地下の洞窟

 夕食が終わろうというときに、秋江がやっぱり警察に行こうと言い出す。折角の美味しかった食事が急にお腹にもたれる感じがして、ヴァルクレアは苺を差したフォークを置いた。その話は決着がついたと思っていたためうんざりしたが、ヴァルクレアの両親が心配しているのではないかと危惧と聞き仕方ないと思いなおす。


 両親ともに他界していることを告げて、そのような心配は無用だと伝えると、秋江は両親がなぜいないかと更に問うた。

「お父さんは病気で。お母さんは私を庇って死んじゃった」

 そう事実を告げると秋江は表情をこわばらせた。


 ヴァルクレアは父と母のことを思い出す。父親は先代の王で、母親は宮廷付きの賢者だった。ヴァルクレアの剣の腕は父親譲り、魔法の能力は母親譲りである。母親は王の子を身ごもって、王宮から追放された。王都に住むわけにはいかず辺境でヴァルクレアを産み二人で暮らす。母親は自分を擁護しなかった王のこともひどく自分にあたった王妃も一度も悪くは言わなかった。


 ヴァルクレアが12歳のとき、魔物の大群が二人を住む村を襲い、傷つき倒れた娘を庇って、母親は致命傷を身に受けた。最後の魔力を振り絞り魔物の群れを一掃した後、母は息を引き取る前に笑いながら言った。

「私は好きに生きたし悔いはないわ。あなたもあなたの気持ちに正直に生きなさい。ヴァルクレア」


 ヴァルクレアは回想から意識を戻す。おっと、今はそんな場合ではないな。秋江という女に何か言わないと。魔力で元の体に戻るまでは理想的な避難所ではあるのだが、あまり迷惑はかけられない。秋江にここに自分がいると迷惑なのか聞こう。


「そんなことはないよ」

 秋江の回答を聞いてヴァルクレアは考える。そうか。迷惑だということではないのだな。純粋に私を案ずる人がいないのか、それが心配ということか。そして、先日のように私を一人で残していかなければならないことになりそうな事を案じていると。まあ、ここは情に訴えかけるとしよう。


 ここに好きなだけ居ていいとの台詞を聞きほっとするのも束の間、どうやってここに来たか質問された。ヴァルクレアは正直に全てを答えるにはまだ早いだろうと考えて用心深く事実の一部のみを回答する。

「良く分からない。変な男の人に追いかけられて逃げてたら、お姉ちゃんに会ったの」


 異世界転位の魔法でどうしてこの場所に出たのか知らないのも事実だし、変な男に襲われそうになったのも話した通りで嘘は言っていない。全てを納得したわけではないにせよ、秋江は回答に満足したようだった。ヴァルクレアは苺を食べてしまうように言われ、落ち着いて食事を再開する。


 快適な寝台で眠りに落ちるまでにヴァルクレアのぼんやりとした頭にまとまりのない思考が去来する。人が側にいると安心できるのは何故だろう。他人の胸の鼓動を聞いていると安らかな気になるし、他人に触れるの気持ちがいい。ああ、もちろん誰でもいいということではないのだろうが。


 翌朝、ヴァルクレアは目覚めると魔力が大幅に回復しているのを感じた。この生活を続けていれば2・3日のうちに魔力が全快するだろう。緊急用として魔晶石に魔力を移しておくとして、更に3日ほどもあれば完璧だ。元の体に戻れる。


 昨日と同じような朝食を食べていると秋江が今日もどこかに出かけることを提案してきた。どうやら街を案内してくれるようだ。少し離れているところまで行くという。本当に親切な女だな。相当子供が好きなのだろう。体が退縮した時は困ったことになったと思ったが、今思えばこれで良かったのかもしれない。

 

 支度をして外に出ると、秋江は昨日買い物した市場のある建物にヴァルクレアを連れていく。ヴァルクレアの赤い髪が目立つのでそれを覆うものを買いたいそうだ。確かにこの世界の住人はほとんどが黒髪。道理で多くの人の視線が注がれるわけだ。しかし、この建物の市場にそのような衣類は無かったと思うがどうするのだろう? 2階に上がる? そうか、確かに外から見ると高さのある建物だったな。


 秋江に連れられて階段のある場所に近づいたところで、ヴァルクレアはまたまた驚くことになった。か、階段がひとりでに動いて上に進んでいる! 秋江が住むところにも上下の移動をする装置があった。詳細は分からないが部屋ごと上下に浮揚・下降させているようで、膨大な魔力は必要そうだが、なんとなくは理解できた。完全な状態のヴァルクレアなら、もっと大きな物を空中に浮かせることが可能だ。


 ただ、この動く階段はそういったものとは全く異なっていた。床の中から現れて階段を形作るとゆっくりと斜めに上昇していく。目の前を歩いていた男性は何事もないように歩み寄り段に乗るとそのまま上がっていった。


 びっくりして歩みが遅くなったヴァルクレアを振り返って秋江が訝し気な表情をする。平静を装いながら、内心は恐る恐る動く床に足を乗せた。ぐいと進む速さについていけずバランスを崩しそうになる。秋江が手を掴んでいなかったら転倒したかもしれない。細かな溝のある金属製の階段は転んでぶつかったらとても痛そうだ。


 上りきったところで、動く階段は2階の床に消えていく。今度は秋江と共にバランスを崩さずに進むことができた。慣れればどうということはないな。2階も様々な品を扱う市場になっている。秋江は迷わず、その一角の店にヴァルクレアを連れて行き、物色を始めた。


 頭を覆うというから頭巾のようなものを想像していたが、前面に張り出しのある奇妙な物を選んではヴァルクレアの頭に乗せる。鏡の前に立たされ見てみると顔は張り出しのせいで陰になっていた。確かにこれなら髪も隠れるし顔も視認しにくくなるだろう。ただ、慣れないせいか妙に落ち着かない。


 店の売り子も、良く似合っているというようなことを言ったためか、秋江はその白に薄桃色の縁取りのある帽子というものを買ってヴァルクレアの頭に乗せた。よく考えたら、今着ている服や昨日の食事代など結構な額のお金を使わせてしまっていることに気づいた。今はとりあえず礼を言うことしかできない。

「秋江お姉ちゃん、ありがとう」


 ヴァルクレアは衣類を売っているこの階の店を見回す。何か武器は置いていないだろうか? これだけ色々な商品を置いているのに、槍や弓はおろか、小剣の類すら見当たらない。今までヴァルクレアが目撃したこの世界の住人は秋江を含めて目に見える形では武器を携行していないとはいえ何かは売っていてよさそうなのだが。


 秋江は帽子を買ったことで用が済んだらしく、また動く階段を使って1階へ降りようとする。子供の大きさに合う武器を求めても結局買いなおしになると考えて、ヴァルクレアも素直に従った。


 市場を出てしばらく歩くと地下へ降りる入口のところに着く。階段が下の方に続いていた。このような街中に迷宮か洞窟の入口があるのか? 中から怪物が出てきたらどうするのだろう? 別に警備の兵士のようなものも居ないし、自由に人が出入りしている。しかも、このような場所というのに丸腰だ。


 そんなヴァルクレアの疑問をよそに秋江は無造作に階段を下りていく。階段は踊り場で反対方向に向きを変え、下りきったところは広間となっていた。壁の上の方には巨大な壁画が描かれ、複雑な線が交じり合っている。その下には金属製の箱のようなものが設置してあった。地下だということを忘れそうになるほどに明るい。


 秋江は壁の方には行かずに、ヴァルクレアの背丈ほどの門のようなものに向かう。肩から下げた袋から手のひらサイズのカードを取り出すと、門の手前にかざす。音が響き、秋江はヴァルクレアを連れて通り抜けた。あの通行証のようなものを持っていないのに私も通れるのか。


 門の先にはまた動く階段があり、それに乗って更に下の階へと降りていく。その途中で密閉空間としてはかなり強烈な風が吹きつけてきた。ちょうど帽子が気になっていじくりまわしていたがそうでなければ風に飛ばされていたかもしれない。折角買ってもらったものだから気を付けなければなとヴァルクレアは用心することにした。


 下りきった階も明るく照らされており、隅々まで良く見えた。この階の床の両側は途中で落ち込んでおり、秋江の背丈よりやや低いぐらいの高さの空堀となっている。その空堀には2本の長い棒状のものが据えられていた。轟音に視線を向けるとその上を巨大な金属製の箱馬車が連なって近づいて来る。徐々に減速しやがて目の前でそれは止まった。


 止まるとすぐに金属の扉がひとりでに左右に開く。勝手に開く扉には慣れてきたヴァルクレアだったが、いくつもの箱車の扉が一斉に開く姿には畏怖を覚える。そんな心情を知らずに秋江は箱車に乗り込んだ。箱車の中にはすでに数十人の人が居る。席に座っている者、立っている者それぞれだった。扉が閉まるという警告の声の後、背後で扉が閉まり箱車が動き出した。


 馬車が急に加速した時に似た力が体に加わる。ヴァルクレアは秋江の手をぎゅっと握りしめた。秋江は反対の手で金属の棒から下がった皮ひもで止められた白い輪につかまっている。窓から見えていた地下通路はすぐに見えなくなり、暗闇しか見えなくなった。どうやら地下の隧道を箱車は進んでいるらしい。暗いところをこれだけの速度で走っていて何かにぶつかったりしないのだろうか。


 どうやら、この地下の施設は迷宮などではないということか。ヴァルクレアは興味を隧道から車内に移す。車内の人はほとんどの人が手の平大の四角いものを見つめて触っていた。そういえば、昨日の食堂でも一緒に食事をしているのに会話もせずに四角い板を見つめ触っている二人組がいたな。あの板は何なのだろう。この世界の住民ならば必ず持っていないなければならないものなのか?

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