第70話 おかえり『ニューヨエコ』


 私が好きになるアーティストは男性ボーカルばかりで、女性ボーカル、特に歌姫と呼ばれる人は多分好きにならないだろうと思っていた。

 例えば、私の世代を夢中にさせた歌姫と言えば、安室奈美恵さん、浜崎あゆみさん、中島美嘉さん、西野カナさん、いきものがかりの吉岡聖恵さんなど。上の世代で、宇多田ヒカルさん、YUKIさん、椎名林檎さんなど。レジェンドレベルの中島みゆきさん、松任谷由実さん、MISIAさんなど。下の世代でも、あいみょんさん、YOASOBIのikuraさん、アイナ・ジ・エンドさんなどなど。特定の曲に関して、「好きだなー」と思うことはあっても、「この人を追いかけたい!」と思ったことはほぼなかった。


 のだが、大学一年生、我が家もやっとインターネットを引き、世界がとても大きく広がった頃、パソコンの前で一日中、ニコニコ動画で自主制作アニメを見あさっていたころに見つけた、エジエレキさんというクリエーターの「夜な夜な夜な」という非公式MVに衝撃を受けた。

 可愛いデフォルメキャラクターと、セピアっぽい独特な配色、急に入り込んでくるリアル描写、そして、毒っ気のある演出と、一瞬公式じゃないかと疑ってしまうほどハイクオリティな映像に夢中になったが、それと共に、私を虜にさせたのは、流れている楽曲であった。


 ジャズのようなメロディに高い技術のピアノの演奏、ビブラートが美しい唯一無二な歌声、何より、どん底にいるかのようなネガティブな歌詞に魅了された。

 どんな歌詞かというと、サビがこんな感じである。


  夜は 自己嫌悪で忙しい

  夜は 自己嫌悪で忙しんだ

  反省文 反省文 反省文

  提出します


 これまでにないほどの共感した「夜な夜な夜な」の作詞作曲ボーカルこそ、倉橋ヨエコさんであった。

 それから、ヨエコさんのたくさんの曲を夢中になって聴いた。ヤンデレな女性の歌の「いただきます」「過保護」、底抜けにハッピーな恋愛を描いた「卵とじ」「アンドーナッツ」なども大好きだが、私が特に心惹かれたのは、ネガティブなメッセージを明るいメロディーで歌われた曲だった。


  でも 飛び出して行こう 待ってる人はいないけど

  泣き止んでみても 外はもっと雨(「今日も雨」)



  涙のお池は

  どんどんどんどん 増えて行く

 

  私の部屋まで

  どんどんどん 街よ沈め(「沈める街」)



  誰にも愛されなくっても ああ生きてやる 生きてやる

  季節が私に用なくても この種達を飛ばす(「昼の月」)


 などなど、めちゃくちゃ刺さりまくって、ずっとリピートして聞いたり、聞いていなくても頭の中でリピートしたりしていた。特に「昼の月」は、コンテストで惨敗した後に聞いて、勇気をもらうこともあった。

 ヨエコさんの曲の好きなところは、等身大なところだ。「応援ソング」と言えば、ポジティブで、みんなに「頑張れ」と言ってくれるような曲をイメージするが、心が弱っているときは、それが白々しく感じることもある。だから、「まあ、全然だめだよね」という、自分の立ち位置を見つめなおしてくれるヨエコさんの歌が、素直に心に染みる。


 ただ、ネガティブすぎて心配になる、という曲も多少ある。例えば、「盾」という曲は、ヨエコさんが病床の母親に対する気持ちを述べた歌とはいえ、「私など 裂けてもいいの」と連呼していて、「そんなこと言わないでー!」と言いたくなってしまう。

 しかし、その気持ちは伝えきれなかった。ヨエコさんは二〇〇八年に歌手活動を廃業して、私が彼女の存在を知った時にはもうそれから数年経っていたのだった。


 ヨエコさんがSNSもやっていなかったので、どうしているのかわからないまま年月が流れた。彼女の曲を聴きながら、やっぱり一度生で聞いてみたいなぁと思い続けていたところ……。

 廃業から十五年たった二〇二三年の七月に、「ヨエコ」として復帰を発表! ツイッターでそれを見たときは、最初は信じられなく、しかし、確かに嬉しくて、すぐに開設したばかりのヨエコさんのアカウントをフォローした。


 それから数か月後、待望のヨエコさんによる新アルバム『ニューヨエコ』がリリース。こちらは、六曲のセルフカバーと、一曲の完全新作によって構成されていた。

 セルフカバー曲は、全く新しいアレンジと変わらないヨエコさんの歌声に驚かされたのだが、本当の意味で驚いたのは、新作の「ドーパミン」だった。こちらは第一声から「痛い痛い痛い痛い」の連呼で、ネガティブな曲の印象を最初に受けるのだが、それはBメロの一節でがらりと変わる。


   私だけ生きててごめんといったなら

   あなたは怒るかしら


 ヨエコさんの曲に、他人の視点が出てくるのが初めてのように感じて、非常にびっくりした。それも、ヨエコさんのことを大切に思っている誰かの言葉として。

 この曲は、別のサビで以下のように続く。


  ごめんごめんごめんごめんごめん

  ごめん


  謝りながら生きる

  そんなのあなた望んでない


  だから私


  ごめんごめんごめんごめんごめん

  ごめん

  胸に忍ばせて

  こんな自分も許してみる


 初めて、共感以外で、すっと胸のすく思いがした。自分のダメなところ、嫌いなところ、数限りなくあるけれど、ありのままを受け入れて、「こんな自分も許してみる」と言ってもいいのだと、背中を押してもらえた気持ちだ。

 復帰に際して、公式のホームページに載っているヨエコさんのインタビューも読んでみた。廃業してからの十五年を「茨の道」と本人は言っていたけれど、それどころではない経験談に度肝を抜かされる。そして、復帰してくれて、いや、まず生きててくれてありがとうとヨエコさんに言いたくなった。


 「ドーパミン」のラストはこの一言で締められる。


   私達も生きてみよう


 ヨエコさんに、「私達」と呼びかけられただけで、とてつもない勇気が湧いてくるようだ。

 今までも、これからも、「茨の道」は続くけれど、ヨエコさんがそばにいる。だから、私は「ここ」からまた、一歩、足を踏み出すことが出来るのだ。


  

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