第2話

 黄昏時になると斜陽差し込む旧校舎三階の美術室。そこに一人居残ってカンバスに向きあっている少女がいた。一緒に来ていた友人はすでに帰宅し、塾に向かっていた。

「まだやる気?」

 そう言って呆れたように肩をすくめる友人ではあったが、その口元は笑っていて、言葉にせずとも少女を応援していることは明らかであった。

 良き理解者の帰宅とともに訪れたものは静寂であったが、そればかりでもなかった。

 白いプラスチックのパレットにいくつもの絵の具を出し、必要に応じて筆ですくいとって混ぜ合わせる。ただ水で濡らしただけの絵筆でカンバスをなぞり、濡らした場所の中心点に色を乗せる。染み込んだ水分を頼りに広がる絵の具は端に向かうほど薄くなり、縁がぼやけて儚い印象が強くなった。少女が特に気に入って使っている画材は水彩絵具だった。描かれたサクラソウは薄紫だけではなく、赤や黄色、青や桃色などさまざまに彩られており、その風景はオランダのチューリップ畑と見紛うほどだった。

 静かな音とともに教室の前扉が開き、中を覗き込んできたのはかつて同じ美術部に所属していた男子生徒だった。彼は少女と違い、受験勉強に専念するため、夏休みとともに部活を引退していたのだった。

 むしろそれは高校三年生であれば当たり前のことで、文化祭が終わって秋が色濃くなった時期になっても部室に訪れている少女やその良き理解者のほうが稀有な存在であった。現役部員よりも滞在時間が長いとなればなおさらだった。

「やっぱり。まだ残ってたんだね」

「いま片付けようと思ってたとこ」

 自分の行動が見透かされていたような気がしてムキになった少女は頬を膨らませ、あからさまに怒った風な態度を装って窓際に設置されていた水道のほうに移動した。

 さきのことばに偽りはなかったようで、彼女は蛇口をひねってパレットと絵筆を洗った。

「もう完成したんだ」

 男子生徒はカンバスの前に立ち、少女の絵をまじまじと見ていた。

「綺麗な花畑だね」

「夢に出てきた場所なんだけどね」

 ふうん、と男子学生は返事をしてから再び絵を眺め、やがて少女を振り返った。

「相変わらずだね」

「先生は、ちゃんと目で見たものを描きなさいってうるさいけどね」

「そっか。……でも、僕は好きだよ」

 そう言って微笑む少年に見つめられ、少女は照れくさそうに返事を返してそっぽを向き、洗った用具の水気を取った。それからふたりの間で会話が交わされることはなく、少女が道具を片付ける音だけが響いていた。

「一緒に帰ってもいいかな」

 少女が顔を上げて少年を見ると、彼はかすかに俯いて彼女の目を見ようとしなかった。

「いいけど……」

 少女は彼のようすに首をかしげながらも、そのことについてはとくに追求しなかった。



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