと探してたんですよ。どこにありましたか?」
「どこにってお前……」
未だに惚ける舞華に二の句が継げなくなる。どうしてこいつは表情一つ変えることなく嘘を吐けるんだ?
「ふふふ。そんなおかしな顔をしてどうしたんですか、兄さん?」
俺が証拠を提示したにも関わらず、動揺しないどころか絶句する俺を見て微笑を漏らした。
「舞……華?」
目の前にいる少女が本当に俺の義妹なのか分からなくなってしまう。
少なくとも俺の知る義妹は、俺に優しげに微笑んだことはない。そんなに穏やかな声音で俺と言葉を交わしたことはない。
そこでようやく俺は一つの違和感に気付いた。
舞華の瞳が普段のような冷めたものではなく、黒く濁った底なし沼のようになっていることに。
そしてそれに気付いたと同時に、俺の全身はガタガタと震えていた。普段と比べると俺の扱いは良くなっているのに、今は恐怖しか感じられない。
何よりも恐ろしいのは、その濁り切った瞳が俺を映していないこと。今の舞華は俺を見ているようで見ていない。あの濁り切った瞳が何を映しているのかまでは分からないが、それだけは確信できる。
恐怖に身を震わしていると、舞華は俺の手からカバンを奪い取った。
「もしかして、これを届けるためにわざわざ学校を抜け出してきたんですか?」
「あ、ああ……」
「そうですか。ありがとうございます、兄さん」
舞華が笑みを深める。最早、舞華の一挙一動が恐ろしい。すぐにでも行動を起こしそうな危うさが、今の舞華にはあった。
恐怖が全身を支配している俺に、舞華は笑みを携えながら口を開く。
「兄さんもそろそろ学校に戻った方がいいんじゃありませんか?」
「え……いやまだ話は終わって――」
「それではお休みなさい、兄さん。また明日、お会いしましょう」
俺の訴えも空しく、話を強引に打ち切った舞華は玄関のドアは閉ざした。後に残ったのは呆然と佇む俺だけ。
結局大事な話は何もできなかった。今からもう一度話をしたとしても、恐らく話は進展しないだろう。
もしここに来た収穫があるとすれば、それはただ一つ。
――明日、舞華は行動を起こす。
そんな確信にも似た予感。それだけが舞華との会話から得られたものだった。
『十月二十九日。
お兄様と兄弟になってから九年と九ヶ月十三日。いつかこんな日が来るとは思っていました。
いえ、むしろ今までお兄様にそういった話が来なかったことの方がおかしかったんです。
なので、お兄様の魅力に気付いた鎌田さんのご慧眼には称賛の言葉を送ってあげたい気分です。
ですが、調子に乗ってお兄様に手を出したのはいただけませんね。お兄様を困らせるだけということが分からないのでしょうか?
お兄様を困らせた罪はとても重いです。本来なら死すら生温い罰を与えたいところですが、お兄様のご友人であることを考慮して、その命を以て償いとしてあげましょう。
大丈夫。私が優しく、それはもう溢れんばかりの愛を込めて殺してあげます。
きっとお兄様は鎌田さんの死に胸を痛めるでしょうが問題ありません。
お兄様の隣で私がずっとずっと慰めてあげます。お兄様の中から鎌田さんの存在が消え去るその時まで。
しかし問題はこれだけで終わりではありません。ここで終わりにしてしまえば、また第二第三の卑しいメスが現れるでしょう。
なので私は一つの対策を思いつきました。
今回のような事態に至ったのは、外の世界が危険だからです。今後お兄様には一生自宅で過ごしてもらうことにします。
お兄様に多少の不便を強いてしまうのは心苦しいですが、問題はありません。私の愛があれば、お兄様は何もいらないはずですから。
ふふふ、私とお兄様の愛の巣の完成ですね。
明日が楽しみです。ああ、待っていてくださいね、お兄様。
邪魔なメスは私が消してあげます』
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