放課後の寄り道その3
「見て見て慎吾っち! この服可愛くない!?」
駅の中にある女性用の服屋の試着室の前に立つ俺に、鎌田が試着した服を見せつけてきた。
「可愛い可愛い。似合ってるよ」
「もう! もっと真剣に答えてよ!」
おざなりな評価に頬をぷくっと膨らませながら、鎌田が抗議してくる。
センスのなさについては舞華からお墨付きをもらってる俺に、まともな答えを期待しないでほしい。
「なあ俺外で待ってていいか?」
いくら連れに鎌田がいるとはいえ、この場所は男が入るには少し敷居が高い。今もチラチラと他の女性客が俺の方に視線を向けているのがとても辛い。
なので一刻も早くここから出たいのだが、
「ダーメ。もっとちゃんと褒めてくれるまでは、絶対に逃がさないから」
鎌田は俺の手を掴んで、ここを離れることを許してくれない。
そもそもなぜ俺たちがここにいるのかと言えば、言い出しっぺにも関わらず特にプランのなかった俺が原因だ。
この辺りを見て回ることを提案したのは、鎌田を本屋から引き離すためのものだった。そのため当然ながら、具体的な目的もなかった。
なので行き先は鎌田に委ねることにしたのだが……いったいどうしてこんなことになってしまったのだろう?
気が付くとこんなところに連れ込まれていた。
鎌田は試着してる服を見せつけるように色々なポーズを取りながら、口を開く。
「ほらほら。何かないの? 私をドキっとさせるような褒め言葉は」
「…………」
ニヤニヤと気色の悪い笑みと共に煽ってくる鎌田に多少の苛立ちを覚えた。
しかしわざわざ安い挑発に乗る必要性はない。こんなところはさっさと出るに限る。
「先に出てるぞ」
「ちょっ……待ってよ慎吾っち!」
鎌田の制止の声を無視して俺の手を掴んでいた鎌田の手を振りほどき、俺は店を出た。
「……慎吾っちのバカ」
店を出る直前、背後の鎌田が何か呟いたが、どうせ恨み言だろうと思い問い質すようなことはしなかった。
「おい待てよ鎌田」
「…………」
淡々と前を歩く鎌田に呼びかけるが、応じる様子は全くない。
かれこれもう十分は同じようなことを続けている。正直、どうしてこんなことになったのか全く分からない。
俺が店を出た後、数分と経たず鎌田も出てきたが、特に何かおかしなことがあったというわけでもない。
しかしなぜか一言も口を利いてくれず、現在も駅の中を歩き続けている。
帰宅ラッシュの時間帯なのか、駅の中はスーツの男性が多く追いかけるのも一苦労だ。
いい加減歩くのも疲れてきたので、声をかけてみる。
「なあ鎌田。俺、何か悪いことでもしたのか? もしそうなら謝るから、せめてこっちを向いて話を聞いてくれ」
「…………」
会話してくれる気になったのか、鎌田は歩みを止めてこちらに振り返る。
「ねえ慎吾っち。どうして私が怒ってるか分かる?」
「それは……」
ハッキリ言って分からない。しかしそんなことをバカ正直に言ってしまえば、またヘソを曲げられかねない。
なので、何か心当たりはないか必死で頭を巡らせる。
可能性だけで言えば、先程の女性用の服屋でのやり取りが一番怪しい。
しかし鎌田は基本的に温和な人間だ。とてもではないが、あの程度のことで怒るとは思えない。となると理由は他にあることになるが……ダメだ。思い当たる節がない。
「やっぱり何も分かってない……もう知らない!」
なぜか怒り出した鎌田は、背を向けて再び人混みの中を歩き始めた。
「おい待てよ!」
何とか呼び止めようとしたその時、
「きゃ……ッ!」
駅内を行き来する人の内の一人にぶつかり倒れてしまった。
だが行き来する人々がそれに気付くはずもなく、人の波が鎌田に迫る。
当然見過ごせるはずもなく、俺は慌てて鎌田の手を引いて胸元に抱き寄せる。
「ふう……大丈夫か鎌田?」
抱き寄せた鎌田の安否を確認する。すると、
「あ、あわわわわ……!」
口をパクパクと開閉させながら、珍妙な様子で赤面していた。まるでエサを求める鯉のようだ。
「おい鎌田。本当に大丈夫か?」
「も、もちろん大丈夫だよ! ただその……そろそろ離してくれないかな……?」
「あ……」
指摘されてようやく気が付いた。
俺と鎌田の距離がこれまでにないほど近い。といか、これはもう密着している。
鎌田の女性特有の柔らかさが伝わってくる。脈拍が早くなるのを嫌でも自覚してしまう。
これ以上はマズい。急いで離れなければ。
鎌田の方もいくら助けるためとはいえ、俺みたいな奴とくっついてても気持ち悪いだけだろう。
「悪い。今離れる」
鎌田から距離をとる。
「あ……」
離れる直前に鎌田のあげた声が名残惜しそうに聞こえたのは、きっと俺の気のせいだろう。
その後の鎌田は先程までの怒りはどこへやら。借りてきた猫のように大人しくなってしまった。
いったいどういった心境の変化なのか気になったが、訊ねても顔を赤くするばかりで何も答えてはくれなかった。
ちなみに帰宅後は、俺の予想通り舞華は大変ご立腹で、たっぷりとお説教を喰らってしまうのだった。
『九月二十九日。
本日は朝からお兄様を叱ってしまいました。
いつも私のために朝早くから家事をしてくださっているお兄様に、私は何てことをしてしまったのでしょう。どうかお許しくださいお兄様!
お兄様を叱ってしまったのは、お兄様が私以外の方にお弁当を作ることに嫉妬してしまったからなのです。
特に女性の方にもお弁当を作ると聞いた時には、相手の方を八つ裂きにしてしまいたい衝動に駆られたほどです。
もちろん、お兄様が女性と親しい関係になりたいという下心でお弁当を作ったなどとは思っていません。
だってお兄様には私がいるのですから。ですが相手の女性も同じとは限りません。
その証拠に、普段よりも遅い時間に帰ってきたお兄様の制服から、知らない女性の匂いがしました。
私の与り知らぬところで、まるでマーキングでもするかのようにお兄様の制服に自分の匂いを付着させるとは。
きっと匂いの主は畜生にも劣る卑しい女性なのでしょう。お兄様は血肉から髪の毛の一本に至るまで全て私のものです。手を出すなど、万死に値する行いです。
本当は今すぐにでも塵一つ残さず消滅させてしまいたいですが、相手は仮にもお兄様のご学友。消してしまえば、きっとお兄様は心を痛めてしまうでしょう。
私は傷付くお兄様を見たくありません。なので今回だけは見逃してあげましょう。
もちろん、次はありませんが』
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