微妙なすれ違い

 秋江に手を引かれヴァルクレアはゆっくりと歩き出す。少々肌寒いが天気は良い。記憶にある道とは別の道を辿っていた。鉄の箱車が行きかう大きな道を横切るとヴァルクレアは大きな建物に入っていく。出入りする人が多く、建物の中にも多くの人が居た。


 どうやら、この建物の中は市場バザールになっているようだ。色とりどりの野菜や果物が陳列されている棚を通り、秋江は入口で手にした籠にいくつかの品を入れていく。店の売り子はどこにいるのだろうか? 皆それぞれが勝手に籠に品を入れているが、これでは支払いをせずに持ち出せてしまうではないか?


「夕ご飯はお肉でいい?」

 そう聞かれたので曖昧に頷くと、秋江は薄く切られた肉を籠に入れる。通路を進んでいくと、すでに調理された状態の食べ物が置いてあった。なるほど、昨夜食べたのはこういったものだったのか。道理で秋江が調理する様子も無いにも関わらず、次々と食べ物がでてきたわけだ。


 今日は食材の状態のものを買っているということは、料理をしようということなのだろう。秋江の持つ籠の中身を見て想像する。しかし、この店も外のように明るいし、傷みやすいものの棚は冷やされている。施術している魔法使いの姿が見えないがかなりの人数が見えないところにいるのだろうか? その割には魔力の波動を感じないのだが……。


 一通り買うものの物色が終わり、秋江は人が列を作る台のところに移動する。台の上に置いた籠を店の者が確認して別の籠に詰め替えていた。まとめて支払いができるのか。これだけ膨大な数の物の値段をどうやって把握しているのだろう。物凄い記憶力の持ち主なのかもしれない。城の記録係の老爺の顔を思い出す。太古の昔から最近のことまで様々なことを覚えていた。


 列が進み秋江の順番となる。素早く商品の値段の確認が終わり、言われた金額に対して秋江が紙と銀貨・銅貨で支払った。店の人が細かい字の一杯書き込んである紙を渡す。文字と数字の羅列。イチゴの文字が見え、どうやら買ったものと値段の一覧表らしい。あの箱から出てきたように見えたが、計算の得意な小人でも入っているのだろうか。


 秋江は籠を近くの台に置き、店の人に渡された白い薄い袋に詰めていく。ガサガサと音がするが、この薄さなのにかなりの物を入れても破れない。不思議な袋だった。さぞ貴重な物かと思えば、店の人は無造作に買い物をする人に渡している。


 秋江は片手にその袋を持ち、もう片方の手をヴァルクレアとつないで歩き出した。店を出てまた見知らぬ通りを歩いて行く。思い切って気になっていた疑問をぶつけてみた。


「食事や買い物のときに使っていた紙は何?」

 聞かれて秋江は首をかしげている。まずい。あまりに変なことを聞いてしまったか。しかし、すぐに得心したような表情になると答える。

「あれはシヘイというお金よ。ヴァルクレアちゃんの住んでいたところはキャッシュレスケッサイなのね?」


 なんだか良く分からない言葉が増えたが、あの紙が価値のあるものだということは分かった。言われてみれば非常に細かい絵が書いてありそう簡単に作れるものではなさそうだった。


「そうかー。ヴァルクレアちゃんの住んでいるところは進んでいるんだね。一応ニホンにもクレカやアイシーカードはあるんだよ」

 どうやら、何度か会話に出てきたニホンというのはこの国の名前らしい。それ以外の言葉はなにやらさっぱり分からないが。


「そういえばヴァルクレアちゃんの住んでいたところは何というの?」

「エスタリア」

 考え事をしていたのでついうっかり反射的に回答してしまった。秋江は眉間に皺を寄せて考えている。


「えーと、エストニアかな?」

「う、うん」

「そうか。ヴェニスとヴェネチアみたいなものね。なるほど、エストニアはアイティが進んでるっていうもんね」

 なんだか良く分からないが秋江が一人で納得しているのでヴァルクレアはホッとする。


「エストニアなら海に面しているし、お魚でも良かった? まあ、お昼がお魚だったしお肉でいいよね? もう材料買っちゃったし」

「お肉好きだよ」

「そう。それなら良かった。頑張って作るからね」


 話題が変わったことにヴァルクレアは胸をなでおろすと共に、これからは発言に気を付けなければと思った。それから、お昼に食べた料理について他愛もない会話をしながら帰路につく。


 頭の中に今日の順路を思い浮かべるとどうやら四角形の辺を順に歩いているようだ。道を曲がると想像通り、秋江の住む巨大な建物が見えてくる。建物に入り、最初のときと同様に金属製の扉の前に立つ。秋江が開錠作業をしている間に壁を見ると501という数字が目に入った。


 目を凝らして隣の扉のそばの壁をみると502とある。つまり、最初の数字は階数を表し、次の数字が部屋の位置を示しているということか。どうやら、秋江の管理下にあるのはこの一室だけらしい。


 この巨大な建物すべてを自由にできるとなると相当な大物ということになるが、この一室だけならばそれほどでもないだろう。きちんとした服装をしているし、言葉遣いも丁寧だから下層民ということはないと想像していたが、秋江のこの世界での地位が分からなくなる。


 まあ、あまり身分が高すぎても自分と一緒に来るように説得するのが大変だからな。部屋に入っていきながらヴァルクレアは考える。サンダルを脱いで上がると洗面所に連れていかれる。そうか、手を洗うんだった。


「ごはんができるまでこれでも読んでいて」

 秋江が一抱えもありそうなものを持ってきてヴァルクレアの前に積み上げる。なにやら絵が書いてある物だった。どうやら書物のようだ。ヴァルクレアの世界の書物は紙が分厚く厚い皮の表紙で無理やり抑えつけている感じだが、こちらではそうではないようだ。まあ、あのような薄い紙が作れるのだから当然か。


 適当に1冊を手に取って読んでみることにする。表紙にも中にも豊富に絵がかきこんである。ところどころ分からない言葉があるがこれなら話の筋を追うことはできそうだ。


 昔の話か。何? ももから人が出てくるだと? いくら育てられず間引きをするためとはいえ、子供をももに詰めて川に流すとは非道な親だな。これはこの国の為政者が悪い。まあ、親切な老人に拾われて良かったな。ほう、大きくなってオーガ退治に行こうというのか。


 一人で出かけるというが大丈夫なのか。なるほど、動物を使って戦うのか。野獣使いビーストテイマーだったのだな。連れて行く動物に犬がいる。この世界の犬は想像していたよりも凶暴なのかもしれない。おお、無事にオーガ退治をして故郷に凱旋して終わりか。


 次のこの話はなんだ? また老夫婦が出て来たな。ふむ、植物で編んだものを売りに行こうというのか。売れずに帰っては無駄足ではないか。おお、雪が激しく降ってきた。我が城の近辺では雪は降らないが、この辺りでは降るのか。折角の機会だ、この目で見てみたいものだな。


 なんだ、この道端の6体のストーンゴーレムは? 老人が売り物をゴーレムに被せたぞ。それで家に帰って寝るだけか? おや、ストーンゴーレムが金品を持ってきた? どういうことだ? 植物で編んだものがゴーレムの起動用の魔具なのか? 良く分からんな。


 まだまだいっぱいある。しかし、これらの書物は何のための物なのだろう? とてもわざわざ記録に残すべき話でもないようだが。まさか、呪文書なのか? 最初のは使い魔を確保するためのもの、次のはゴーレムを支配するためのものなのか。私はこれだけの呪文書を持っているアピール?


 顔を上げてみると秋江の姿がない。さきほどまでは厨房とおぼしき場所で何かしていたが、どこへ行ったのだろう? 水音がするな。風呂というところに行ってみると秋江は下着姿で部屋のあちこちを擦り汚れを水で洗い流していた。ヴァルクレアの気配に気づいて秋江が顔を上げる。


「どうかしたの?」

「ううん。姿が見えなくなったから」

「掃除をしているの。ちょっと待っていてね」


 また、いくつかの本を読んでいると秋江がやってきて今度はバルコニーに出て洗濯してあったものを中に取り込む。そして、床に座って洗濯物をたたみ始めた。ちょうど少女と狼男ウェアウルフが出てくる話を読んでいたところだったが、ヴァルクレアは本を脇に置いて側に行った。


 ヴァルクレアがまだ小さな子供だった頃、今は亡き母親が同じように取り込んだ洗濯物を片付けているときにたたむのを手伝った思い出が蘇る。手を伸ばして、洗濯物の一つを取り、見よう見まねでたたむ。


「あら、お手伝ってくれるの。ありがとう。助かるわ」

 にっこり笑う秋江の顔を見ながら、ヴァルクレアはなぜ急に端女がするような作業をするつもりになったのか自分で疑問に思っていた。城ではこのような些事は侍女たちに任せっきりだというのに。


 たたみ終わった洗濯物を抱えて、秋江について歩く。ヴァルクレアからそれをひょいひょいと受け取った秋江が手際よくしまった。

「お手伝いしてくれたから、とっても早く終わったわ。それじゃ、ちょっと休憩しようかな」


 そう言いながら、厨房に入っていき、カタカタと音をさせ始めた。見に行くと鍋を匙でかき回している。秋江が鍋を傾けて見せてくれると茶色い泥のようなものがなべ底にへばりついていた。どう見ても雨の日の道のぬかるみだ。それに少し乳を加え、混ぜてはまた乳を入れるというのを繰り返す。


 それを台の上に置き、その下の出っ張りを押す。鍋にまた乳を入れてかき混ぜていたが、満足そうに頷くと、秋江は出っ張りをまた押し、鍋の中身を2つの大ぶりの器に移した。


 いつも食事をするところに戻り、器の一つをヴァルクレアに勧めてくる。

「熱いから気を付けてね」

 ヴァルクレアが器の中を覗き込むと薄茶色の液体が湯気をあげていた。見た目は泥水だが、甘く香ばしい匂いがする。


 ヴァルクレアが意を決して、そっと器に口を付けて見ると甘くて少し苦みと塩気のある暖かな液体だった。火傷をしないように少しずつ飲むと体の中から温まる気がする。

「ココアの味はどう?」


「おいしい」

 返事をしながら、ヴァルクレアはますます秋江という女が分からなくなる。下層民とは思えない出で立ちや振る舞いなのに、雑事をそつなくこなし、このような飲み物をあっという間に作ることもできる。


 器を抱えてココアを飲むヴァルクレアを目を細めて眺めている秋江の姿を見ると、ヴァルクレアはその疑問を一時的に頭から追い払った。いかなる立場のものであれ、根が善良なのは間違いない。今はそれを確信できるだけで満足しよう。



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