謎の部屋
中に押し込まれるかと身構えたが、意外なことに女は自ら中に入っていく。それと同時に柔らかな光があふれた。手を引かれ入ると、入ってすぐの場所は石造りの床になっている。その先は木の床になっており、壁と天井は白い。空気は少々淀んでいるが黴臭さはなく、想像していたものと異なりかなりきれいだった。
女は扉を閉めると内側の金属製の何かを回転させ、何か短く唱える。どうやら、推測するに扉を開かないようにしたようだ。そして、歩きにくそうな靴を脱いでから、ほんの少し高くなっている木の床の部分に立った。閉じ込めるだけではなく、すぐに何かをするつもりなのか、そう考えるヴァルクレアにも木の床に上がるように促す。
仕方なく上がろうとするヴァルクレアを女は押し止め、自分の履いていた靴をそろえて石の床に置いた。履物を脱げというのだな。自分のサンダルを脱ぎ、女と並ぶ。女は黒い袋を床に投げ捨てると奥へと進み、廊下を右に曲がって小部屋に入ると何かに触った。それと同時に天井から光が小部屋を照らし出す。先ほどから光の聖霊を何体も駆使しているようだ。
その小部屋には壁に大きな鏡が据え付けてあり、ヴァルクレアの顔がやっと出るくらいの高さの大きな台があった。その台には人の身幅よりやや広い窪みがあり、その向こう側に銀色に光る筒状のような器具があって、その横には白い容器が置いてある。女はその容器の上の部分を押して泡を出し、手をこすり始める。そして、銀色の筒のところに手を差し出すと水がほとばしり出て泡を洗い流した。
水の聖霊も使役しているのか。そう思っていると、女は低い台を持ってきて置いた。これに乗れということか。ヴァルクレアが台に乗ると、その手を取り、泡を手の上に乗せる。女の仕草に合わせて手をこすると、先ほどの食べ物のべとべとした感じが消えた。泡を洗い流して、差し出された布で水気を取った。布はやわらかく気持ちがいい。手を引っ込めるといい香りがする。
手を清めて何をしようと言うのだろうか? 切り落として魔具の素材にしようとでも? 次に女は入ってきた扉とは別の戸を通って、他の部屋に連れて行く。先ほどまでと同様に光の聖霊に明かりを灯させると、ヴァルクレアをやわらかい大きなクッションでできた椅子に座らせ、手のひらより大きな太い
その途端、黒い板は様々な色彩をまとい、音を奏で始める。画面の中では男がしゃべっていたと思うと消え、何かの風景に変わる。けたたましい音と共に建物が激しく燃えていた。そうかと思うと、また先ほどの男が現れ、その下には何か文字のようなものが表示される。ヴァルクレアはすっかりその板に魅了されてしまった。食い入るようにその板を見つめる。
視線の端で女が先ほどの小部屋に消えると、やがて何かの水音が聞こえ始めた。小部屋の入口に行ってみると、小部屋の奥にもう一つ小部屋があるようだ。汚れているのか光をあまり通さない玻璃の向こうで人影が動いているのがぼんやりと見え、水が流れる音がそこから聞こえてくる。
ヴァルクレアはそちらも気になったが、それよりも先ほどの黒い板の方が気になって仕方がなかった。正面から見たのでは良く分からなかったが、板に近づいて見ると、板は指2・3本分の厚さしかない。反対側には何も映っておらず、黒い金属が板を支えているだけだった。形の変わった巨大な黒水晶だとのヴァルクレアの推測は外れ、これが何なのか分からなくなる。
ただ、次々と映し出される映像はヴァルクレアの心をとらえて離さない。馬がいないのに走る箱馬車、奇抜な衣装を着て歌い踊る女性達、見たことも無い黒と白の変わった動物、茶色い木の台の向こうでしゃべる初老の男。クッションでできた椅子に戻って、次は何が映し出されるのかを楽しみに待ってしまう。
気が付くと女は、ヴァルクレアの身長よりは高いが天井までは届かない壁で仕切られた向こう側で何かをしている。先ほどとは打って変わったボロい服を着て、頭に布を巻いている。なにか肉の焼けるようないい匂いがしてきたと思うと女はいくつかのものを低い台の上に並べはじめる。台に誘われてみると、想像した通り食べ物だった。
えーと、これは燻した肉と卵か。乳がかかった薄茶色のものは何だろうか。隣の物も乳かクリームか? 玻璃の器に入っている赤いものは……まさか血ではあるまいな。女は何か一言いい、手を合わせている。そして、卵を食べ始めた。ふむ。まあ、こうなれば覚悟を決めて食べ、魔力の回復を待つとしよう。
手渡された先が4つに分かれた金属製の器具を使い、燻した肉と卵を食べてみる。卵はバターの香りがして驚くほど柔らかい。肉も変な臭みも無く丁度よい塩気だった。乳に浸ったものは添えられていた匙ですくって見るとサクサクとした食感でほんのりと甘い。
女は言葉が通じないであろうにときどき話しかけてくる。表情からするにヴァルクレアを気遣っているように感じられた。血のようだと思った物は、多少の粘度はあったが何かの果汁を混ぜたもののようだ。クリーム状のものは酸味が効いた乳をゆるく固めたもので、添えてある煮た苺と混ぜて食べると口の中がさっぱりとした。
ヴァルクレアがいつも食べていた料理と同等かやや美味しいように感じる。特に甘みがふんだんと使われているのが驚きだ。食べ終わると女は皿などを仕切りの向こうに持っていき何かしている。水音からすると恐らく洗っているのだろう。ここはなんと水が豊富なのだ。地上より高いことに思い当たりヴァルクレアは困惑する。
そんな困惑をよそに、女はカーテンを開ける。眩しい日光が部屋にあふれた。カーテンの向こうは玻璃の扉になっており、女はそれを空け、外気を取り込む。玻璃の数も多いな。数もそうだが、私の城にはこれだけの大きさのものは無かった。
次に女は何かの箱と器を持ってきて、台の上に置く。先ほどミルクに浸っていたものの絵が書いてあった。それから、仕切りの向こうにヴァルクレアを連れて行き、白い金属の箱の扉を開く。中から冷気が漏れてきた。今度は冷気の聖霊。あの性悪の魔狼めも使役しているというのか。扉の内側は棚になっており、女は赤い細長い箱を指し示す。なるほど、これに乳が入っているという訳か。
また、先ほどの部屋に戻されたヴァルクレアは様々な光景を映し出す黒板に意識が吸い寄せられる。女は先ほど手を洗った小部屋に行き、何かを始めた。しばらくすると強い風のような音が響いてくる。黒板の映像がさらに5つほど変わったところで、女が部屋にやってきた。
最初に会ったときのような服に着替えており、頭に巻いてあった布は無く、髪は乾いている。それほど長い髪ではないがこんな短時間で乾くはずがない。気まぐれな風の精霊を使ったというのか? 女に意識を差し伸べても、相変わらず強力な魔力は感じられない。どういうことだ?
ヴァルクレアに探られているのを知ってか知らずか、女は玻璃の窓を閉めると部屋の中を見まわしている。満足したような表情を浮かべると廊下に出て、入り口に近いところにある別の木の扉を開いて中に入った。黒板も気になるが女が何をしているのかも気になる。
ヴァルクレアは足音を忍ばせて近づいて見る。中は静かで何をしているか伺えない。やがて、何かがぶつかる音に続き、紙を破るような音がする。そして、人が動く気配がしたので、黒板のある部屋に戻った。水が激しく流れる音と共に女が外に出てくる。一度、手を洗った小部屋に入って戻ってくると
たちまち黒板は映し出すものを変える。明らかに人形とわかるものが動き、しゃべる様子が映し出される。変な形をしており、何かの役に立ちそうな造形はしていないが、あれは
女はそのまま、入り口の方に歩いていき、通路の途中で黒い皮の袋を拾い上げる。私を残して外に行くつもりか。急いで追いかける。すると女はひざを付いて、避ける隙も与えず、ヴァルクレアをぎゅっと抱きしめた。そして、体を離すと、何か一言つぶやき、扉の数カ所を触って開け、外に出て行く。
扉が閉まるまでの僅かな時間に女はヴァルクレアに向かって手を振り何かの声を発する。何かの魔法がかけられるのかと身を固くしたが、何も起きなかった。その間に金属が2回こすれる音がして、扉を開かなくする仕掛けが動作したことを告げた。ヴァルクレアはこの部屋に閉じ込められてしまったのだった。
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