ジャラナの誘い
明日は秋江は帰りが遅くなると言う。職場での付き合いで一緒にお酒を飲むのだそうだ。体が暑さに負けないようにという、良く分からない理屈で酒を飲む行事だった。確かにこのトーキョーという街は暑い。そんなときに冷たく良く冷えたビールを喉に流し込む快感は良く分かる。
ビールには、ひき肉を小麦粉の皮で包み焼いたギョウザというのもいいし、ジャガイモを油であげたのも良く合う。秋江が居ないということを事前に聞いていて、どう過ごそうかと思っていたら、ジャラナの奴から連絡がきた。
”冷えたビールに良く合う料理があるんだけど、ヴァルクレア様どう?”
ジャラナの奴はベースになった涼子とかいう女の知識があるので、この世界のことを良く知っている。ヴァルクレアには少々それが悔しい。それが役に立つこともあるが、秋江とごく自然に交流できる姿に苛立ちを覚えることもあった。そして、この連絡である。
買ってきた物を一人で寂しく食べるのは辛いだろうと言わんばかりであった。確かにこの暑さでは飲みたくなるのも仕方ない。秋江にはほどほどにしろ、と言っていることもあり、一人で飲むのは気が引ける。しかしだな、自分の眷属から定期報告を兼ねて食事をしたいと言われれば断るのも変だしな。
秋江から貸与されているタブレットで返信する。
”不味かったらどうなっているか分かっているんだろうな”
”分かってますって。月島でもんじゃ食べましょう”
秋江に聞くと、自分で食べたことはないが、そこそこに有名な食べ物ではあるらしい。
朝、働きに出かける際には、秋江に飲み過ぎないように念を押す。先日、飲みすぎて前後不覚になったことがあったからだ。一応しおらしくしていたから大丈夫だと思うが、優しさの悪い面が出てしまわないか不安だ。一緒ならばいくらでも世話をやけるのだが……。
喫茶店での仕事を終えて、本を売る店で本を読み、ジャラナとの待ち合わせの場所に向かう。図書館という本を貸し出す場所もそうだが、文字通り山のような本があふれる店にはいつも圧倒される。我が城の本などこれらに比べたら長剣と針ほども違う。
事前に秋江に聞いていたので、待ち合わせのツキシマには迷わず着くことができた。地上をいくならともかく、地下を進むと方向感覚が著しく狂わされる。ジャラナ扮する涼子の姿を壁沿いに発見した時は正直ほっとした。
「それじゃあ、早速行きましょう」
階段を上るとすっかり夜の帳がおりている。狭い路地を進んで行くと路上に人が立ち並ぶのが見えた。
「ああ、あそこですよ」
「随分と並んでいるじゃないか。この暑い中、外で並ぶのか?」
日は落ちたが、どろりとまとわりつくような熱気が空気中に漂っている。ヴァルクレアのうんざりした声にジャラナは答える。
「ちゃんと予約してありますから。抜かりはありませんよ」
ジャラナは列を作る人を無視して、店の扉を開け、店員に名前を告げる。
すぐに店の中に案内された。振り返るジャラナの顔は得意そうだ。ほら、どうです、と言わんばかりの表情をしている。案内された卓の中央の部分には鉄の板がはまっていた。
「ビールでいいですよね?」
それに頷くと、ジャラナが店の人を呼び慣れた感じで注文をしていく。
すぐに玻璃の器に入った黄金色の液体と緑色の細長い玻璃の容器が運ばれてきた。
「すぐに料理も来ます。先に喉を潤しましょう」
ジャラナは玻璃の容器に直接口をつけ、容器を傾けて中の物を飲んだ。
ヴァルクレアも自分のビールに口をつけながら、ジャラナの様子を見て考える。容器から直接飲むとはこの世界の礼儀にかなっていないはずなんだが……。周囲をそっと観察するが誰も気に留めている様子はない。他人に無関心なのか、それともあれはそういうことが許されているものなのか?
「それは何だ?」
「ああ。ラムネです。甘いソーダです。独特の香りがしておいしいですよ」
そこへ店の者が中にぐちゃぐちゃとしたものが入っている容器を持ってきて聞いた。
「作り方は分かりますか?」
「分かるから置いといて」
ジャラナは容器を受け取って自分の前に置いた。卓の上から別の容器を取り、鉄の板の上に液体を注ぎ、鉄のへらで伸ばす。
「そうだ。この部分は熱くなっているので気を付けてくださいね」
確かに鉄の部分からは熱を感じる。ジャラナは容器の中から細かく刻んだ野菜や赤い塊、白い四角いものを匙ですくって鉄の板の上に乗せる。それを鉄のへらで輪の形に整えると容器の中の白く濁った液体をその中に入れた。もうもうと湯気が上がる。
しばらく、火を通した後、別の皿に乗ってきていた細かくしたチーズと思われるものを乗せるとへらでかき混ぜる。ぐつぐつと泡立つそれはなんとも言えない外見だった。食事を前にこんなことを考えたくもないが、吐しゃ物のようにしか見えない。
「できましたよ。その小さなへらですくって食べるんです。熱いので気を付けてください」
ジャラナは遠慮する様子も見せず、早速すくって食べている。
「あれ? 食べないんですか?」
「いや。ちょっと見た目がな。これは食べ物なのか?」
「ちょっと、声が大きいですよ。見た目は良くないですけど、味は保証します。もし、美味しくなかったら、この鉄の板に手を押し付けてもいいですから」
「そこまで言い切るのがかえって怪しいというか……」
「私が騙して何の得があるって言うんです? 得られるものは何もないですよね。周りの人も食べてるじゃないですか」
ヴァルクレアは小さなへらで端をすくって顔を近づける。色々な料理のベースになっている出汁というスープのいい香りがした。
思い切って口に入れてみると、風味豊かな出汁の味と野菜の触感、それにチーズのまろやかさが一体となった味が広がる。不味かったときに流し込もうと構えていたビールを飲むとなかなかの組み合わせだった。
「うん。うまい」
「でしょ? この白い部分も食べてみてください。赤い粒々は辛いですけど、ビールに良く合うと思いますよ。それとちょっと焦げたところも別の味わいがあります」
確かに白い部分の弾力と赤い粒の辛みもうまい。焦げたところもパリパリとして香ばしかった。
その後に、いくつかドロドロとしたものが入った器が運ばれてきては、ジャラナが要領よく作業をする。出来上がったものを食べ、飲み物の替わりをもらい、また、次のものを食べる。確かにジャラナの予告したようにビールに良く合った。
4つ目のものを食べ終わると店を出た。支払いはジャラナがする。
「いいのか?」
「金は結構ありますので」
「なぜそんなに金があるんだ?」
「それは秘密ということにしてください」
「とりあえず、ご馳走様」
その言葉にジャラナは驚く。
「いえ。これぐらいのことは。それで、ちょっと家に寄ってきませんか。少しお話したいことがあるのですがここでは……」
ジャラナの家に着くとジャラナは擬態を解いて背伸びをする。早速ヴァルクレアが質問した。
「聞きたいこととは何だ?」
「ヴァルクレア様はいつまでこちらにいらっしゃるのですか?」
「なんだ。私が居ては邪魔なのか」
「いえ、そういう訳ではありませんが、いずれはエスタリアに戻られるのですよね」
「そのつもりだが」
「秋江様をどうされるのですか?」
「どうとは?」
「一緒にお連れになるんですよね?」
「なぜ、そんなことを聞く?」
「お二人と別れるのは寂しいなと思いまして」
「私と別れられて、安心するの間違いじゃないのか?」
「いえ。ボクはヴァルクレア様は意外といい方だと思います」
予想外のセリフにヴァルクレアは驚きの声をあげる。
「何を企んでいるんだ?」
「嫌ですね。思った通りのことを言っただけですよ。普通ならボクのような下っ端とこんな風に接したりはしないでしょう?」
「それは、あっちゃんがお前と自然に接しているからな。私が構えても変だろう」
「まあ、そうなのかもしれません。それで、その秋江様は……」
「あっちゃんにエスタリアは合わないだろう。彼女は優しすぎる。その優しさが身を誤るだろうな。できれば、連れて行きたいがそうもいくまい」
「ご本人に聞いてみては?」
「いや。それはできない。そうだ、お前もあっちゃんに私と一緒に行くかを聞いたりするなよ」
「ご命令とあらば仕方ないですね。では、ヴァルクレア様は秋江様に何も告げずにここを去られるつもりなのですね」
「そのつもりだ。このことも秋江に告げてはならん」
「秋江様が悲しむと思いますが……」
「仕方ないだろう。住む世界が違いすぎる。彼女はこの世界にいた方が幸せだ」
「そうですかねえ」
「まあ、いずれにせよ、お前の仲間を始末してからだ」
「やめてくださいよ。もう仲間じゃないですし、何か分かればお知らせしますから」
「ヨグモースから接触があったら、適当な言い訳をして情報を聞き出せ」
「もちろん、そうしますけど、ボクは信頼されてないから難しいと思います」
「できる限りで構わない」
「それと、少しは役目を果たさないと次の魔族が送り込まれてこないか心配です」
「それはないな。これ以上新たな者を送りこむ余力はないだろう。こちらに送り込むときはあまり正確に位置の指定ができないようだしな。手駒を既に一人失っている。慎重にならざるを得ないだろう」
「そうだといいんですけど。そうなるとボクへの風当たりが強くなりそうですね。役立たずと」
「直接お前に何かができるわけではないのだろう? だったら、せいぜい精一杯頑張っているアピールをするんだな」
そう話すヴァルクレアの心に秋江の声が届く。ヴァルクレアは部屋の入口に行き、履物をはくとジャラナに告げる。
「急ぎの用ができた。その話はまた」
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