長期休暇

 ある日、夕食時に秋江がヴァルクレアに言った。

「ね。明日からはゴールデンウィークで休みなんだ。何かしたいことある?」

「金色がどうかしたのか? 5日働いて2日休むというパターンだと思っていたが」

「うーん。まあ、そういう名前の休みがあると思ってよ」

「そうか。あっちゃんの予定はないのか?」


「そうねえ。例年だったらゴロゴロ寝ているだけなんだよね。寝不足だから寝てばかり。少し掃除はするけど」

「では、まず掃除をしてしまおう。私も手伝う」


 1日はカーテンを外して洗濯したり、寝台を解体してその下の掃除をしたりして忙しく過ごした。

「少しは役に立てているだろうか?」

「うん。お陰で助かったよ。いつもならやれない所もできたし。クレちゃんが居てくれて大助かり」


 翌日からは秋江の案内であちこちに出かける。水の中にすむ魚を見れるという水族館、この東京という街が一望できる展望台、美術品を展示してあるところなどなど。いずれも昼は素敵なお店で食事をした。もちろん味もいい。


 毎日がヴァルクレアにとって驚きの連続だった。人の体より大きな魚など見たことも無かったし、見渡す限り家々が立ち並ぶ光景にも圧倒される。そして、何よりも心を引かれたのが先日行った動物園というところの側にある美術館に展示されていたある品だった。


 玻璃の向こうに横たえられている片刃で反り身のある剣は妖しい光を放っていた。ヴァルクレアは玻璃に顔をくっつけんばかりにしてその剣を凝視する。その剣からは魔力も感じられた。あまりにじっと見つめるヴァルクレアに秋江が小声で話しかけてくる。


「クレちゃん、どうしたの? 目が落ちそうよ」

「ん? あ、ああ。あまりに素晴らしいもので我を忘れてしまった」

「欲しいなあとか思ってたんでしょ」

 秋江が揶揄うように言うのに対して真面目に頷いた。


「ダメよ。あれは国宝だもん。いくらお金を積んでも買えるものじゃないわ」

「そうだろう。まさに国の宝というにふさわしい品格だ。やはり、この国の王の佩剣なのだろうな」

「そういう訳じゃないけど、昔いた鬼を切ったとも言われてるみたいね」


 その展示品の前からヴァルクレアが移動するのは大変だった。ちょっとだけでもいいから手に取ることはできないだろうか、と未練たらたら、秋江に強引に連れ出されるような形で展示室を出る。

「もう。警備してた人に不審な目で見られちゃったじゃない」


 秋江の休みが終わりになろうという日には城を見に連れて行ってもらった。秋江が言うには、もう城としては使われておらず、堀や石の壁が残っているだけだという。それでも構わないといって行ってみると広壮な立派なものだった。堀は広く、石を絶妙な勾配で組み上げた石の壁は敵の侵入を容易に防げそうだった。


 城への入口の門を入ってもすぐに道は曲がっており、また別の門が構えている重厚さだ。なるほどっ。ヴァルクレアは一目見て感心する。第一の門を突破して侵入した敵兵は、ここで三方から一斉に狙われるのか。ここで進退窮まって甚大な損害を出すことは間違いなさそうだ。これほどの構えでありながら今では城として使っていないとは贅沢なことだ。


 一通り見て満足した帰り道、ヴァルクレアの目にあの二つの輪が連なったものに乗っては倒れする人の姿が映る。その視線を追った秋江が声をかけた。

「クレちゃん。自転車に興味があるの?」

「そうだな。あれは何をしているのだ? 見れば乗ったり倒れたり忙しいようだが」


「ああ。あれは自転車に乗る練習をしているのよ。あそこで自転車を借りることができるの」

「そうなのか。最初から誰でもあれに乗れるのかと思っていたがそうではないのか」

「クレちゃんもやってみたい?」

「ああ。ぜひとも試してみたい」


 最初のうちはよく勝手が分からなかったが、ヴァルクレアはすぐに自転車で真っすぐ走ることができるようになった。進むにはペダルという部分を交互に踏めばいいし、止まるには手で掴んでいる部分の下側の棒を握ればいいことも分かった。そしてすぐに左右に自在に曲がることもできるようになる。


 慣れないうちは大汗をかいたが上手に動かせるようになると本当に気持ちいい。うまく乗れるようになったので、秋江も借りて城の周囲の道を走ってみることにした。いつもはすごい速度で箱車が行きかう場所を規制して、この自転車というもので走れるようにしてあるらしい。


 ポカポカと暖かい晩春の午後、二人並んで自転車に乗るのはとても楽しかった。子供に返ったようにウキウキとした気持ちになってヴァルクレアは叫びだしたくなる気持ちを抑える。全力疾走するよりも速い速度を楽々と出せる物に乗ってどこまでも走って行きたかった。


 やがて道なりに走るとやがて元いた場所に戻ってくる。あっと言う間だったが素晴らしいひと時だった。少し上気した顔で秋江がヴァルクレアに文句を言う。

「スピード出し過ぎよ。追いかけたら汗かいちゃった。子供みたいにはしゃいじゃって」


 自転車を返却して少し歩き遅い昼食にする。パンに焼いた挽肉とチーズや野菜をはさんだものと細長い芋を揚げたものを食べた。秋江はビールを飲んでいる。ヴァルクレアの非難を含んだ目を見て秋江は唇を尖らす。

「普段あまり運動してないのに急に体を動かすようなことさせるから喉が乾いちゃった」

「別にお茶でも喉は潤わせることができると思うぞ」

 とは言ってみたものの、真剣に文句を言うつもりはない。そんなことをしたら罰が当たるだろう。


「でもさ、クレちゃんてやっぱり運動神経がいいんだね。初めて自転車乗ったのにあんなに簡単に乗れちゃうなんて」

「最初は苦労した」

「あれは苦労しているようには見えなかったわ」


 パンをひとかじりする。焼き固めた挽肉から肉汁が溢れてきて唇を濡らした。

「そんなことはない。最初はまっすぐ走ることすらできなかった。ある段階を超えると急に上達したとは思う。魔法の習得と一緒だな」

 秋江は身を乗り出してきて声をひそめる。


「あまり、外でその話はしないで」

「ああ。すまない」

「でも、自転車の練習と同じだなんてちょっと不思議」

「コツをつかむまでは大変だが一度習得してしまえばそれほどでもない。そういう意味では一緒だ」


「じゃあ、私でも使えるようになるのかしら?」

 半ば冗談めかして言う秋江にヴァルクレアは手についた匂いを気にしながら重々しく頷いてみせる。

「え? うそでしょ?」

「嘘なものか。でも、この話は外ではしない方がいいんだろう?」


 食べ終わって席を立つ。ご機嫌な秋江が腕を組んできたので支えるようにして歩く。

「少しお酒には気を付けた方がいいな。酔って意識を失くしたら危険だぞ」

「クレちゃんが一緒だから大丈夫、大丈夫。分かってますよーだ。一人のときにはこんなことはしません」


「何が大丈夫なものか。私は道が分からないんだぞ。ちゃんと案内してもらわないと家に帰れない」

「そこまで酔ってません。そんなに量も飲んでないし。その割には効いたなあ」

「汗をかいたから吸収がいいのだろう」


 ヴァルクレアは秋江を支えて地下の道を歩く。明るく人通りが多いがぶつかるほどの混雑はしていないことに感謝した。一応秋江が指示をすることができる状態だったので、苦労はしたもののなんとか秋江を連れ地下の乗り物に乗って秋江の家の近くの停車場まで帰ることができた。ここまで来れば道は分かる。


 昼食が遅かったので軽めの夕食を食べているときに秋江がぽつりとつぶやく。

「あーあ。お休み終わっちゃったな」

 なんと返していいかヴァルクレアが言葉を探していると、

「ねえ。クレちゃんて王様を休みたいと思ったことないの? 無いよねえ。やっぱり」


「そんなことはないぞ」

「えー。クレちゃんて責任感強そうだし、真面目じゃない」

 ヴァルクレアは秋江ににこりと笑って見せる。

「現に今は王様を休んで、あっちゃんと休暇を楽しんでいるところじゃないか」


「あ。そうか。言われてみればそうかも。でも、悪い奴を探す仕事をしながらでしょう?」

「正直に言うとちょっと私も息抜きがしたかったんだ。だから半分休暇というのはその通りだ。こんなにいい場所だとは思わなかったけど」


「ふーん。クレちゃんの世界も刺激的な感じがするけど。毎日が冒険みたいじゃない?」

「物は言いようだな。お互い他所の様子は良く見えるのだろう。ただ、少なくとも」

 ヴァルクレアは最近使い始めた2本の棒、箸を持ち上げて見せながら言った。

「食事はこちらの世界の方が断然にうまい」


「そうなの?」

「私は城にいるときはかなり上等な物を食べていたが、ここまで種類も豊富でないし、甘い物はほとんど口にする機会が無かった」

「そうなんだ。話は変わるけど、私も魔法が使えるようになるって話なんだけど、あれって本当の話?」


「理論的にはそうだ。魔法を使うにはまずイメージが重要だ。使いたい魔法を頭に思い浮かべ、体内の魔力をそれに乗せてやればいい」

「身振りをしたり、何か口の中で唱えてたりしているのはやらなくていいの?」

「あれはイメージをより強固に呼び覚ますためのもので必ずしも必須ではない」


「じゃあ、誰でも魔法って使えるんだ?」

「いや。根本的な問題として魔力の確保がある。体内で生成するか、存在する魔力を体内に取り入れるか。こちらの世界は魔力の存在が限りなく薄い。体内で生成するしかないが、どうやらこちらの世界の人はその機能を持っていないようだね」


「なんだ。やっぱり使えないんだね」

「そんなことはない。私が分け与えるなり、この石に蓄えられているのを吸い上げるなりすればいい。でも、なぜそんなに私の魔法に興味があるんだ?」

「使えると便利だし、それにカッコイイじゃない。クレちゃんの姿とてもカッコよかったんだもん」

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