魔族の尖兵
ヴァルクレアが捕まえた女は振り向いて驚いた顔をする。そして、みるみるうちに青ざめていった。
「ヴァルクレア……」
「信じられぬという顔をしているな」
「なぜ、なぜ、お前がここに居る」
「そうか。聞いていないのだな」
ヴァルクレアの声に憐れみの情が混じる。
「気の毒だが、生かしてはおけぬ」
目撃されては面倒だと、ヴァルクレアは通路の左右を確認する。足音が聞こえて、面倒だなと思っていると秋江が飛び込んできた。
「クレちゃん。急に走り出すからびっくりした」
「あっちゃん。先に家に帰るように言ったじゃないか」
「急に顔色変えて走り出すのだもの。気になっちゃって。それで、その人は?」
秋江はヴァルクレアに腕を捕まれて身を強張らせている20才前後の女性を見て聞く。
ヴァルクレアは声を固くして言った。
「これはあっちゃんには関りの無いことだ。頼むからこの場から離れてくれ」
双方の顔を見ていた女はヴァルクレアに懇願する。
「お願い。命だけは助けて」
渋い顔をするヴァルクレアに秋江は声を詰まらせながら聞いた。
「まさか……クレちゃん?」
「こいつは魔族の尖兵だ。先の魔王の転送の準備をしたのもこいつだろう」
「それでどうするの?」
「前にも話しただろう。私には義務がある。障害は排除しなければならない」
ヴァルクレアの声に冷たいものが混じった。
「ねえ、クレちゃん。そんなに悪いようには見えないんだけど」
「ああ、こいつは小物だ。見かけに騙されてはいけないと言いたいところだが、見かけ通りそれほど有害なわけじゃない」
「だったら……」
「だが、こいつがこの世界にいること自体が脅威なんだ。この世界の適正者に甘い言葉を囁き、転送に同意させ私の世界に送り込む手伝いをしている。だから私はこいつを殺す」
殺すという言葉の強さに秋江は絶句する。
「あっちゃんには関りの無いことだ。そういう場面を目撃することはない。先に帰っていてくれ。それほど時間はかからない」
通路に足音が響き中年男性が通りかかる。薄暗い通路に若い女性が3人立っていることに不審の表情を浮かべたが、何も言わずに通り過ぎた。
「時間がかかると目撃者が増える。頼むから先に……」
「クレちゃん。その子、助けてあげられないの?」
ヴァルクレアは困惑の表情を浮かべる。
「なぜだ。あっちゃんの優しさは分かるが、こいつは私に仇なす存在なんだぞ。あの黄色と黒の毒虫を叩き落としたのと何が違うんだ? 人の姿をしているからか? これは仮の姿だ。擬態しているに過ぎない」
「うまく説明できないんだけど、そんなに悪い子じゃない気がするの。私が分かっていないだけなのかもしれないけど。済んだ話なら仕方ない。でも、これからクレちゃんがその子を手にかけると聞いてほっておけない」
二人のやり取りを聞いていた女は恐る恐る口を挟む。
「ヴァルクレア様。あなたに服従を誓えばお見逃しくださいますか」
「魔物の誓いなどっ!」
「誓言をたてます。ならば生殺与奪は思いのまま。お願いします」
「ヨグモースの眷属が私に誓言を立てるだと? そこまでして……」
「はい。死にたくありません。この素晴らしい世界を知ってしまったからには死にたくない。どうか」
女は通路に膝をつく。
ヴァルクレアは秋江の顔を見てため息をついた。こうなってはもう手遅れだ。絶対的弱者に対して完全に同情してしまっている。秋江の瞳が懇願するのをヴァルクレアは斥けることができない。
「我が血より創りしものよ。その留めし者の場所を我に告げよ。探知の緑針」
ヴァルクレアの左手の上に小指の長さほどの暗緑色の針状のものが浮かび上がる。それをつまむと女の首筋に刺した。針は女の体内に消える。刺された瞬間、女はうっという声を出した。
「クレちゃん。一体なにを?」
「単にこいつがどこへ行っても場所が分かるようにしただけだ。野放しにはできないしな。お前の名は?」
ヴァルクレアが訊ねると女は逡巡する。
「真の名を言え。助かりたいならな。もし欺いたとあらば、容赦はせぬ」
「ジャラナ」
「ジャラナ。お前の住処に案内しろ。そこで誓言をたててもらう。ここでは人目に付き過ぎるし、お前も困るだろう?」
ヴァルクレアが手を離すとジャラナは掴まれていた場所をさすりながら恨めしそうな目でヴァルクレアを見た。
「そんな馬鹿力で掴まなくてもいいじゃないか。きっと痣になる」
「痣で済んで良かったじゃないか。さあ、ぐずぐずするな」
「クレちゃん?」
「あっちゃんの頼みだから、このジャラナは生かしておく。だが、私に背かないようにさせなくてはいけない。それをこれからしてこようと思う。私が本当に手を下さないか気になるだろうから一緒に行こう。確か乗りかかった舟というのだろう?」
ジャラナの案内で着いた場所は地下の箱車に乗り、いくつか目の停車場を降りた場所にある建物だった。秋江の住まいとよく似た建物に入っていく。
「どうやってこのような場所を手に入れた?」
ヴァルクレアの声が尖るのにジャラナは首をすくめる。
「全部話すよ。そんな怖い声を出さないで。とりあえず、いつまでもここに居られないだろ。中に入ってよ」
昇降機から降りて先に行くジャラナは806という番号の札の前に止まる。
「つまらん真似をしたら分かっているな?」
「ボクの力じゃ何もできないのは分かってるだろ?」
「仲間がいないとも限るまい?」
「仲間か。そんなものがボクに……。まあ、いいや。中を探知してみなよ」
ヴァルクレアは魔力の触手を伸ばし、少し開いた扉から中を隅々まで探る。さして広くない部屋だ。生命体及び悪意の込められた存在は検知できなかった。この間、油断なくジャラナにも注意を払っている。たっぷりと美味しい料理を食べ、温泉で心身を活性化してきたせいかヴァルクレアは苦も無くこれらのことをやってのけた。
「よし。中に入れ」
ジャラナを先頭に中に入る。ヴァルクレアが続き、秋江が最後に入った。
「お邪魔します」
秋江が小さな声で言う。二人が振り返ると秋江は何よ、と言った顔をした。
廊下を進み、部屋に入るとこぎれいに片付けられていた。ベッドに机、戸棚など。ジャルナはベッドに腰掛けると挑戦的に言った。
「さあ、これからどうしようというんだ? ひ弱なボクをいじめてそんなに楽しいかい?」
秋江を椅子に座らせるとヴァルクレアは言った。
「そんなにつっかからなくてもいいだろう?」
「ボクの立場にもなってみてくれよ。おしっこちびっちゃいそうだ」
「まったくこれだからな。
ヴァルクレアは愉快そうに言った。
「まあ、まずは本相を表してもらおうか」
その言葉にジャラナは仕方ないといった表情をする。ジャラナの体が目の前で少しずつ変化していき、猫と人との中間のような姿になる。
もしゃもしゃとした黄金色の髪の毛から三角の耳が飛び出し、手足は長い毛に覆われている。そして、長い尻尾が背後から現れてゆらゆらと揺れていた。
「え?」
秋江が短い驚きの声を上げて固まる。
「こいつはコピーキャット。ある条件を満たした相手に見た目や声を完全に似せることができる。その相手に完全になりきってしまうといってもいい。見破ることは非常に困難だ」
「すぐに見破った人が言うと嫌味だね」
「ああ。別に私はお前の擬態は全然分からなかったぞ」
「それじゃあ、なんでボクを捕まえたのさ?」
「その首から下げている魔具のせいさ。邪神の気が漏れている」
「なんだよ。それじゃあ、これはちっとも役に立たないじゃないか。さっさと捨てておけば良かった」
嘆くジャルナにヴァルクレアは意外そうな顔をする。
「捨てる? それではあの世界との関係が切れてしまうだろう?」
「その方がいい。できることならそうしたかった」
「良く分からないな」
「お強い王様には分からないだろうね」
「どういうことだ?」
「ボクらコピーキャットは下っ端ってことさ。力もそれほど強くない、できるのは誰かに化けるだけ。そもそもボクがここに送り込まれてきたのはなんでだと思う?」
「魔王の候補を発掘するためだろう?」
「そうじゃなくて、なぜボクなのかってことさ。それはボクが使い捨てになっても良かったからさ。弱い個体だからね。転位に必要な力も少なくて済むし。様子を確かめる段階の使い捨て要員なのさ」
「随分とひねくれているんだな」
「そりゃそうさ。最初ボクがどれだけ苦労したと思う? まったく異質な世界でさ。それなのに最初の候補者をなんとか送り出したら、次の者を送り込んできて、そしたらボクはほったらかし」
ヴァルクレアが黙っているとジャラナは言葉を続ける。
「なのに3体目と連絡がとれなくなった途端に、どういう状況か確認しろだとか、早く次の候補を探せだとかうるさくてさ。なのに、大事なことは教えてくれない」
「大事なこと?」
ジャラナは唇を尖らせる。
「ボクが出会ったら即死レベルの脅威があることを隠すなんて」
「私のことか」
ヴァルクレアが苦笑する。
「そりゃあ、そんなことを知ったらボクはここに引きこもるけどね。そりゃそうだろ。今日はそちらのおねーさんが居てくれたからさ、運よくこうやって話してられるけど、そうじゃなかったら今頃は血煙になってただろうからね」
秋江を指さして言う。
「話がずれちゃったけど、要するにボクは可能ならこの世界でのんびり暮らしたい。ここなら虐げられる心配も無いし、最高にうまいものもある。だけど、ボクが反応しなくなって次に来た奴に見つかったら八つ裂きにされちゃうからさ。決心がつかなかったんだけど、こうなったら決まりだ。さっさとボクを奴隷にしてくれよ。そして放っておいてくれないかな」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます