沖縄旅行

 抜けるような青空。白い砂浜。焼けつく太陽。砂浜には色とりどりの傘の花が咲いていた。


 その傘の一つの下で、ヴァルクレアは上下の別れた黒い水着姿の秋江の背中にベタベタするものを塗っている。確か日焼け止めオイルとかいう奴だ。

「こんなものでいいだろうか。たぶん塗り忘れはないと思う」

「クレちゃん、ありがとう。今度は私が」


「私は別に……」

「ダメだよ。これ以上焼いたら体に良くないし。ほら、うつ伏せになって」

「では代わりに私に」

 白いレースの付いた水着を着たヴァルクレアはジロリとその声の方に冷たい視線を向ける。


「あ、いえ、ヴァルクレア様が終わってからで結構です」

 じーっと見られてジャラナ扮する涼子は首をすくめた。上下一体となった桃色の水着を着ている。

「あー、いや、私もあまり日焼けしたくないな、なんて。ははは」

「なんで、お前がここに居るんだ?」


「偶然てやつでしょうか?」

「そうか。私の忍耐がどれくらいか試したいのだな。なんなら日光以外のものでこんがりと焼いてやってもいいんだぞ」

「ひいっ。ほんの冗談です。ちょっと場を和ませようとしただけです」


「ねえ、クレちゃん、早く寝て」

 ヴァルクレアは渋々敷物の上に寝そべる。

「クレちゃん。お肌の手入れをちゃんとした方がいいよ。今はいいけど、日光のダメージは年を取ってから表に出てくるんだから」


「そうなのか?」

「そうよ。それじゃ、こっち向いて。ついでに全部私が塗っちゃうから。やっぱりクレちゃんて筋肉すごいんだね。触ると全然違う」

「ちょっとくすぐったいんだが」

「すぐ終わるから。はい。あとはこれを顔に塗って」


 秋江はべたべたしたものをヴァルクレアの手に乗せる。

「額と頬、鼻は特に念入りにね。それと首筋も」

 ヴァルクレアは大人しく言われた通りにする。

「じゃあ、リョウちゃんもどうぞ」


「秋江様、ありがとうございます」

「自分でやらせればいいじゃないか」

 ヴァルクレアの抗議を秋江は気にも留めない。

「そんなの可哀そうじゃない。来ちゃった以上はしょうがないでしょ」


 水族館で泳ぐ魚にいたく感心したヴァルクレアに対して秋江が海に行こうと提案し、はるばる沖縄の海まで来ていた。飛行機に乗って興奮していたヴァルクレアの態度が一変したのは、沖縄の空港に着いた時だ。そこには、不在時にも大人しくしておけ、と言いつけたはずのジャラナが待っていた。


「なんで、お前がここに居るんだ?」

「目の届くところにいた方が安心でしょう? それについて来るなとはおっしゃいませんでしたから」

 ギリギリと歯を噛むヴァルクレアを秋江がなだめる。


 ヴァルクレアが呆れたのは、なんと宿泊する施設まで同じところだったからだ。ブツブツ言うヴァルクレアをとりなして、水着に着替えて浜辺まで出てきたところ、ジャラナが側によってきて、ちゃっかり同じ傘の下に陣取っていた。

「私にお任せください。ちゃんとお二人の荷物を見張ってますから」


 どうだ役に立ってるだろ、と言わんばかりの態度が癪だが、そのおかげで秋江と手を取り合って浜辺に繰り出せるのも事実だ。

「じゃあ、よろしくね。リョウちゃん」

 秋江はまったく屈託がない。


 波打ち際まで行ってみると水は想像していたよりもずっと冷たい。弱く打ち寄せる水に足を入れてみると心地よかった。目を保護する道具を顔に装着して水の中を覗いて見る。明るい色が視野をかすめた。指の先ほどの鮮やかな色の魚が泳ぎ去って行くところだった。


 目が慣れてくると青く澄んだ水の中を光の柱が照らし、色とりどりのものが水中を彩っていた。なんとも幻想的で美しい。

「これが海というものなのか」

 ヴァルクレアは感動していた。話には聞いていたが、ヴァルクレアの城から海は遠い。こちらの世界に来るまで見たことはなかった。


 しばらくして荷物を置いてあるところに戻るとジャラナがスマホから顔を上げる。

「なにもここまで来て、そんなものを眺めていることもないだろう」

「そんなことを言っても、ずっとほったらかしじゃないですか」

「拗ねるな。じゃあ、交代するから行ってきていいぞ」


「私ひとりで?」

「面倒なやつだな」

「クレちゃん、ついて行ってあげなよ。私はここで休んでるから。あまり日に当たるとあとで真っ赤に腫れそうだし」


 秋江がそういうので、ヴァルクレアはジャラナを連れて波打ち際まで行く。ジャラナは興味津々といった様子だが、水の中に足を入れようとはしない。

「どうした? ははあ、水が怖いんだな」

「べ、別に怖くなんかないですよ」


 ヴァルクレアがジャラナの手を持っていてやるとおっかなびっくりジャルナは水の中に入っていく。

「これを貸してやる。水の中を覗いて見ろ。色々な魚もいてきれいだぞ」

「顔を水につけるなんてとんでもない。しかも、これ塩水なんでしょう」


 ヴァルクレアは意趣返しとばかり、水をすくってジャラナにかける。

「わっ。何をするんですか」

「少しぐらい浴びたって体が溶けるわけじゃない」

 さらに勢いよく水をかけるとジャラナが恨めしそうな顔をする。


「周りを見ろ。少しぐらいは水を浴びないと変な目で見られるぞ。だいたい、お前は何をしに来たんだ?」

「お二人が楽しそうだったんでついて来ただけです。まさか、水を浴びることになるとは……。もう満足しました」


 それから交代で水に入ったり、買ったビーチボールで遊んだりした。ジャラナはビーチボールがいたく気に入ったようで、ポコンポコンと秋江と打ち合って大喜びをしている。秋江とヴァルクレアが交代し、ヴァルクレアが強く打つと波打ち際に落ちた。ジャルナはボールが波にさらわれそうになり夢中で追いかけて取り返す。


「なんだ。水に入っても平気じゃないか」

「言われてみればそうですね」

 ボールをしっかりと抱きかかえながら水しぶきを上げてもどってきたジャラナは肩をすくめる。


「あ、秋江様が……」

 振り返ってみると傘の下で休んでいた秋江の側に2人連れの男が来て、しきりと話しかけている。

「ナンパでしょうか。少々お困りのようですね」


 その声がヴァルクレアに届くか届かないかの内に、ジャラナの前からヴァルクレアの姿が消えていた。足を取られる砂の上とは思えぬスピードで走るヴァルクレアを見て、ジャラナはクスリと笑う。恐怖の女王と魔族に恐れられている存在があれほど大事にしている相手がいることが意外でもありおかしくもある。


 ボールを一人で投げ上げ、受け止めながらジャラナが二人の所に戻った時には、男たちの姿は消えていた。ヴァルクレアが荷物をまとめている。

「どうしたんです?」

「そろそろ引き上げようかと思ってな」


「面倒なのが付きまとうからですか?」

「いや。あっちゃんの肌がな」

 秋江の肌が薄く赤色に染まっている。肌が白いためより日焼けをしてしまったようだ。


「ゴメンね。せっかく遊びに来たのに」

「いや。もう十分に楽しんだ」

「それで、さっきの連中はどうしたんです?」

 ヴァルクレアはそれに対して返事をしない。


「私たちは引き上げる。さっさと荷物をまとめないと置いていくぞ」

「ということは、ついて行っていいということでしょうか?」

 ジャラナは満面の笑みを浮かべる。

「無駄話をしているなら本当に置いていくぞ」

「あ。はい。すぐに支度します」


 一度ホテルに戻って着替えてから3人で街に繰り出した。あらかじめ秋江が目星をつけていたお店に入る。

「なるほど。泡盛で沖縄料理を楽しもうということですね」

「リョウちゃん、正解。良く知ってるね」


「そいつはベースになった人の記憶・知識も引き継ぐからな」

 ヴァルクレアが面白くなさそうに言う。

「おっしゃる通りです。お陰で色々と役に立ちます」

「そうだろうとも。人の先回りをしたりとかな」


「クレちゃん。もういいじゃない、それくらいで」

 先に運ばれてきた酒を杯に注いでヴァルクレアに渡しながら秋江がとりなす。ジャルナは水だ。

「それじゃあ、乾杯」


 厚切りの肉を甘辛く煮たもの、魚を揚げたもの、ひどく苦い野菜と卵を炒めたもの、緑色の粒々したものを前に食事が始まる。

「リョウちゃんは飲まないの?」

「アルコールの取り過ぎは体に良くないです」


 それを聞いてヴァルクレアが感心した声を出す。

「お前と知り合ってから始めてまともなセリフを聞いたな。その点については私も同意だ」

「そういうところで意気投合しなくてもいいんだよ。旅行先なんだしいいじゃない」


「私もあまり言いたくはないが……」

「お酒と美味しい料理がなかったら人生の楽しみの半分はないも同然じゃない」

「まあ、ほどほどにな」

「クレちゃん、泡盛はあまり好きじゃない?」

「うん。あまり好きではないかもしれないな」

「そうかあ。じゃあ、ビールにしなよ。ここでしか飲めないのがあるからさ」


「すると、その容器は誰が飲むんだ?」

 テーブルの上の容器に目をやってヴァルクレアが問う。そこそこの大きさの容器だった。

「私……かな?」

「そういう訳にはいかないない。私も付き合おう」


 結局、秋江はいい気持ちで酔いつぶれ、突っ伏して寝てしまう。だから、言わんこっちゃないという顔をするヴァルクレアを助けて、ジャラナが代金を支払い、宿までの移動手段を確保した。タクシーという名の箱車だ。一人では色々と面倒だったことを考えるとジャラナが居て助かった。


 二人で秋江を抱きかかえるようにして、部屋まで運ぶ途中でヴァルクレアは固い声を出す。

「お前がいて助かった」

 それを聞いてジャラナがうっすらと笑みを浮かべる。


「ヴァルクレア様と秋江様のお役に立ててなによりです」

「そのニヤニヤ笑いをやめろ」

「いいじゃないですか。感謝されてうれしいんですから」

「別に感謝はしていない」


「そうなんですか。まあ、いいです」

 そっと秋江をベッドに降ろすと、秋江が目を開ける。

「わ、いつの間にか部屋にいる」

 申し訳なさそうな顔をする秋江にヴァルクレアが言う。

「礼ならあいつに言うんだな」


 

 


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