服従の誓言

「先ほどまでの姿のオリジナルはどうした?」

 ヴァルクレアはじっとジャラナを見つめる。

「死んだよ」


 ヴァルクレアの様子を見ていたジャルナは慌てて付け加える。

「違うって。ボクは何もしていない。むしろ助けようとしたんだよ。でも、辛いから死ぬって自分で死んだんだ。この世界にはいっぱいいるんだよ、死にたいって人が。ボクから見たら十分恵まれているように見えるけど、良く分からないや。さあ、さっさとボクを眷属化してよ」


 ヴァルクレアはジャラナを跪かせてその前に立つ。

「では、私がお前に課す制約を繰り返せ」

 ヴァルクレアはジャラナに対し、次々と制約の内容を言って聞かせる。ヴァルクレアの指示に服従すること。人を傷付けぬこと。邪神ヨグモースに従わぬこと。そして、思い出したように秋江の指示に従うことも付け加えた。


 ジャラナが復唱し、これを遵守することを誓うと顔を仰向かせた。ヴァルクレアは自分の左の手首に右手の小指の爪を当てシュッと切れ目を入れる。手首を垂れる血をジャラナの開けた口に垂らす。


「眷属が誓言を果たさぬとき、我が血よ、猛毒と変わりその命を奪え。血命の誓約」

 ヴァルクレアが呪文を唱え終わるとジャラナはそれを飲み下す。


「ふう。これでもうボクはあなたの忠実な僕だ。ヴァルクレア様、それで何をすればいい?」

 ヴァルクレアは右手を左手首に添え、魔力を込めて傷を塞ぐと、ジャラナに言った。

「当面は今までどおりにしていればいい」


「え? いいの?」

「さしたる悪事を働いているわけでもないからな。今までもあまり熱心に邪神の指示に従っていたわけではないのだろう?」

「まあ、そうだね。ああ。ホッとしたらお腹空いてきちゃった。食事していい?」


 ヴァルクレアが頷くと、ジャラナは戸棚から細長い包みを取ってきて、先端を千切ると先を吸いだした。すぐにトロンとした目となり、恍惚の表情を浮かべる。

「うーん。最高。良かったらヴァルクレア様と秋江様もどう?」


 急に様付けで呼ばれた秋江がジャラナが手にしたものを見ると世間で猫用のドラッグと言われているものだった。

「それって猫用の……」

「そうみたいだね。あ、そうか、お二人の口には合わないか。おもてなしすべきなんだろうけど、たいしたものが無いなあ」


「まあいいさ。用が済んだし、今日の所はこれで引きあげる」

「ヴァルクレア様。助けてくれて感謝してます」

 次に秋江に向かいなおるとジャラナは言う。

「秋江様。ボクの命乞い心より感謝いたします。この御恩は忘れません。大したことはできませんが、なんでもお申し付けください」


「私への態度と随分と違うな」

「秋江様がいなかったら、ヴァルクレア様はボクがどれほどかき口説いてもボクの命を奪ったでしょう?」

「まあ、そうだな」

「それじゃあ、何か御用があったら、この番号まで連絡してください」

 ジャラナは紙に書きつけて渡す。


 ヴァルクレアは秋江と一緒にジャラナの家を出て帰宅の途につく。

「クレちゃん。また、余計な事しちゃったみたいだね」

「いや。そんなことはない。それよりも付き合わせて悪かった」

「やっぱり生きている世界が違うんだね」


「簡単に命を奪うことか?」

「そう。ちょっとそれにはびっくりする」

「私が短絡的なのかもしれないな」

「そんなことは無いと思うけど」


「私ではあのジャラナを生かしておくという考えは浮かばなかった。結果としてみればこちらの方が良い。継続的に敵の情報を入手できるしな。考えてみればコピーキャットはそれほど脅威になる存在でもない」

「自分では大したことができないって言ってたね」


「確かに戦士として見たら微妙だな。相手の見知った姿になって寝首を掻くぐらいがいいところだろう。武装した兵士なら苦も無く倒せるしな。それに見た通り、気まぐれで怠惰なんだ。だから、あっちゃんは無益な殺生を防いだことになる」

「そうか。なら良かった」


「ただ、もう今後会うことはないだろうが、ジャラナには気を付けた方がいい」

「どうして?」

「あいつはあっちゃんに非常に感謝しているだろ」

「なんだかそうみたいだね。なにかしたのでもないのに変な気分」


「見ず知らずの初対面の相手の命乞いをしてくれる相手なんてジャラナにしてみれば驚き以外の何物でもないだろう。慈愛の女神と思ってもおかしくないさ」

「大げさすぎるよ、それは」

「まあ、それはこの際脇に置いておこう。問題なのは感謝していることさ」


「それが良くないっていうの?」

「コピーキャットの感謝の表し方がね。さっき、気まぐれで怠惰だといったな。もう一つ特徴がある。気まぐれなんだが一度自分が好きになった相手には盲目的に執着するんだ。感謝の念が好意に変わってもおかしくないしな」


「そうなんだ。別に私はジャラナとお友達になっても問題ないと思うけど」

 ヴァルクレアはどうしたものかな、といったような表情を浮かべる。

「何か問題でもあるの、クレちゃん?」


「まあ、あいつに誓言をさせたから変なことはしないと思うが……」

「ねえ、はっきり言ってよ」

「なんというかな。コピーキャットというのは享楽的なんだ。肌の触れ合いも好むし、あまり種族の違いも気にしない。それに……性別も気にしないんだ」


「え?」

「自分たち基準で物を考えるから、気が付くとどんどん触れ合いが過激になってくる」

「それって……」


「そうさ。あっちゃんをパートナーに見立ててグイグイくるぞ」

「うそ」

「本当さ。そういうケースを見聞きしたことがあるんだ。しかもコピーキャットはとことん相手に尽くそうとするから厄介だぞ」


「クレちゃん冗談はやめてよ」

 秋江が困った表情をするとヴァルクレアは真面目な顔で見返した。

「冗談じゃないさ。まあ、私からもあっちゃんに接触しないように良く言い含めて置く」


「そんな話を聞いていたら、なんか急にお腹が空いてきちゃった」

「まあ、ジャラナのところで結構時間を使ったからな」

「夕飯どうしようか? どこかで食べて帰る?」

「私はそれでも構わないぞ」


 秋江は足を止めて、何かを思い出すように考える。

「この近くだと……」

 ヴァルクレアは期待を込めて秋江を見る。秋江がこうやって考えているときは秋江のお勧めの店を思い出しているときだ。今までにこうやって連れて行ってもらったところで美味しくなかったことはない。


「昨日と今日と一杯食べてるから軽めにしよう」

 箱車に少し乗って秋江に連れてこられたのは木造の家だった。普通は表に玻璃の箱があり、おいしそうな料理の模型なり絵なりが飾られているのだがここにはそういったものがなかった。


 本当にここが飲食をさせる店なのか首をひねるヴァルクレアを従えて、秋江は入口に下がる布をくぐって扉を開ける。威勢のいい歓迎の言葉が聞こえ、やはりここはそういう店なのだと知った。


 中も木でできており、どうやら古い建物らしい。卓の一つに案内され座る。秋江が店の人に注文を告げた。基本的にヴァルクレアはお店での注文は秋江に任せている。ただ、ビールを1本という際には、眉を上げた。店の人が去ると秋江は言う。

「一本だけだから。ね。今日も暑いし」


 最初にビールの玻璃の器と杯、何か茶色の塊、鳥肉を焼いたものが運ばれてきた。秋江が嬉しそうな顔をする。

「かんぱーい」

 

 茶色の塊は僅かな甘さと塩からさの中に香りのいい何かの粒が入っている。箸でそれをすくいとって舐めながらビールを飲むらしい。鶏肉にも甘辛いソースがかかっている。どちらもビールの苦さと舌の上で弾ける感じに良く合った。


「このお店も好きなんだけど、一人で入るのはなかなかに気が引けてさ」

 ヴァルクレアは周囲を観察する。確かに男性が多く、女性の一人客は少ない。それでも全くいないわけではないな、と思っていると閃いた。


「一人で入るのが気が引けるのではなく、一人で飲むのが、だろう?」

「そーよ」

 秋江は当然と言った顔をする。

「おそば屋さんに入って飲まないなんてありえないじゃない」


「そば屋というからには、そばというものを食べる場所だろう?」

「違います」

 大真面目な顔で秋江が断言する。

「違わないけど、違います」


「一体どっちなんだ?」

「確かにおそばを食べるところではあるのだけど、その前にお酒を飲むところでもあるのです」

「それは……あっちゃんがそう言っているだけではないのか?」


「残念でした。昔のすごい作家さんも言っているわ。そば屋に入って飲まないなんてありえないと」

「そういうものなのか」

「そうなのです」


 そこへ四角い容器に盛られた細長い食べ物と、黒い汁の入った容器が運ばれてきた。どうやら、この細長いものがそばというようだ。声を潜めて、ヴァルクレアは秋江に聞く。

「私の認識が間違っていなければ、音を立てて食事をするのはあまり行儀が良くない行為だと思うのだが……」


 周囲の人が盛大に音を立てて、そばを食べている。

「そうなんだけど、おそばは例外かな。そうやって食べる方が香りを楽しめておいしいよ」

 秋江もそばをつまみ上げ、容器に入った汁にちょっと浸けてすすってみせる。ずずず。


「あ、汁は結構味が濃いからね。余りつけない方がいいかも」

 ヴァルクレアも言われたように食べてみる。鼻から喉の奥にかけて清涼な香りが抜けた。

「うん。確かにこれはうまい」


 更に食べるが、すぐになくなってしまう。名残惜しそうにしていると、注ぎ口のついた赤い容器が運ばれてくる。秋江がそばをつけた器にそこから白濁したものを注いでくれた。どろりとした暖かいものが体を満たす。


 ふーっと息を吐いていると秋江が言った。

「ああ。楽しかった。これで明日からも働けるかな」


 

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