魔族との決戦

 仕掛けた罠にかかったヨグモースの手先を葬り、この世界に帰還してからというものヴァルクレアの心は晴れなかった。行きと異なり帰りの転位はスムーズにいった。魔晶石も3つのうちの2つしか空にならなかったし、体の退縮も起こらなかった。


 王都のすぐ近くまで魔物の軍勢が迫る中、帰還したヴァルクレアを国民は歓呼で迎える。避難民で膨れ上がった王都の士気は下がっていたが、魔物の先遣隊をヴァルクレアがあっさりと粉砕すると一気に盛り返した。


 ヴァルクレアの心が晴れない原因は食事の味気なさだった。何を食べても異世界のものに比べたら美味くない。そして、それは単に料理の技術や食材の問題ではないということがヴァルクレアには分かっていた。要は秋江が側にいないことが食卓を侘しいものにさせているのだということを認めざるを得ない。


 ヴァルクレアは慌ただしい王としての勤めの合間に、居室に戻ると宝箱から押し花を取り出して手のひらに乗せた。秋江の髪から取って押し花にしてもらった桜の花だ。異世界から持ち帰った唯一の品。その花を見つめていると、あの日の桜の木の下の秋江の姿が目蓋に蘇る。そして、ヴァルクレアは小さな溜息をついた。


 自分の判断は間違っていなかったと確信していた。現にエスタリアは今までにない危機に瀕している。半ば計画通りとはいえ、一つ間違えばそのまま滅亡の縁に沈む可能性だってある。指を噛みながらヴァルクレアは過ぎ去りし日々の記憶を追い払い、これからの困難な課題について思いを巡らす。


 ヴァルクレアは淡々と指示を出し、迎撃の準備を整えた。叔父のブルコンテ公の一味を逮捕させ、地下牢に幽閉させた。大騒ぎとなったが、ダナエの街の陥落に裏で関与していた事が証拠付きで暴露されるとその騒ぎも静まり、ヴァルクレアが不在にしていたことへの不満も収まる。


 3人の魔王に率いられた魔族の軍勢が近づくとの連絡を受けて、ヴァルクレアは出撃を命令する。しかも王都の守りとなっている川を渡っての布陣を命じた。

「陛下。なんとおっしゃいました?」

 側近たちが聞き返す。

「城の守備に1割残し、全軍を渡渉させる。議論するつもりはない。全軍に通達せよ」

 ヴァルクレアは私に策があると押し切った。


 城の守りに残した者を除き、歩兵3万に騎兵1万4千を川を背に布陣する。蛇行した川に両側を挟まれた場所に、騎兵8千、歩兵3万、騎兵6千の順に並べた。対する魔物は3万ずつ3部隊がお互いに隣り合うように密集して相対する。兵力差は2対1。不利は否めない。


 魔力の供給元である魔脈が城の地下を流れており、その魔力をふんだんに利用できる点が有利とはいえ、本来であれば、野戦は避けて籠城するというのが常識だった。ヴァルクレアは強いとはいえ、9万体の魔族を滅する力はない。


 ヴァルクレアは歩兵の3分の1を真ん中の部分が前に出た弓型に配置する。その後ろには横列で2列に配置し、自分は2列目の中央に陣取った。左翼の指揮は側近のナルス、右翼は近衛騎士団長に任せる。両名ともヴァルクレアに心酔しており、事前に授けた奇策について忠実に実行することを約束していた。


 魔族を率いる魔王達3人は倍の兵を有するとあって、先を争って無造作に前進を始める。それを見た、両翼の騎兵はすぐに馬腹を蹴って突撃を開始した。そして、敵の両翼に突っ込むことなく、その脇をかすめるようにして走り去る。敵わないと判断したのだろうか、快足を生かして戦場から離脱したように見える。魔族はそう判断し大きな喚声をあげた。


 その間に、歩兵の第一陣は射撃を開始していた。第一陣の1万は2人一組で4射するごとに5歩下がり、また射撃すると下がるという行動を繰り返した。中央は大きく下がり、左右はほとんど下がらない。そうしながら敵陣に矢の雨を降らす。敵の中央に位置していた魔族は降り注ぐ矢によって被害が続出、比較的小型の魔族が陣取っていたこともあってすぐに浮足立った。


 しかし、騎兵にかわされたことで自由になった敵の左右の部隊が中央の部隊を押しのけるように突き進んでくる。最初は上方に打ち上げていた矢も次第に水平に射撃するようになっていった。敵は浮足立った中央の軍も含めて一つの塊となって突き進む。数倍の敵を前に善戦していた第一陣も支えきれなくなり、射撃を止めて後方に部隊に駆け込む。これを潰走したとみなした魔族の軍は魔王を先頭に勢いづいた。


 そこに高らかに角笛の音が鳴り響く。ヴァルクレアを中心とした第2陣が敵の前に立ちふさがった。真ん中の軍を率いていた魔王がヴァルクレアの姿を見て声をあげる。

「お前は……あの時の赤毛の女。なぜ、お前がここに?」


 魔王の姿を目にしてヴァルクレアの体から魔力が吹き上がった。ヴァルクレアの顔に凄惨な笑みが広がり、詠唱が完成する。

「古の理に従い、我が目の前の敵を打ち倒せ。魔弾の咆哮!」

 ヴァルクレアの手のひらから純白の輝きが迸り、魔王に直撃する。爆裂して四散しながらなおも苦痛にのたくる魔王にヴァルクレアは侮蔑の視線を送った。


 魔王を一人失った味方を鼓舞するように残りの魔王が大声をあげる。

「怯むな。あの女の魔法とて無尽蔵ではない。あと少しで我らの勝利だ。進めっ!」

 彼我の兵力差に勇気づけられて戦意を取り戻そうとした魔物たちの後方から悲鳴が上がった。


 ヴァルクレアは叫ぶ。

「我が計が成功した。敵は掌中のひな鳥も同然。押し包んで打ち取れ」

 逃げ出したと見せかけた騎兵1万強が地響きを立てながら魔族の後方を襲う。川岸に追い詰めたと思っていたが、今や前後から挟撃されることとなり魔族は恐慌に陥った。


 第二陣の歩兵が長槍を構えて前進をはじめ、その後方から第一陣の弓が援護射撃をする。後ろに控えていた第三陣は左右に分かれて進み、側面から切り込んでいく。魔物たちは逃げようとするもの、踏みとどまろうとするもの、やけを起こして突撃しようとするものがお互いの邪魔になり組織だった抵抗すらできない。


 ヴァルクレアの部隊は玉ねぎの皮を剥くように、魔族たちの外側から戦力を削っていく。魔王を中止とする戦意を失っていない一団には無理に当たらずに、遠巻きにしておいた。すかさずヴァルクレアが駆けつけ、片を付ける。途中からは一方的な殺戮となった。


 魔族は残り数百となったところで、武器を捨てて地に伏せ、命乞いを哀願する。いずれも1対1では人間に敵わないような非力な魔物ばかりだった。ヴァルクレアは血気にはやる部下を制した。


「無益なことをするな。これより私は魔神の神殿を探索し破壊する。ナルスは歩兵を指揮し、投降した者を監視しつつ、王都防衛の任に当たれ。無駄な殺生はするなよ。騎兵2千は私と共に。残りは残敵の掃討に当たれ」

 ヴァルクレアは地に伏せる魔族たちに向き直る。

「私の信頼を裏切るなよ。チャンスは一度きりだ。2度目はない」


 魔族は戦力を出し切ったのか、ヴァルクレアは抵抗を受けずに魔族の領域に侵入を果たす。今までは途中の敵を排除するのに魔力が枯渇して遠くまでは侵入することができなかったことを思うと、魔族側が受けた被害の甚大さが分かる。罠にかかり主力を強引に進軍させて失った魔族は息を潜めているほかないのだろう。


 しかし、ヨグモースの神殿にたどり着くことができなかった。どこに秘匿されているのか神殿の在りかは分からなかった。魔族の領地深くに入るにつれて瘴気が濃くなっていき、騎兵の中に体調不良を訴える者が増え始める。ヴァルクレアは神官を動員して土地の浄化をしつつ、少しずつ探索の範囲を広げていった。

 

 ***


 そこではヨグモースの巨大な神像が佇立し、その前で一人の魔族が像を伏し拝んでいる。 

「我らが母。ヨグモースよ。やつらがついにそこまで。なにとぞ最後の奇跡を表し給え」


 ヨグモースは焦っていた。計画が失敗し、自らの眷属を多数失ったことで、その信仰を活動の源とするヨグモースの力は弱まりつつある。しかし、実体を失っているヨグモースには直接この世界に力を及ぼす術がない。自分の像を伏し拝むハーコンに力を分け与えても器として貧弱すぎて耐えられないだろう。


 ヴァルクレアを倒すことができるならば、またしばらくは耐え忍ぶことができるかもしれない。あの恐怖の女王さえなんとかできればと思うが、ここまで乗り込んでこようとするヴァルクレアに対抗する方法はなかった。


 あの女に神像を破壊されてしまえば、もうこの世界に再臨する依り代が無くなってしまう。あの女ならば神像を破壊することは可能だろう。ここを探し出される前になんとかしなくてはならない。そうだ。あの役立たずの眷属がいた。あやつに新たな人間を送り込ませ、ここで迎撃する。この場所でなら魔族はより力を発揮でき、あの女は本来の力を発揮できないはずだ。


「ジャラナよ。誰でもよい。そちらの世界の人間の腕をつかむのだ」

「え……。なんだ…‥よく……ませんけど」

 ヨグモースは力を振り絞って再度強力な念を飛ばす。

「あれ? どうしたんですか?」


「時間がない。聞け。あのヴァルクレアが乗り込んできそうなのだ。誰でもよい。側にいる人間をつかめ」

「急にそんなこと言われても」

「ならば、お前を戻してもいいのだぞ」


「分かりましたよ。もし力不足でもボクの責任じゃないですからね」

「いいから早くせよ」

「はいはい。やりましたよ」

 ヨグモースは異世界との門をこじ開け、異世界に送り込んだコピーキャットとその側にいるものをこの世界に召喚した。


 別にコピーキャットに用はなかったが、魔具ごと引き寄せる方が楽であったし、自らが滅びるのであれば巻き添えにするつもりだった。目をパチクリとして驚くコピーキャットを尻目に、ヨグモースは呼び寄せた人間を自分の僕と化す呪いをかける。

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