弁当
それは早朝、朝食の準備をしている最中のことだった。
「兄さん、いつもよりお弁当の数が多いですよ? 前々からデキの悪い頭だとは思ってましたが、とうとうものの数も把握できなくなりましたか?」
二階の自室から出てきた舞華が、テーブルの上にある四つの弁当を見て刺々しい言葉を放った
「違う。これはクラスメイトに頼まれたから、いつもより多く作ってるだけだ」
「クラスメイトに……なるほど、そういうことですか。それなら兄さんはそのクラスメイトの方に感謝しなければなりませんね」
「感謝? どうしてだ?」
別に恩に着せるつもりはないが、作ったのは俺なんだから感謝されるのも俺じゃないか?
「だって塵芥の如し存在である兄さんに、人のために働く機会を与えてくださったんですよ? 感謝するのは当然じゃないですか」
さも当然のように毒を吐く舞華。こいつ、実は心の殺し屋じゃないだろうな?
「ちなみに……誰に作っているんですか? 見たところお弁当は四つなので、二人分多いようですが……」
舞華の瞳が若干鋭くなる。あくまで予想だが……これは下手なことを言ったらマズいやつだろう。
しかしどうしたものか。翔に関しては普通に名前を出しても問題ないだろう。舞華が内心どう思ってるかは知らないが、少なくとも表面上の関係は良好だ。そもそもあいつは男なので、嫉妬としようもないが。
問題は鎌田だ。鎌田は女子。しかも日記で舞華が嫉妬心を剥き出しにした相手だ。迂闊に名前を出せば、鎌田の身に危険が及ぶかもしれない。ここは答えない方がいいな。
「どうしてお前にそんなことを教えなくちゃいけないんだよ? お前には関係ないだろ?」
少し語気を強めてみるが、舞華の表情はピクリとも動かない。それどころか、
「何ですか? 兄さんのくせに私に逆らうんですか? 生意気ですよ。兄さんはただ私の質問に答えるだけでいいんです。まさかその程度のこともできないなんて……言いませんよね?」
おかしいな。どうして俺は妹相手にここまでボロクソに言われているのだろう? 自分の家庭内ヒエラルキーの低さに涙が溢れそうになる。
しかし泣いてばかりもいられない。こうなったらその場しのぎではあるが適当な嘘を、
「先に言っておきますが、もし嘘を吐こうものなら……分かってますね?」
「……はい」
具体的に何をされるのかは知らないが、怖いから逆らえない。つまり俺に逃げ道はないということだ。
――すまない鎌田。
胸中で鎌田に謝罪しながら、絞り出したような声音で二人の名を口にする。
「翔と……鎌田だ」
「翔というのは新島さんのことですね? まあ兄さんが作ったお弁当を食べてくれるような優しい人は、私を除けばそう多くはないですから予想はしていましたが……鎌田というのは誰ですか?」
「クラスの女子です……」
「クラスの女子……そうですか、兄さんに女性の知り合いが……」
ボソボソと俺には聞こえないほど小さな声音で、顎に手を当てながら何事か呟く舞華。
おかしいな。何も怖いことなんてないはずなのに、背筋に悪寒が……。
そんな俺の心情など知るはずもなく、舞華は口を開く。
「まさかとは思いますが兄さん、たかがお弁当を作ってあげた程度で女性の心を掴めるとは思ってませんよね?」
「お前は何を言ってるんだ?」
舞華の言葉が一文字たりとも理解できず、思わず聞き返してしまった。
すると舞華は侮蔑を込めた瞳で俺を見る。
「この程度のことも理解できないんですか? 相変わらず兄さんは兄さんですね」
仕方ないと言わんばかりの溜め息の後、舞華は言葉を続ける。
「私が言いたかったのは『兄さんは女性にモテたいという邪な願望に従って、鎌田さんにお弁当を作ってあげたのでは?』ということですよ。分かりましたか?」
「な、なるほど……」
一応言いたいことは理解したが、なぜそんな考えに至ったのかが理解できない。ウチの義妹の脳内はどうなっているんだろう?
「兄さん、私の言ってることに何か間違いはありますか?」
「……ありません」
一瞬答えに躊躇したが、余計なことを言ってこれ以上話が拗れると面倒なことになるのは目に見えていたので、渋々とではあるが舞華の言葉に頷いた。
「全く……兄さんは見下げ果てたグズですね。人類の最底辺記録でも更新するつもりですか? そもそも兄さんは――」
その後三十分間、俺は義妹から理不尽なお説教を受けるハメになってしまった。
「なあ、最近お前の周りで物騒なことが起こってたりしないよな?」
「へ? いきなりどうしたの、慎吾っち?」
現在は昼休み。昨日の約束通り持ってきた弁当を頬張っている鎌田に、俺は訊ねた。
訊ねたのには理由がある。まずは舞華の日記だ。日記に登場した女とは、十中八九鎌田のことだろう。
日記には二回しか出てこなかったが、舞華の鎌田に対する怒りは凄まじいものだった。
次に今朝の舞華とのやり取り。仕方がなかったとはいえ、鎌田の名前を出してしまった。しかも弁当を作ってやったことまでバレてる。
俺が鎌田の近況について訊いたのは、それらのことが原因で舞華の魔の手が鎌田を脅かしてないか確認するため。
「重要なことなんだ。真面目に答えてくれ」
そう言うと、鎌田は少し考え込むような仕草をした後、
「んー……私の周辺は特に何もなくて平和そのものだね。もちろん私自身も含めてね」
「そうか……」
安心した。今後も油断はできないが、少なくとも現状は鎌田の身は安全なようだ。
「でも慎吾っち、どうしてそんなことを訊くの?」
「え……」
鎌田の質問はもっともだ。そりゃ自分の近況を訊かれたら気になるのが普通だ。俺も逆の立場なら、鎌田と同じように訊ねただろう。
しかしここで『実はウチの義妹が嫉妬に狂ってお前に危害を加えてないか心配で』などとバカ正直に答えるわけにはいかない。
いったいどうすればいいんだ? 何か、何かこの場を上手く乗り切る案はないのか!?
極限まで頭を回転させる。そして、一つの答えに行き着いた。
「ええと……実はお前のことが気になるんだ」
「ふえ……!?」
鎌田が顔を真っ赤にしながら珍妙な声をあげた。
……俺は何を言ってるんだ? もし今の言葉を舞華が聞いてたらどうするつもりなんだ? より事態が悪化するだけじゃないか。俺はバカか? バカなのか!?
「お、言うねえ。流石は俺の親友」
一心不乱に俺の作った弁当を貪っていた翔が軽口を叩いた。
俺の心情など知らずいい気なものだ。その弁当取りあげてやろうか?
ささやかな復讐を誓いながら鎌田の方に向き直る。
「勘違いするなよ鎌田。気になると言っても、別に変な意味じゃないからな?」
「そ、そんなこと分かってるよ慎吾っち! 慎吾っちには翔っちがいるもんね!」
鎌田がふざけたことを抜かしやがった。今すぐにでも否定したいが、そうするとまた話が面倒なことになる。
「そうだな……」
俺はクラス内におけるホモという立場を甘んじて受け入れた。
「おい何言ってるだよ親友!」
隣で翔が何事か喚いていたが相手にしなかった。弁当に夢中で助け船を出してくれなかった報いだ。ざまあみろ。
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