美人局

「ヴァルクレア様。ちょっと怖いんですけど」

「ん?」


 急に立ち去った理由を話しておかねばとジャラナの家にやって来て、昨夜の顛末をジャラナに話して聞かせていたヴァルクレアは意識を戻した。ヴァルクレアの目の前でジャラナはモジモジとしていた。明らかに怯えたそぶりをしている。

「えーと、ボクに向けたものじゃないってことは良く分かっているけど、本当に怖いです」


 昨夜、秋江を怯えさせていた男のことを話しているうちに知らず知らずのうちに感情を高ぶらせてしまっていたらしい。

「まあ、お気持ちは分かりますよ。そいつロクデナシだし」

「分かるのか?」


「ええ。そいつは秋江様の上司か何かでしょう。典型的な職権乱用型のセクハラですよね」

「なんだ、そのセクハラというのは?」

「いうことを聞かないと仕事上の不利益を被ると思わせて、強引に性的なことを……。うわ、その顔やめてください」


 怒りの念がヴァルクレアの全身から魔力の奔流となって流れ出していた。奥歯をギリっと噛みしめる。つまりはあの男は、ブルコンテのアホ息子の同類というわけか。そうだろうと思って、秋江の体内の毒をあの男の体内に移し替えておいたが、その程度では許せんな。目の前のジャラナは全身を震わせて後ずさりしている。

「すまん。つい」


「本当に勘弁してください。昨夜はあの後、ヨグモースからの呼び出しに応じて、こってりと責められたんですから」

「何か言ってたのか?」

「それどころじゃ無いって感じなので、その話はまた後で」


「あの男を殺る。手を貸せ」

「やっぱりそうなるんですか。まあ、いいですけど。この世界じゃ人が消えるとそれなりに面倒ですよ」

「構わん」


「そう言うと思いました。それでどうするんですか? 美人局でもやります?」

「なんだ? そのツツモタセってのは?」

「由緒正しい作戦です。まあ、その男は女好きなんでしょう? 美人が接触していい気になったところを怖いお兄さんが出てきて金品を奪うという手口ですね」

「本当につまらんことを良く知っている奴だな」


「褒められたと思っておきます。ヴァルクレア様なら変装はお手の物でしょう? で、そいつを誘いだしたら人気のない所に連れ出して……。あ、ヴァルクレア様に色仕掛けは難しいか」

「馬鹿にするな、と言いたいがまあその通りだな」


「じゃあ、仕方ないボクがやりますよ。その代わり、そいつの財産は全部もらっていいですよね?」

「ああ。好きにすればいい」

「それじゃあ、早速やっちゃいましょう」


「随分と乗り気じゃないか?」

「そりゃ、ボクにとっても秋江様は大切な恩人ですからね。それに、もうこれ以上ヴァルクレア様の怖い顔を見るのは無理。おしっこちびりそう」


 それから打ち合わせをして、一度秋江の家に転位してから指定の場所に出かける。出がけに秋江にメッセージを送って置いた。今夜は長くなりそうだ。途中で人気が無い場所で姿を変える。

「我が念と魔力を依り代に、我が身をまとう仮初の姿と為せ。仮装現身」


 ヴァルクレアは特徴のない灰色の服装を着た中年の男性の姿に変わる。灰色の服は、確か作業着と言っていた。これを着ていると人気のないところで何かをしていても他人の関心を引くことが少ないのだという。ジャラナと待ち合わせをしているのが、人気のない古ぼけた建物ということもあって、ジャラナが勧めた容姿だった。


 人通りのある道から曲がり、さらに曲がった路地にあるボロい建物には明かりが点いていなかった。ジャラナに渡された鍵で外の金属製の階段の扉の錠を開ける。足音を忍ばせて、3階まで上り、そこにある扉を開けた。中は灰色のざらざらした面がむき出しで、薄汚れた玻璃の窓からぼんやりとした薄明かりが漏れ入ってきている。


 一応まだ座れそうな椅子があったので、光の一番届かない隅に持っていき腰を下ろした。ジャラナはすぐに行きますからと自信満々だったがあの男を連れて来るまでには時間がかかるだろう。魔力の供給に不安はなかったので、この部屋全体に静寂の檻を設置する。これで、ヴァルクレアが術を解くまでは何の音も外に漏れる心配はない。


 薄暗がりの中でヴァルクレアは笑みを漏らす。それはそれは美しい笑みだった。もっともその姿を見ることができる者がいたとしたら、その者は激しく後悔しただろう。世の中には見てはならないものがある。その禁忌に触れた物には過酷な罰が与えられる。そのことを想起せずにはいられない危険な美しさだった。


 先日の鉤爪の悪魔と対峙した時からも分かるようにヴァルクレアには敵を必要以上にいたぶる趣味はない。むしろ、苦しみが長引かないようにあっさりと死を与える方だった。しかし、今日に限っては、そのような気分ではなかった。この世に生まれてきたことを後悔させてやろう。暗い情念に包まれる。


 ありとあらゆる責め苦を思い出すヴァルクレアの神経にある刺激が伝わる。ジャラナに埋めてある針がすぐ近くに来たことを示すものだ。待つほどの時間がかからず、部屋の扉が無音で開き、閉まった。二人分の人影が絡み合う姿がヴァルクレアの視界に入った。見知らぬ女と昨日秋江と一緒にいた男の姿だった。


 見知らぬ女が男を突き、よろめかせると急いで離れた。

「ああ、気持ち悪い。うええ」

 そして、その姿がジャラナのものになる。

「なんだ、急に。うわ、お前、その姿はなんだ?!」


「想像以上にキモかった。ボクの体が汚れた気がする。さあ、ボクの僕よ。こいつをやっちゃって」

 ヴァルクレアはゆっくりと二人の方に歩んで行った。ターゲットは作業着姿の男が現れたことに驚いている。


「なんだ。くそ。騙したな」

「騙される方が悪いのさ。そんなことよりこれからのことを心配した方がいいんじゃないかな」

 ターゲットは相手が自分よりやや小柄な男だと知って落ち着きを取り戻した。


「ふん。つまらん美人局など。俺はこう見えても若い頃は……」

 ヴァルクレアの拳がみぞおちに決まるとターゲットは体をくの字にして床に倒れる。一撃で気を失っていた。ジャラナが側に寄ってきて囁く。

「力入れすぎですよ。もう落ちちゃったじゃないですか」


「問題ない。意識を戻す方法などいくらでもある。戻さない方が幸せだろうが」

「ねえ。ヴァルクレア様。お願いがあるんだけど」

「なんだ?」

「こいつ、殺すのやめにしてもらえない?」


「なんだと?」

「あ、怒らないで。正確に言うと、もっとひどい目に合わせられるかなって提案」

「言ってみろ」

「ほら。ヨグモースから連絡があったって話なんだけど、あまり条件は付けないから誰か寄こせって話でさ。こいつなんかどうかなってこと」


 ヴァルクレアはしかめ面をしていたが、だんだんと理解が広がるにつれて落ち着きを取り戻した。

「こいつはあっちの世界で生きていくには色々と足りないと思うんだよね。まあ、魔法抵抗力はあるんだろうけどさ。それはこの世界の人の共通だし」


 ジャラナは小声で続ける。

「前に送り込んだのは、潜在能力は高かったんだ。こっちの世界じゃ伸ばし方が分からなかったみたいだけど。でもコイツの伸びしろはほとんどなさそうだし、送り込んでも大した脅威にはならないでしょ。で、魔王として活動を始めたが最後……」


「死ぬときは凄惨な苦しみを味わうというわけだ。魔王の代償か」

「そういうこと。ボクも少し点数稼いでおきたいしさ。いいでしょ?」

「分かった」

「じゃあ、意識戻させてよ。変装はそのままでね」


 ヴァルクレアが背中に膝を当て、両肩を思い切り引くと、ターゲットはウッといって意識を戻す。そのまま肩を抑えていると、ジャラナがターゲットの腕を取り、ナイフで傷をつけるとその血を舐めた。

「あ、おじさん。気分はどう?」


「な、なんだ。お前は? お前は人ではないのか?」

「そうだね。人ではないかも。この世界の存在でもないし」

「なんだと……」

「ご覧のとおりさ。ボクは別世界からの侵略者でね。時々、こうやって捕食してるんだ」


「やめろ。何が目的だ」

「別世界ではボクらは劣勢でね。人間に対して対抗できる素材を探しているんだ。向こうに行って魔王と呼ばれるに相応しい存在をね。人間を倒し蹂躙する切り札だよ。人間を奴隷にしてこき使おうってね。まあ、その活動をするのにもお腹が空くからさ、こうやって食事をするのさ」


 ジャラナは尻尾をくねらせながら楽しそうに言葉を続ける。

「なかなかノルマがきつくてね。頑張っているんだけどなかなか達成できなくて。おっと、そんなことはおじさんには関係なかったね」

 ナイフを煌めかせる。


「待て。待ってくれ。死にたくない」

「でもさ。悪いけど、さっさと次の候補を送らないとボクも辛いからさ」

「俺ではダメか?」

「うーん。どうかなあ」


「魔王になればどうなるんだ?」

「人間の街に攻め込んで抵抗するのをぶっ殺したら、あとは好きにしていいんだ」

「魔王というからには強いんだろ?」

「そうだね。前に送り込んだのは大活躍だったよ。こっちから向こうに行くだけで強くなるみたいだね」


「じゃあ、ぜひ、俺にやらせてくれ」

「なんで?」

「滅ぼした街は自由にできるんだろ」

「もちろん少しは守護神さまの生贄にしたり献上するものはあるだろうけど、残りは自由じゃないかな」


「ぜひ俺にやらせてくれ。ノルマがあるんだろう?」

「そうだけどさ」

「食事なら他のでもいいだろう? 俺は立派に魔王の務めを果たして見せる。頭はいいんだ。これでも大企業の管理職なんだぞ」

「まあ、部下を使うのに長けてるのはいいかもなあ」

「だろ? どうすればいい?」


 そのやりとりを見てヴァルクレアは笑いをこらえるのが大変だった。ジャラナの言うままに自らの意志において転位を希う言葉を述べ、ペンダントの先の黒い石に口づけをする。するとペンダントから黒い霧があふれてターゲットを包み込み、収縮したとみるや男の姿は消えていた。


「いっちょ上がり。それじゃあ、鍵を返してください。ボクはこれから根こそぎ奪いに行ってきます。ヴァルクレア様は家に帰ってて大丈夫です。もう、秋江様も帰ってる頃合いじゃないかな」

 そう言って、ジャラナはターゲットの姿に変わると意気揚々と出かけて行った。

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