花火

「それじゃあ、出かけようか」

 温泉の時と同じような浴衣姿の秋江が言った。先日、秋江の上司とかいう奴を懲らしめてから1週間後のこと、今日は2人で花火を見に行くことになっている。ジャラナは最近姿を見せない。そりゃそうだ。


 この1週間というもの、ジャラナは秋江の上司である大沢部長として振舞うのに忙しかった。適当に仕事をしつつ、財産をごっそり巻き上げる作業に熱中していたらしい。聞いた話では、大沢自身の財産をお金に換えてジャラナのものとする一方で、働いている先の金にも手を付けたそうだ。


「どうせ、用が済んだら、行方不明になるんです。行方不明になる理由があった方が自然でしょう?」

 そう言って笑ってのけたジャラナが少々怖い。コピーキャットだと侮っていたが、この世界の知恵を身に着けて急速に賢くなっている。


 服従の誓言を立てさせているので、ヴァルクレアや秋江に対して不利益なことはできない。そして、どういうわけか、この事態を楽しんでいるらしく、このようなことに至った原因となるヴァルクレアに対して、本当に感謝しているようなのだ。それで深刻に心配はしてないが、少しだけ不安だ。


「ねえ。クレちゃんは浴衣に着替えないで良かったの?」

「ああ。私はその格好をすると落ち着かない。妙に風が抜けすぎてな。外で着るのには抵抗がある」

「なんかそう言われちゃうと変な気分」

「いや。あっちゃんには良く似合ってる。まあ、慣れの問題だな」


 まだ花火が始まるまでには時間があるとのことなので歩いて行くことにした。途中、お店によると何かを秋江が買った。紙の袋に入ったそれを大事そうに持ち、別の店に入っていく。玻璃の棚から良く冷えた金属製の筒を取り出した。金を払って外に出る。


 人通りのあまりない水路脇の木が生い茂る小道に出ると筒と紙袋の中身をヴァルクレアに手渡してきた。

「はい。ビールとハムカツ」

「また、お酒か」


「いいじゃない。クレちゃんと一緒なんだから。今日も暑いし。一人のときはもう外で飲まないとは誓いましたが、今日は一人ではありません」

「それはそうなんだが……」

「この外で缶ビールとハムカツという禁断の組み合わせをクレちゃんにも知ってほしかったんだけどなあ」


 確かにまだほのかに暖かい揚げ物と冷たく冷えたビールの組み合わせは良く合った。さっくりとした外側に反して薄っぺらな肉なのだが、これはこれでうまい。はっきりと言えば高級な料理ではないだろう。でも、外でそぞろ歩きながらビールを片手に食べるにはぴったりだった。


「うん。うまい」

 正直にその点については認めた。この時間が素晴らしいのも間違いない。自分が過剰に反応しているのは、秋江といずれ別れなくてはいけないという事実からだった。そして、その時はそう遠くないことも。そのことを秋江に告げるわけにはいかない。


 この世界に来ているヨグモースの手先を見つけたら直ちに元居た世界に戻った方がいい時期に来ていた。ジャラナ経由で入手した情報から推論するに、騎士団は善戦しているが、そろそろ限界にきているようだ。できる限りの手を打ってきたがあまり留守にしていては故郷がなくなってしまう。


 秋江もいい大人だ。自分のことは自分で始末をつけられるだろう。いつまでも自分が保護する気持ちでいてはかえって良くない。それでも、やはり秋江のことが心配だった。秋江のような善良で心優しい人は幸せになってしかるべきだ。とはいうものの世間はそれほど甘くはない。


 ジャラナがいるだけマシかもしれないが、あいつも暴走しないかが気がかりだ。先日、ジャラナから突き付けられた問いに自問自答を繰り返しているが答えは出ない。ここに残るのが秋江にとって幸せだとは思う。それでもヴァルクレアの心は千々に乱れた。


 花火は暗くなってから空を彩るのだという。燃える火の玉を打ち上げて花のように夜空に広がる様はとても美しいのだと聞いていた。桜の花とどちらがきれいかと聞くと秋江はしばらく考えて、どちらも、と言った。夜の帳が降りつつある紫色の空を見上げながらヴァルクレアの心は期待に膨らむ。


 そのヴァルクレアの頭に警報が鳴った。前方に強い悪意を有する存在が潜んでいる。習慣として魔力の網を前方に展開していたのが幸いした。体内の魔力は十分だ。残っていたハムカツを口に放り込み、飲みかけのビールの筒は秋江に預けた。


「もう、飲まない……」

 秋江がいいかけるが、ヴァルクレアの表情を見て口をつぐむ。前方の壁から一人の男が現れた。右手に何かを握りしめている。


「へへ。ネエちゃん。そっちの赤毛のネエちゃんだよ。お前さんの身内にこれぐらいの背丈の女の子がいるだろう?」

 秋江を後ろに庇いながらヴァルクレアは思い出していた。こやつは、この世界に転位してきたときに会った男だ。


「知らねえとは言わせねえぜ。俺は記憶力はいいんだ。その髪と肌の色、顔立ちがそっくりなんだぜ」

「それで?」

「ちょいと世話になったんで礼をしたくてな。あのガキはどこにいる?」


「それを聞いてどうしようというんだ?」

「ちょいと怪我をしたし、そのせいでパクられたからな。仕返しをしなきゃ収まらねえ。おっと、動くなよ。こいつが目に入らないわけじゃないだろう?」

 男は右手のものを振って見せた。黒い不格好な形のもの。


 後ろから声が漏れる。

「嘘でしょ。拳銃……」

「そうさ。モデルガンじゃねえぜ。その筋から手に入れたモノホンだ」

「こんなところで撃ったらすぐに通報されるわよ」

「気の早い奴が打ち上げ花火をしたと思うだけさ」


「それが拳銃か。小さなものだな」

「威勢がいいな。本物だと思ってないんだろう。痛い思いをしてからじゃ遅いんだぜ」

「いや。本物かどうかはどうでもいいんだ」

「なんだと? てめーもあのガキと同じように怪しい技を使うのか? ははっ。面しれえ。あの時は丸腰だったが今日はそうじゃねえ」


「しかし、執念深いな。それほどまでにする必要があるか?」

「うるせえ。コケにされたまんまじゃ格好がつかねえんだよ。いいから、さっさとガキの居所をいいな。それとも痛い目をみなきゃ……」

「言ったところで無事に解放するつもりはないのだろう?」

 ヴァルクレアの口調に笑いが含まれる。


「何がおかしい」

「その情熱を正しい方向に向ければな。まあ仕方あるまい。私一人ならば命だけはと思ったが……」

「クレちゃん」

 秋江がヴァルクレアの上着の裾をつかむ。


「その拳銃とやらは所持を禁止されているものなのだろう? それを見せたということは私たちを無事に返すつもりが無い」

 ヴァルクレアは探知の範囲を一気に拡大する。すべての方角に反応なし。こいつの単独犯行だ。


「ということで、答える意味がないな」

「なんだと?」

「死ぬ人間に意味はないだろう?」

「そこまでとは言ってねえ。別に命までは……」


「何を勘違いしている。死ぬのはお前だ」

 一瞬後ろ手に秋江の手を握ってからヴァルクレアは前に出た。自然な足取りで進み続ける。男は圧倒されていた。

「くそ。なめやがって」


 男の指が動くのが見え、拳銃から弾が発射される。パンという音が届くと、弾は見えない壁に当たって地面に落ちた。詠唱無しでも問題ない。この程度の小さな豆粒で傷つけることができると考えているとは笑止だった。その事態を男の脳が把握するより前にヴァルクレアの指先から稲妻が飛び、男の体の自由が利かなくなる。


 そのまま歩み続けたヴァルクレアは男の側に行き、優しいともいえる口調で言った。

「我が抱擁に身を委ね、汝の心を明け渡せ。その膝を屈せよ。絶対服従の縛め」

 呪文の効果が男におよび、男の体が弛緩する。


「その右手のものは懐にしまいなさい。そう。それでいい。そして、この道を道なりにずっと進むの。やがて川に突き当たるから、柵を越えて中にお入りなさい。そして、ゆっくりと300まで数えるのよ。さあ、お行き」

 ヴァルクレアはふわりとした足取りで進む男と一緒に歩きながら、途中で屈んで弾を拾い、秋江のところに戻った。秋江の手を取ると男と反対方向に歩きはじめる。


 ヴァルクレアは秋江に預けていたビールを受け取ると一口飲んだ。まだ冷たい。

「さあ、あっちゃん。早くしないと花火が始まってしまうぞ。楽しみにしているんだ」

「あ。う、うん。あの人はどうなったの?」


 ヴァルクレアは肩をすくめて言った。

「さあ、どうかな。このまま立ち去るように命令しただけだよ。あっちゃんとの花火を邪魔されたくなかったからね」

「怪我はないの?」

「もちろん」


 そのまま無言でしばらく歩き続ける。歩いているうちに人通りが多くなってきて、しまいにはかなりの人が歩く列に組み込まれるようになった。通りのところどころに、テーブルを出して、飲みもの・食べものを売るところがある。ヴァルクレアはラムネという文字を見かけると足を止めて2本買い求めた。


 先日、ジャラナがやっていたようにして口を塞ぐ玉を落とすと1本を秋江に渡す。

「まだ飲みたいかもしれないが、それは後の楽しみにしよう。夜は長いんだ。ジャラナが言うには、これも悪くないらしい」

 喉に流し込むと弾ける泡が心地よく滑り降りる。


 坂道を上りきると見晴らしのいい河原に出る。斜面に隙間を見つけて、持ってきた敷物を広げて二人で座った。ほどなく、ドーンという音と共に光が夜空に向かって闇を切り裂き、大きく花開いた。次々と色と形の違うものが夜空に咲く。


「美しいが儚いものだな」

「それがいいんじゃない」

「そう……なのかな」


 ヴァルクレアは相手に気づかれないようにそっと目だけで秋江の横顔を見る。花火の色を受けて映える秋江の白い顔を目に焼き付けると、また夜空を見上げた。不意に視界がにじむ。ラムネに口をつけながら指で両目をそっとぬぐった。



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