秋江と魔法
ああ、びっくりした。熊が出てきたときはもうダメかと思ったけど助かったわ。秋江は自分より少し前を行くヴァルクレアの背中を見ながら、まだ心臓がドキドキしているのを感じていた。目の前で繰り広げられた光景はにわかには信じられないが、たぶんこれが現実なのだろう。本当にクレちゃんて魔法が使えるんだ。
お陰で命拾いしたと思う一方で、ヴァルクレアがなんのためらいも見せずに熊の命を奪ったことに動揺していた。
「あのさ。こんなこと言える立場じゃないんだけど、あの熊を死なせる必要はあったのかな? 追い払うとかそういうことは無理だった?」
振り返ったヴァルクレアはこともなげに言う。
「追い払うこともできたが、そんなつもりはない」
「どうして?」
「あいつは人を襲った。一度人を襲うことを覚えた獣はまた人を襲う」
「でも、ひょっとしたらさっきは驚いただけで……」
「そうかもしれないし、そうでないかもしれない。ならば私は倒す。そうしないと次に通りかかった人が死ぬかもしれない。まあ、この世界の安寧は私が責任を感じる必要はなかったな。余計な事をしたかもしれない」
ヴァルクレアは前を向くと再び歩き始めた。しばらく二人とも無言で歩く。
「クレちゃん。ごめん。助けてもらったのに変なこと言っちゃって」
「いや。あっちゃんは優しいのだな。たまたま出会った野生動物のことまで思いやるほどに」
「ただ思慮がたりないだけなのかも。次に通る人のことまでは考えが至らなかったし」
「全てを救えるならばそれが一番だが、それは不可能だ。私を頼る者を私は守る義務がある。敵を許した結果、味方が傷つくことは許されない」
一体どんな人生を歩んできたのだろう。私より5つ年下なのに、私よりどれほど大人なのか。それが上に立つということなのかしら。秋江はヴァルクレアと比較して少し惨めな気分になる。私もこれだけはっきりと自分の意志を他者に示すことができたらな。
そんな思いを抱く秋江にヴァルクレアは少し考えた後告げた。
「あっちゃんの優しさは素晴らしいものだ。私もその恩恵に預かっているしな。ただ、その優しさがあっちゃんを傷つけなければいいと思う。ああ、もうこの話はよそう。なんか偉そうなことを言ってしまった」
また、しばらく歩いた後、秋江はあることが気になり、ヴァルクレアに質問した。
「ねえ。さっき2つの魔法を使ったよね。どちらもすごい魔法みたいだけど、守りの魔法でいいのかな、見えない壁にあの光の玉を当てたらどうなるの?」
「どうなるとは?」
「なんでも貫く矛となんでも防ぐ盾の話を思い出して、どっちが勝つのかなみたいに思ったんだけど」
「なるほどな。あの魔弾を完全に防げる魔法は存在しない。少なくとも私は知らない」
「そうなんだ。じゃあ、もしあの魔法で攻撃されたらクレちゃんはどうするの?」
「それを聞いてどうしようと言うんだ」
「んー。単なる好奇心だんだけど、やっぱりあまり軽々しく話せることじゃないよね。また変なこと聞いちゃってゴメン」
「いや。色々なことを知ろうとする姿勢に感心しただけだ。普通は師匠に言われるまま習得するだけで自分で考えることはしない者が多いからな。それで、私があの魔法で攻撃されたらの話だが、見ての通り速さはそれほどでもない。答えは避けるだ。まあ、そのような状況は起こりえないが」
「え? どうして?」
「あの魔法を編み出したのは私の母で、使えるのは私と母の二人だけだ。まあ、今後使い手が現れないとは限らないが、当分はそんなことは起こらないだろう」
「ひょっとして、クレちゃんて凄い魔法の天才なの?」
「天才と呼ぶに相応しいは私の母だろう。私は、そうだな母の半分といったところかな。私は傷を癒したり、毒や呪いを解いたりするのはあまり得意ではない。まあ、魔法で戦うということに関してなら多少は自信がある」
「そうなんだ。王様ってのも大変なんだね」
そうかあ、王様なんて椅子にふんぞり返っているイメージだったけど、意外と大変な仕事なんだなあ。でも、そんなすごい仕事を20そこそこの女の子がしているなんて憧れちゃうな。それに上の人が率先垂範するなんて、仕える方としては理想だよね。どこかの自分にだけは甘い誰かと比べたら……。
「なにか誤解があるようだな」
考え事をしていた秋江にヴァルクレアが言う。
「別に王だから戦うわけではない。歴代の王の中には城から一歩も出ずに生涯を終えた者だっている」
「じゃあ、なんでクレちゃんは自分で? そりゃ適任だからってのはあると思うけど、普通は王様って死んだりしたらマズいから部下が守るものなんじゃないの?」
「その通りだ。私は事情が特殊でね。椅子を温めてばかりいたんでは不満な連中がいるんだ」
「何よそれ。それってクレちゃんだけが苦労してるってこと? ひどいじゃない」
「まあ、体を動かすのは好きだしな。城の中と外でもそれほど危険は変わらない。だったら、前線で戦う方がまだ支持を得られるというものさ」
城の中と外で変わらないって、そんなにボロいお城ってことじゃないわよね。
良く分からないけど外には魔物がいて戦う必要がある。それで、城壁を築いた街の中で多くの人は住んでいる。それなのに、お城の中が危険なの? 急坂を下るところに差し掛かり一時考えるのを止める。また、平坦な道に戻って思考を進めるとあることに思いついた。
「さっきの話なんだけど……クレちゃんてお城の中でも誰かに命を狙われてるの?」
「ああ。そうだ。私が王位を継いだことが気に入らないのが居てね。もう5年になるのだがまだ諦めないらしい。大した執念だ」
そう淡々と告げるヴァルクレアの横顔には一抹の寂しさが浮かんでいた。
「聞いた話が間違いじゃなければ、この5年間、先頭に立って戦ってきたのはクレちゃんなんだよね。クレちゃんがいないと大変なことになってたかもしれないんだよね」
「まあ、そうかもしれないな。王都はともかく地方では多少は損害が出たかもしれない」
「それなのにクレちゃんを傷つけようとするなんて、バカじゃないの? それって敵を応援するようなもんじゃない。なんなのそれッ?」
ああ、なんか腹が立つ。急にプリプリと怒り出した秋江を見て、ヴァルクレアはクスリと笑う。
「あっちゃんがそんなに怒ることはないだろう」
「でもさ。なんかそんなに都合のいいように使われて腹が立たないの?」
「父との約束だからな。それに私を積極的に支持してくれる者もいるのだ。10人中2人ぐらいはな。その者達に対する責任がある」
「じゃあ、クレちゃんを排斥しようとしているのは?」
「……3人というところか」
「ひどい……」
「積極的にではないにせよ、私の統治に満足している者もいて全体としてはそれほど孤立しているわけじゃない」
「だけど、こんな若い女の子が必死に頑張っているのに足を引っ張ろうとするなんて許せない」
「ありがとう。私の為に代わり怒ってもらえると今まで頑張ってきたことが報われる気がする。でも、あっちゃんに怒った顔は似合わないな」
振り返って顔を覗き込んでくるヴァルクレアと目が合い、秋江は怒りの表情を収める。
「そう。その方がずっといい」
揶揄うようなヴァルクレアの視線を受け止めて秋江は頬を膨らませる。
「真面目な話をしているのに話をそらさないでよ」
「私も真面目な話をしている。あっちゃんの笑顔には随分救われた。その笑顔には癒しの魔法の効果があるのかもしれないな」
「もう。いーですよ、私は能天気に笑ってればいいんでしょ」
****
「ブルコンテ閣下。ご報告がございます」
エスタリア王都の広壮な屋敷の一角で偉そうに椅子にふんぞり返る男。ヴァルクレアにとっては大叔父にあたるブルコンテ公爵が陰のある男の報告を受けていた。
「それで?」
「ははっ。魔族が活発な動きを見せ始めております」
「で、我が方はどうなのだ。あの女狐がおらぬと苦戦しておるのではないのか?」
「それが……、王の不在時は我らが支えると称して意外と騎士団の士気は高く、各地で撃退をしております」
ブルコンテは忌々し気に椅子を叩いて不満を漏らした。
「それではワシの出番がないではないか。王が不在では心もとないとワシを担ぎ出す算段だったのに、これではその声を上げようがない」
「まだ王がこの地を離れて半月程度、まだ機が熟さぬだけかと」
「いつまで待てばよいのだ。多少魔法に長けているというだけで玉座をかすめ取りおって。こちらが下手にでて我が子との縁談をもちかけたというに、それに対しても断ってきおった。まったく忌々しい小娘め」
いや、あんたの息子はないな。女の尻を追いかけるしか能の無いバカ息子では、いくら肌が黒く出っ張りのない女でも流石に可哀そうだ。報告者は頭を下げながら、心の中で舌を出す。ヴァルクレア様も顔立ちはいいんだがな、もう少し色白でふくよかなら……。ま、俺のような日陰者にはどのみち縁のない話か。
「では、引き続き各地の様子を探ってご報告に参ります」
「うむ。吉報を待っているぞ」
吉報ねえ。あんたにとっちゃ魔族の侵攻がうまくいく方がいいのかもしれないが、場合によっちゃ、この国自体が無くなる可能性があるってこと理解してんのかね? まあいいさ。このおっさんは金払いはいいからな。
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