待ち伏せ
カサカサ。
藪の中を何かが近づいて来る。相手は全く樹上のヴァルクレアの存在に気づいていない。ヴァルクレアの視線の先には魔晶石が半ば土に埋められている状態で置かれている。
先日、秋江に連れてこられたオウメという場所の山奥にヴァルクレアはいた。月も出ていない深夜の暗闇の中でヴァルクレアは体内の魔力で視覚を増幅し目を凝らす。暗褐色の肌と羽が目に入る。そいつは特徴的な鉤爪を伸ばして魔晶石をつかもうとした。
その途端にヴァルクレアが空中を飛び、そいつの頭を力いっぱい鉄の棒で殴った。ゲイン。そいつは魔晶石をつかみ損ねて倒れ大きな木に激突する。ヴァルクレアもバランスを崩しそうになりながらもきれいに着地した。手にはまだ硬いものを叩いた衝撃の感触が残っている。
ヴァルクレアは鉄の棒を投げ捨てる。人の背丈よりちょっと長く手ごろな太さの鉄の棒だ。秋江の住まいの近くで何かを建てている場所があり、地面に無造作に置いてあったので1本借りてきたものだった。相手に気取られないように初撃は物理的な打撃を与えたかったのだがもう用済みだ。
「天翔ける雷よ。我が敵を打ち倒し動きを封じよ。霹靂一閃」
ヴァルクレアの指先から青白い稲妻が空中を走り、まだ衝撃から立ち直っていない鉤爪の悪魔に命中する。その体の表面にパッと細い光の筋が走って消えた。稲妻が当たった姿勢のまま夢魔は動きを止める。
ヴァルクレアが右手のひらを少し下げると、鉤爪の悪魔は落ちくぼんだ目に恐怖と絶望をたたえながら、シューシューという声を漏らす。
「きょ、恐怖の女王か。くそ。ついてねえ」
「私に会ったことに驚いていないのだな」
ヴァルクレアは語気を強める。
「この世界にはお前を含めて何体送り込まれている。吐け」
「けっ、くたばれ」
「この世界では魔力が薄すぎて、こうしている間も苦痛でならないだろうに元気なことだな。私もあまり時間がない」
ヴァルクレアは左手で空中に軌跡を描きつつ呪文を唱える。
「我が抱擁に身を委ね、汝の心を明け渡せ。その膝を屈せよ。絶対服従の縛め」
呪文が効果を発揮したのを確認して、再度同じ質問をした。
「オレを含めて3体だ」
「他のやつらはどこにいる?」
「知らない。こちらに来てから会っていない」
「お前は何番目に送り込まれてきた?」
「3番目だ」
「任務は何だ?」
「先に来た奴らの支援と……お前の足止めだ」
「最後の質問だ。この世界の人を何人食ろうた?」
「まだ食ってねえ。この世界は魔力が薄い上に、転位した途端、黒い獣に襲われてそれどころじゃなかった」
やはりな。あの熊という獣に感じた薄い気配はこいつのものか。
「そうか。ならばせめてもの慈悲だ。苦しまずに消滅させてやる」
悪魔の首から下がる黒い皮のペンダントを引きちぎるとヴァルクレアは至近距離から魔弾を撃ち込み鉤爪の悪魔の体を粉々に粉砕する。やがて風に流されてその痕跡も消えた。囮に使った魔晶石を回収し、代わりにペンダントを埋める。
ペンダントを埋めた場所を中心に小屋ほどの大きさの結界を張る。ごく弱いもので結界内への出入りを制限することはない。あくまで結界内への出入りを検知しヴァルクレアに対して知らせるものだ。よほど魔法に長けた者でなければ存在に気づくことはない。そして、ペンダントは既にこの世界に来ているものをおびき寄せる餌として十分に魅力的なはずだ。
ペンダントについている石からは邪神ヨグモースの気配を感じた。きっとあの世界とつながっているのだろう。眷属に呼びかけても反応がないときにどう反応するか? 異世界を繋ぐ貴重な魔具だ。他の眷属に命じて接触させようとするだろう。異世界からではぼんやりとしか感じられない波動も同じ世界ならば容易に感じ取ることができるはずだ。ましてや同種の魔具を有しているならば。
とりあえず、今日の所は秋江の家に戻ろう。地面に魔方陣を描く。秋江の家にこっそり描いてきた魔方陣を思い浮かべ、同調したのを確認すると魔力を開放する。元の世界にいたときほどスムーズではないが、秋江の家の入口に転位した。魔方陣の輝きが薄れ、そっと床に降り立つ。スニーカーを脱いで家に上がり、寝室を伺うと秋江が毛布に包まり寝息を立てている。
秋江に口うるさく言われているので手を洗い、浴室で足も洗う。服を脱いで夜着に着替えてから、長椅子に横たわった。改めてヴァルクレアがこの家の世話になることになった日からヴァルクレアは長椅子で寝ていた。女性二人とはいえ、寝台で一緒に寝るには狭かったためだ。
秋江は何度かヴァルクレアが長椅子で寝るのは申し訳ないと言って、寝る場所を替わろうとするがヴァルクレアはそれを固く押し止めていた。
「これ以上、迷惑をかけたくない。それにあっちゃんには仕事があるだろう。睡眠不足は体に良くないぞ」
「そういうクレちゃんはいいの?」
「私はそういう風に体を鍛えているからな。野外で野宿することもあるし慣れている。屋根があり、これだけ柔らかいところの上で寝れるだけで満足だ」
それにこの場所なら必要以上に命の心配をする必要もないからな。秋江に言う必要もないとして、その台詞は飲み込んだ。夜ごと寝台の位置をずらして寝るという生活もなかなかに神経にこたえる。この長椅子は適度に柔らかく快適だし、よっぽど気持ちよく眠れる。
ヴァルクレアは長椅子に横たわり天井を見上げながら、指を軽く噛む。まずは残り2体の魔族を見つけて狩らなくてはならない。この世界に来たそもそもの目的だ。そうすることで、元の世界に新たな魔王がやってくる事態を防ぐことができる。ただ、それほど急ぐ必要もないし、その術もない。余程の運に恵まれなければこちらから魔族を探し出すのは困難だ。無為に過ごすつもりも無いが、あの罠にかかるのを待つしかないだろう。
となると、秋江の世話になる時間が増えることになる。今までも相当な出費をさせていた。何か礼をと思ったが、身に着けている物でこの世界の金に換えられそうなものがない。魔法の体系が異なる以上、魔晶石もここでは単なる石ころだ。やはり、なんとかしてこの世界の金を手に入れなくてはな。
護衛やダンジョン踏破の仕事があればうってつけなのだが、秋江に貸してもらったタブレットというもので調べた限り、そういうものは見当たらなかった。短期間で高収入という文句のものがいくつか表示されていたので、そういうものの中から選んでもいいかもしれない。
魔族を探し金をかせぐ為にも、一人で外出する許可をもらわなくてはならないか。どうやって切り出したものだろう。秋江のことだ、金を稼ぐと言ったら、いつものように、「いいよいいよ、気にしないで」となるに決まっている。いざとなったら強く出れば押し切れる気もするがそれも世話になっていてどうかと思う……。
まあ、とりあえず、1体魔物を倒すこともできたし、情報も仕入れることができた。このように安全な場所もできたし、秋江という素晴らしい人と知り合ったのだから、慌てることも無いだろう。もう少し、この世界のことも知りたいしな。物を持って帰れるかは別として、この世界の知識は色々と役に立ちそうだ。
それに、もう少し様々な物を味わってみたい。食べるものすべてが新鮮な驚きを提供してくれるからな。お湯を注いで少し待ちよくかき混ぜるだけという簡単な作業で刺激に満ちたカレーという食べ物ができるあの魔法はどういうものなのだろうか。あれをエスタリアで導入できれば、兵士達も喜ぶだろう。野営でもうまい飯が食べれるとなれば士気は大いに上がるに違いない。
まだ食べたことのない料理が何百種類とあるというから驚きだ。今度、秋江がご馳走してくれると言っていたアレはなんだったかな。薄くしたパンの上にチーズを乗せて焼き上げたものだと言っていたが。じゅる。まずい。私としたことがついついはしたないことをしてしまった。しかし楽しみは楽しみだ。
いかん。いかん。考えがずれていってしまっている。やはり少し疲れているのだ。今日はもう休むことにしよう。良く寝た方がいい考えも浮かぶというもの。ヴァルクレアは目を閉じて眠りにつく。秋江と共に食べ物に囲まれる夢に包まれながら。
翌朝、ヴァルクレアが秋江に外出許可を求めて切り出したところ、意外とあっさりと許可が出た。部屋の入口の錠を操作する2つの魔具も貸してもらえることになった。試しにやってみるとそれほど難しいわけでは無い。ただ、仕事を探してみようと言うと難色を示した。
「うーん。仕事をするのは難しいんじゃないかなあ」
「どうしてだ。確かに私はあまりそういった経験はないが……」
「ううん。そうじゃなくて、仕事をするには身分を証明するものが必要なんだよね。だけど、クレちゃんにはないでしょ?」
「それはどのようなものだろう?」
「まず生まれてすぐに作る戸籍というのが無いから、住民であることを証明する物も作れないし……」
「あっちゃんが身元を保証するというのは無理なのだろうか?」
「個人が身元を保証するというのはちょっと難しいと思う」
「そのあたりはしっかりしているというか面倒なんだな」
ヴァルクレアが困った顔をしていると秋江が励ますように言う。
「まあ、最近は人手不足だから、そういうのを気にしない所もあるかも」
「おお。そうか。それは助かるな」
「だけど、そういう所は怪しい仕事のこともあるから私に相談してね。楽に稼げるとかいうのは絶対に裏があるんだから」
「短時間で高収入とかいうやつだな?」
「そうだよ。だいたい危ないとかいかがわしいのだから」
「暗殺とかそういうものか?」
「ちょっと違うかも」
そう言って秋江がちょっと言い淀む。
「男の人と……なんというか……そう……」
「ああ娼婦か。それは無理だな」
ヴァルクレアがあっさりと言うと秋江は息をのむ。
「やっぱり、クレちゃんの世界にもそういうのはあるんだ」
「まあ、そうだな。心配しなくても大丈夫。そんなことをするつもりもないし、向こうも私を雇おうとはしないだろう」
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