愛しきひと

 なんという数だろう。秋江と共に歩き始めてから両側に立ち並ぶ家の数にヴァルクレアは圧倒されていた。この世界に来た日には心の余裕が無く気が付かなかったが、自分の城のある街に比べても家が密集していた。石造りの家は多くないが、木の家がいくつも並んでいる。


 そして、秋江が住んでいるような建物がいくつか立っていた。まるで砦のような頑丈なものが無秩序にそびえ立っていることが理解できない。あんなにバラバラの向きに立っていては一体どこから何を守ろうとしているのだろうか。


 道は土がむき出しではなく、砂やごく小さい石を突き固めたもので覆われている。このような裏通りまで道路を覆う余裕があるというのだろうか? そして、道のあちこちに立っている謎の石柱は何のものの為なのだろう。石柱は高いところでお互いが紐で結びあわされており、小さな鳥がそれにとまって囀っている。


 そうそう。これだけの数の鳥がいるのに誰も捕獲しようとするものがいない。あの茶色の拳ほど大きさの鳥はまあ食べるところも無さそうだが、地面を歩いている灰色の鳥などはそこそこ食べるところがあるように思える。捕まえれば食事に一品追加できそうだ。あの鈍くさい動きなら手づかみで捕まえるのも造作ないだろう。


 まてよ。この秋江という女が見向きもしないということは、実はあまりおいしくないのか。この世界には美味しいものが溢れているし、わざわざ、不味いものを食べたりしないのだろう。秋江という女といれば食べ物に困ることは無さそうだしな、と思い直す。


 秋江にどこへ行くのかという問うと、サクラを見に行くのだという。きれいな花だというが、わざわざ花を見に行くとは物好きだな。幼少の頃から魔法使いや戦士としての訓練に明け暮れていたヴァルクレアにそのような趣味はない。まあ、折角の案内だ、付き合ってやろう。


 道にはあまり多くの人が歩いていない。時折、大きな輪を縦に二つつないだものに跨った者が歩くよりかなり速いスピードで通り過ぎて行く。あんな細い輪だというのに倒れもせず、馬なみの速度が出るあれは何という魔法の乗り物なのだろう? 兵士の伝令用に数台欲しいものだな。


 そういえば、この秋江という女は優秀な魔力付与者と推測したが、あの乗り物に乗らず歩くのか。先ほどの女は自分と同じぐらいの子供と二人で乗っていたのだから、私を乗せることもできそうなものだが……。


 向こうから老人と犬がやってくるのが見える。ヴァルクレアを認めると犬は激しく唸り声を上げ始めた。そうか、こやつめ、私がこの世界の者でないことに気づいたのか。体が元に戻れば、素手でも問題無さそうだが、今の自分の背丈とほぼ同じ大きさの犬は、かなりの脅威となりうる。思わず、秋江の手を握る手に力が入った。


 何やら考え事をしていたらしい秋江も目の前の犬に気づき体が強張った。おや? この女の想定される実力からすれば、魔法を使うなり、魔具を操るなりすれば、この程度の犬など脅威ではないと思うのだが、明らかにその体はこの犬に対しての恐怖を発散していた。


 それでも、秋江はヴァルクレアと犬との間に体を入れ、ヴァルクレアを庇うように立つ。それを見た犬が駆け寄り、秋江の首を狙うかのように大きく跳躍する。ヴァルクレアの体が緊急事態と認識し、自動的に戦闘態勢に入る。脳内に戦いの歌が再生され、思考や体の動きが一気に加速した。あまり派手なことはせぬ方がいいか。高速で思考を巡らした結果、とりあえず秋江の保護を優先する。


 この程度の重量と加速ならば、印も詠唱も不要。魔法障壁を作り出し、秋江の前に展開する。愚かな犬は見事に障壁にぶつかり、鼻づらを強かに打ち付ける。地面に落ちた犬は頭を振っているがまだ闘志は失っていない。相手の力量も分からぬ痴れ者め。魔法で全身を四散させてもいいが秋江に買ってもらった衣服を汚したくない。ここは追い散らすだけとしよう。


「弱きものの心臓を掴め。悪夢の王の仮面」

 ヴァルクレアが呪文を唱え、犬の鼻先に手を伸ばす。とたんに犬は闘志を失い、見る見るうちに情けない表情となると怯えた様子で向きを変える。そして、狩人に追われた兎のように駆け去った。


 ふん。他愛もない。そこへ後ろから秋江の手が伸びてきて、後ろから体を抱きすくめられた。振り返ると秋江が心配そうに自分のことを見ている。

「大丈夫? 怪我はない?」

 その問いに頷いて答えながら、ヴァルクレアは大きな幸福感に浸っていた。


 この秋江というのはやはり全く戦闘には向いていない。あの犬との間の攻防に全然反応できていなかった。それにも関わらず、ヴァルクレアを守ろうと自分の身を危険にさらしたのだ。結果的に何の役にも立たなかったわけだが、そんなことはどうでもいい。


 邪神の眷属との戦いは常に一人だった。力が隔絶しすぎており足手まといになるからと誰一人ヴァルクレアの前に立ちその身を庇おうとする者はいない。ヴァルクレアもそれを是としていたが、もやもやとしたものを感じていた。先日の最新の魔王との戦いでイラッとしたのも今思えば、魔王をかばおうとする連中の姿に羨望を覚えたのだろう。


 確かに今の自分は外見上、無力な少女と見られているに違いない。そうだとしても、この秋江という女の行為の価値が減ずることはなかった。暖かい気持ちが溢れて全身を満たす。誰かに気遣われ、守られているという感覚がこれほど甘美なものだとはな。


 その感謝の気持ちをぶつけるようにヴァルクレアは伸びあがって秋江に抱きつき、頬に顔を寄せた。そのまま頬ずりをする。柔らかい頬の感触を感じながら、ヴァルクレアは秋江を欲しい、と思っていた。やはり、何とかして口説き落として、我が城に連れて帰ろう。


 わずかの時間、ヴァルクレアの為すがままにされていた秋江が抱擁を解き立ち上がると表情を険しくする。どうやら、あの犬の所有者の行動に対して怒っているようだ。このような諍いが起きないようにする義務を果たしていないらしい。まあ、どの世界にもあのような輩はいるのだな。犬を追いかけるその尻に軽く雷撃でもおみまいしてやるべきだったかもしれない。


 しばらく歩くとわき道から大きな通りに出る。その通りにはひっきりなしに巨大な金属製の箱馬車が物凄い速さで行きかっていた。正確には馬がいないので箱車だろうか。轟音と共に通り過ぎる多くの箱車にヴァルクレアは圧倒される。この中を向こう側に行こうというのか? あまりに危険ではないか。あれに当たれば怪我では済まないだろう。


 どうするのか秋江を見上げていると、箱車は一斉に止まる。向こう側の柱に掲げてある明かりが赤から緑に変わっていた。箱車が止まったのを確かめると秋江は手を引いて道を渡り始める。いざというときに備え、魔法障壁を最強強度で展開しようと身構えていたヴァルクレアだったが、その必要はなく無事に渡り終える。


 あの箱車は一体何なのだろうと振り返りながら手を引かれて歩いていくと秋江はわき道に入り階段を降りていく。少し進むとその木があった。大きな木いっぱいに白い花が無数に咲いており、言われなくともこれがサクラなのだということが分かった。


 地面に敷物を敷いて座り込んでいる人が数名いる側を抜けて、木の下まで行き、見上げる。まるで白い雲がすぐ頭の上にかかっているようだった。木の下で物思いに沈み始めた秋江の邪魔にならないようにそっと手を放し、少し離れた場所から秋江の様子を伺う。


 ちょうど風が吹いて花びらが舞い落ちてくる。その中に佇む秋江の姿はこの世のものとも思えなかった。まるで、慈愛の情が具現化したかのような優し気な姿を見て、ヴァルクレアはうっとりと見とれてしまう。そうか花を愛でるとはこういうことか。確かにこれはいいものかもしらん。


 じっとしていた秋江が我に返ったようにして周囲に視線を走らせはじめ、ヴァルクレアの姿を見つけると安堵の表情を浮かべた。駆け寄って、秋江に賛辞を浴びせる。

「とってもキレイ」

 

 ふと気づくと秋江の髪の毛に花びらではなく、1輪の花がそのまま付いているのが見えた。しゃがむようにせがんで、指でそっとその花を摘まむ。一部が僅かに赤みを帯びた白い花はまるで秋江の一部であるかのように可憐で美しい。その花を今日来ている服の袋状の裂け目にそっとしまった。


 その様子を眺めていた秋江がお昼の食事にしようと言う。もと来た道を戻るのかと思ったら、木々の茂る道をしばらく進んで一軒の家に入っていく。大きな玻璃の窓を持つ木の家だった。いくつかのテーブルがあり、多くの人が座り食事をしている。どうやら食事をさせる店らしい。


 自分たちもテーブルの一つに案内される。秋江が紙に書いてある文字を見て、傍らに立つ女性に何かを告げる。すぐに緑色の葉っぱを乗せた皿が運ばれてくる。それをフォークで食べながら少し待っていると次の料理が出てきた。秋江が小さな皿に取り分けてくれたものを口に運び驚愕する。


 今までこの世界で食べた物は基本的に美味しかったが、この料理は格別の味だった。細長い糸状の食べ物は食べにくかったが、秋江の真似をしてフォークでくるくると巻き取って食べる。朝に食べたご飯という白い粒が太陽のような色の汁に浸かっているものもフォークですくって食べた。


 良く分からない食品を使って作ってあったがその美味さは生まれて初めての体験で、料理を口元に運ぶフォークの動きが止まらない。しかし、このフォークというのは手が汚れなくていいが、この素晴らしい味わいの汁がすくえないでないか。秋江を見るとパンを小さくちぎって汁をぬぐって食べている。


 そうか、そうすればいいのだな。皿に残った汁をつけて食べる。ううむ。パンも無くなってしまったが、まだこの汁……。さっと指ですくって口に入れる。しまった。周囲では指を口に入れているのは誰もいないではないか。これはきっと行儀が悪い行為なのだろう。城では基本手づかみだった癖がつい出てしまった。


 その姿を秋江に見られて赤くなってしまう。しょうがないなという表情をしながら、窘めるわけでもなく、秋江は気持ちとしては分かるというようなことを言った。


 そして、これで終わりかと思ったら、甘い物が出てきた。この世界に来てから甘い物を食べる機会が多い。元の世界でも豪華な食事はないことは無かったが、こんなに甘い物は豊富ではなかった。あまり花を見かけないが、どこで蜂蜜を採取しているのだろう。


 そんなことを考えながら口に運ぶ菓子は、期待を裏切らぬ味だった。三角形の菓子も四角くプルプルと震える菓子もどちらも食べてしまうのが惜しいぐらいだった。食後のお茶を飲んでいると店の女性が何か書いた書付を持ってくる。ははあ、食事の代金を書いてきたのだな。


 秋江はその書付の上に紙切れを4枚置いた。金貨や銀貨が出てくるのを予想していたヴァルクレアは意表を突かれる。店の女性は何事もないようのその紙切れを受け取って去って行った。しばらくすると書付と共に銀貨を数枚持ってきて置く。随分と精巧な銀貨なのだなと感心すると同時にあの紙切れが銀貨以上の価値を持っていることに思い当たり驚いた。そしてまだ秋江に食事の礼を言っていなかったことに気づき言う。

「おいしかった。ありがとう」

 

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