一年前

 ――それは一年前の秋頃のことだった。


「はあ……」


 場所は放課後の図書室。貸し出しカウンターの席に腰をかけていた俺は、思わず溜息を吐いた。


 放課後となれば特に用事のない生徒は帰宅しているだろう。残っているのは部活や委員会のある生徒ぐらいだ。


 そして放課後に図書室に残っている生徒となれば、利用者を除けば図書委員のみだろう。


 しかし残念なことに俺は図書委員ではない。無論利用者でもない。


 ならばなぜ放課後にこんな場所にいるのかというと、本来の図書委員に頼まれたからだ。


 ことの発端は今日の昼休み。俺が教室でボッチメシをしていたらクラスメイトの女子に話しかけられた。


 翔以外の生徒とまともに会話をしたことがない俺は当然ながら警戒したが、話の内容を聞いて脱力してしまった。


 内容は急用ができたので図書委員を代わってほしいとのことだった。


 しかし面倒に代わりはないので当然断ったが、しつこく何度も懇願してきた。そしてこれ以上会話するのが面倒だったのでお願いを聞き入れてしまった。


 ……いや、あれはお願いされたというよりもほとんど押し付けられたようなものだったな。


 相手は名前こそ覚えてなかったが、クラス内ヒエラルキー上位の人間だったはず。そんな奴の要求を俺のようなクラス内ヒエラルキー底辺が断れるはずもない。


 あの子は多分その辺も見越して俺に頼んだのだろう。流石はクラス内ヒエラルキー上位者。抜け目がない。


 まあそんなわけで今日の俺は臨時図書委員をしているのだが、


「ヒマだ……」


 特にやることもなく退屈なのだ。


 普段から人の出入りが少ない上、放課後ともなれば尚更だ。


 今は一応俺以外にも一人女子の利用者がいるが、そいつは本を読むでもなく図書室の机で何かを一心不乱に書いている。


 変な奴が来て面倒なことになるよりはマシかもしれないが、これはこれで退屈なので困る。


 仕方ないので図書室の本を適当に選んでそれで時間を潰すことにした。


 そこからしばらくの間、静寂が図書室内を支配した。本の内容は意外にも面白くそこそこ没頭していると、チャイムの音が耳に届いた。


 これは午後六時を知らせるためのチャイムだ。図書室は六時になったら閉めることになっているので、利用者を追い出して部屋に鍵をかけなくてはいけない。


 周囲を確認すると、先程までと変わらず一人の女子が何かを書いていた。チャイムに気付いた様子もない。



 彼女がいたままじゃ俺は帰れないので、仕方なく彼女のいる席まで歩んで声をかける。


「あの、閉館時間なんですけど」


「…………」


 しかし返事はない。余程集中しているせいか、聞こえてないのだろう。


「ん……?」


 そこで気付いた。目の前の少女がクラスメイトの鎌田であることに。


 あまり接点のない鎌田の名前を覚えていたのは、彼女がクラス内ヒエラルキー最上位の人間だったから。


 そんな彼女がどうして放課後に一人、それもこんな場所にいるのかは謎だがそれはひとまず置いておこう。


 今は早くこの部屋から出てほしい。俺の声が聞こえてないようなので、今度は肩を揺すってみる。


「きゃ……ッ!?」


 短い悲鳴があがった。どうやらようやく気付いてくれたようだ。


 しかし反応はそれだけに留まらず、何と大きく仰け反りそのまま椅子ごと背中から床に落ちてしまった。


 同時に机の上にあった数枚の紙が宙を舞う。


「あ……!」


 紙は全て音もなく床に落ちた。流石に散らばったものを放置はできないので拾おうとしたが、


「自分で取るから触らないで!」


 未だに立ち上がろうとしない鎌田がそう叫んだ。スカートの中が見えそうなので、叫ぶよりも先に起きてほしいところだ。


 しかも注意が遅い。すでに俺の手には回収した紙がある。


 いったい何をそんなに慌てているのかと疑問に思いながら手元の紙に視線を落とすと、


「…………」


 思わず言葉を失ってしまった。


 俺の視界には、漫画のようにコマ分けされた中で男が合体(物理)している絵が映っていた。所謂BL漫画というやつだろうか。


 なぜ鎌田がこんなものを持っているんだ? というか、もしかしてさっきまで一生懸命書いてたのはこれなのだろうか?


 これが本当に鎌田のものなら、こいつは腐女子ということになる。あのヒエラルキー最上位の鎌田が腐女子……意外すぎる。


「なあこれ――」


「さ、さようなら!」


 訊ねようとした俺の声に被せる形で叫ぶようにそう言うと、鎌田は学生カバン片手に逃げるようにして図書室を去った。


 後に残ったのは俺と、


「これ……どうすればいいんだ?」


 俺の手元のホモ原稿のみだった。






「何だこれ?」


 次の日の朝、上履きに履き替えようと下駄箱の戸を開けたところで上履き以外のものがあることに気付いた。


 取り出してみると、正体は便箋であることが分かった。可愛らしい花のシールで封をされていることから、差出人が女子であることは容易に想像できる。


 早速中を確認してみる。出てきたのは半分に折り畳まれた一枚の紙。内容は『放課後図書室にて待つ』というものだった。


 内容だけで差出人が誰なのかは大体見当がついてしまう。


 別に応じる必要はないが、ここで無視すると余計面倒なことになりそうだ。それに幸か不幸か、あいつが昨日忘れていった原稿は今日持ってきている。


 見つかれば俺の性癖を疑われかねないが、家に置いとくよりはマシだと思って学生カバンの奥の方に突っ込んでおいたのだ。


「行くしかないか……」


 なぜ朝っぱらからこんな気分にさせられなくちゃいけないのかと泣きそうになりながら、俺は教室へと向かうのだった。


 ――そして放課後。


 指定された図書室までやってきた。


 同じクラスなのだからわざわざこんな場所ではなく教室すればいいのでは? とも思ったが、こういう場所を選んだということはやはり人の目が気になったのだろう。


 数分もするとガラガラと音を立てて図書室のドアが開かれた。入ってきたのは鎌田だった。


「……こっち来て」


 そう呟いて俺の手を引き図書室の奥の方まで連れて行く。今日は正規の図書委員がいるから、そいつに見られないようにするためだろう。


 左右を本棚に挟まれ、正面には鎌田。さてどう話を切り出したものかと考えていると、


「昨日のことは黙ってて!」


 鎌田はいきなりそう懇願しながら深々と頭を下げてきた。


「昨日のことって……これのことか?」


 カバンから取り出したのは例のホモ原稿。顔をあげた鎌田がそれを視界に収めて瞬間、

さっと顔が青ざめた。


「ど、どうして君が持ってるの!?」


「どうしても何も、お前が昨日忘れたのを回収しておいたんだよ。何かマズかったか?」


「う、ううん。むしろありがとう。他の人に見られてたらどうなっていたことか……」


 胸を撫で下ろす鎌田。しかし次の瞬間にはすぐにバツの悪い表情になる。


「それでさっきの話の続きなんだけど……それのことは誰にも言わないでくれる? 私にできることなら何でもするからお願い!」


 両手を合わせ、そう頼み込んできた鎌田。余程人に知られたくないらしい。まあ当然か。


「私がそういう趣味を持ってるなんて知られたら、みんなから軽蔑されちゃうの! だからこの通り!」


「いいぞ」


「私にできる範囲のことなら本当に何でもするから――って、え? いいの?」


 俺の言葉に鎌田が目を丸くした。なぜそんな反応をしたのかは知らないが、頷いてみせる。


「本当の本当にいいの?」


「くどい。いいって言ってるだろ。それとも、何か頼まれたいのか?」


「そういうわけじゃないけど……」


「ほら、これ返すぞ」


「あ、ありがとう……」


 恐る恐るといった手つきではあるが、鎌田は俺から原稿を受け取った。


「話はこれで終わりだな? じゃあもう帰らせてもらうぞ」


 これ以上こいつと話すことはない。そう思い図書室の出口へ向かおうとしたところで、


「待って」


 なぜか鎌田に呼び止められた。


「何だよ? まだ何か用があるのか?」


「……気持ち悪いとか思わないの?」


「何が?」


「そういう絵を書いてること」


 どこか怯えた様子で呟くように言葉を吐いた。


 どういう意図なのかは分からないが、眼差しは真剣そのもの。答えをはぐらかすことは許されそうにない。


 なので一度重たい息を吐いた後、口を開く。


「別に気持ち悪いなんて思わねえよ。変わってるとは思うけど、それも人それぞれの個性だろ?」


「…………!」


 驚愕したのか瞳を大きく見開く鎌田。俺は何かおかしいことを言ったのだろうか?


「そっか。甘木君はそういう……」


 しかしそんな俺の不安を余所に、鎌田の表情は驚愕から笑みへと変わっていた。


「ねえねえ甘木君。これからは慎吾っちって呼んでもいい?」


 そして何を思ったのか、いきなり馴れ馴れしい提案をしてきた。


「はあ? いきなり何だよ?」


 俺は翔のことを名前で呼ぶのに一年かかったというのに……これがヒエラルキー上位の人間のコミュ力なのか!?


「ねえねえいいでしょ? ケチケチしないでさあ」


「断る」


「そんなこと言わないでさあ」


 その後何度もしつこく慎吾っち呼びを懇願され、あまりのウザさに俺も了承してしまった。……数日後には思い切り後悔したが。


 ちなみにあの日図書室でBL原稿を書いてたのは、即売会が近くて帰る時間も惜しかったという理由からだった。


 ――これが俺と鎌田澪との出会い。色々なことを経て、俺はこいつを翔と同じくらい大切な親友だと思った。三人でいつまでもこんな気安い関係を続けていたい、そんなことを願ったりもした。


 ――告白される、その瞬間までは。

 

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