義妹の日記その1
『四月七日。
今日は待ちに待った高校の入学式です。新たな学舎に通えることに、私ときめきを抑えられません』
表紙をめくり最初のページに目を通すと、日記は入学式の日から始まっていた。
この日のことは俺もよく覚えている。普段はあまり舞華に干渉しない俺だが、義妹の新たな学校生活の始まりだったので珍しく俺が気を遣った日だ。
まあ結果は散々だったが。……ヤバい、思い出したら涙が出てきた。
『今日はお兄様が私のためを思って、学校までの案内を申し出てくださいましたが、酷い言葉で断ってしまいました。
ごめんなさいお兄様。舞華はお兄様の案内が嫌だったのではありません。ただお兄様と一緒に歩いて恋人と勘違いされたらと考えて、恥ずかしくてあのようなことを言ったのです。
決してお兄様と一緒が嫌というわけではありません!』
「何だこれ……」
俺は日記の最初の一ページ目から唖然とさせられた。
なぜなら、この日記の中の舞華は俺の知る彼女とはかけ離れたものだったから。
まず俺のことを『お兄様』と呼んでるところ。十年近い付き合いだが、俺は『お兄様』などと呼ばれたことはない。
基本的には兄さんとしか呼ばれてない。会ったばかりの頃など、『あなた』や『甘木さん』といった他人行儀な呼び方だった。今の呼び方になるまでにも、色々な苦労があったのだ。
次に学校への案内についてだが、正直ここに書いてあることは信じられない。
俺と学校に行くのが恥ずかしかった? 冗談だろ。舞華は『兄さんのような身内の恥と一緒に歩くなんて、恥辱以外の何者でもありません。兄さんは私に恥をかかせたいのですか?』とか言ってたぞ。
歴代ベストスリーに入るほどの辛辣な言葉だったから、今でも一字一句に至るまでよく覚えてる。
「次だ、次……」
とりあえず今のページは見なかったことにする。
『四月九日。
今日はお兄様が今後、自分の服は自分で洗うようにと提案されました。当然却下させていただきましたが。
だって、私はお兄様が洗ってくださった下着を身に付けてないと死んでしまうからです。私の一日はお兄様の温もりが込められた下着がなければ成立しません』
二度目の驚愕。何だ、このイカレた内容は? ウチの義妹は兄の洗濯した下着に温もりなんてものを感じてたのか?
あと『却下させていただきました』などと書いてあるが、あれはそんな生易しいものじゃなかった。
『自分の分は自分で洗う? 何ですか、それ? 何のつもりか知りませんが、ただ兄さんが楽をしたいだけですよね? しかも、そんなことをすれば、今までは一度で済んでいた洗濯の回数が増えるじゃないですか。そうすれば電気代も無駄にかかってしまいます。兄さんは、この家の電気代を誰が払っていると思ってるんですか?』という俺の心を殺しにかかる、一種の凶器だったと思う。
俺はそろそろお年頃の義妹を気遣って提案したのだが、どうやら舞華からすると、俺に洗濯されるよりも無駄な電気代の方が気になったらしい。当時の俺はそう思っていたのに。
どうしよう、頭痛がしてきた。日記というのは、読むだけでここまで辛くなるものだったのか?
正直、もう日記は元の場所に仕舞って学校に行きたいが、まだ舞華の弱味を見つけていない以上そうもいかない。
自分を強く持て、俺!
そこから一ヶ月ほどは特に変化のない内容だった。変化があったのは、五月の半ばからだ。
『五月十六日。
今日はとても嫌なことがありました。
数学の教師である
私が何か先生の気に障ることをしたのかとも考えましたが、覚えがありません。いったいどうすればいいのでしょう?』
数学の桑田という教師は、俺も一年の時に授業を受けたのでよく知っている。
自分の気に入らない生徒は、あの手この手でイジめるクズの見本のような男だ。当然ながら、学校での評判も最悪だ。
この日を境に、舞華の日記には桑田にされた嫌がらせの数々が記されている。いつまで続くのかと思ったが、変化は唐突に訪れた。
『六月九日。
今日も桑田先生がいつものように私に嫌がらせをしてきます。
いい加減慣れてきたので相手にしない、そう誓った心の広い私を、あの男は怒らせてしまいました』
これまでとは毛色の違った内容に、疑問が湧いた。
舞華は兄の俺にこそ冷たいが、他人に対してはかなり優しい。というか、寛容だ。
少なくとも俺は、舞華が他人に怒ってるのを見たことがない。そんな舞華を怒らせるとは……桑田はいったい何をしたんだ?
疑問を解消するために次のページをめくる。
『あの男はよりにもよって私の愛しのお兄様を貶しました。許せません。許容できません。容認できません。
お兄様を貶す発言をした瞬間、握っていたシャープペンシルで眼球を抉り出したい衝動に駆られましたが我慢しました。
だって物理的に殺すなんて甘い罰じゃ、私の気は収まりませんから。やるなら徹底的にやらなくてはいけません。ちゃんと社会的にも殺してあげましょう』
そういえば少し前に桑田が退職したという噂を聞いたな。嫌われ者の退職に、生徒の一部が騒いでたのを覚えてる。
確か退職したのは六月半ばだったか……まさかな。何かの偶然だ。そうに決まっている。
「…………」
何とか自分を誤魔化そうとしたが、ゾクっと背筋が震えた。今の俺は、純然たる恐怖に支配されてる。
ただ義妹の弱味を握ろうとして読んだ日記で、どうしてこんな思いをしなくちゃいけないんだ?
正直、ここで読むのをやめたい。もう舞華の弱味なんてどうでもいい。ただこの恐怖から一刻も早く解放されたい。
しかし同時に、ここでやめてはいけないという考えも俺にはある。なぜならこれは俺に関わりのあることだから。
これを読んでおくことは、俺の身を守るためにも必要かもしれない。
俺は恐怖に震えながらも、日記のページをめくるのだった。
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