第62話 大好きな小説『死神の精度』の魅力について


 気が付けば、六十話以上も書いてきたこのエッセイだが、実をいうと、一番面白いと思っている小説のことをまだ紹介していなかった。

 芥川の『地獄変』は、一番好きな小説だが、エンタメ的な意味合いでの「面白い」小説は、伊坂幸太郎さんの『死神の精度』だ。上記と、レオ=レオニの『スイミー』の三冊が、今の私を作ったと言っても過言ではない。


 『死神の精度』とは、人間の生死をジャッジする死神の千葉の目線による六編連作短編集。中学生の時に読んでから、私のオールタイムベストの小説である。

 初版が発売されたのは、年。その年の直木賞候補になり、表題作の「死神の精度」は、第57回日本推理作家協会賞短編部門を受賞した。


 初めてこの本を目にしたのは、本屋の文芸コーナーだった。オカルト好きな中学生に「死神」の二文字はぶっ刺さった。この本をきっかけに、図書館の一般文芸コーナーに足を運ぶようになったという意味でも、ターニングポイントだ。

 また、初めて買った文芸書でもある。ぼろぼろになるまでこの文芸書は読みこんだのだが、解説欲しさに文庫本版と、好きな漫画家の石黒正数さんによる特別カバー版文庫本も持っている。ちなみに、続編の『死神の浮力』も文芸書版と文庫版で持っている。


 この一冊は、伊坂さんを知ったきっかけの一冊、ミステリーとファンタジーを組み合わせてに対する衝撃、私の人外キャラの根本設計への影響と、この本を読んでいなかったら、どんな読書遍歴と創作半生を歩んでいたのか分からないくらいに大好きだ。

 また、NHKの深夜のラジオドラマ版も、FMが届く真冬の屋上で震えながら聴いたり、実写映画版も見に行った上にパンフレットも買ったりした。続編である『死神の浮力』からもう十年経つ。伊坂さん、新しい死神シリーズ、発表しないかな……。


 そんな『死神の精度』の魅力だが、語り尽くすことが出来ないので、今回は三つに絞って紹介しようと思う。

 一つ目は、この小説においての死神に関する独自の設定である。


 皆さんは、「死神」と聞いて、どんな姿やキャラクターを想像するだろうか? 骸骨に黒いマント? それとも、シワシワのお爺さん? 青ざめた馬に乗っている?

 死神としての役割も作品によって色々だ。落語の『死神』は、病人の枕元で最後を看取る。『BLEACH』のように、悪霊と戦う死神という設定もある。


 だが、この小説内の死神の仕事は一風変わっている。人間の定められた寿命、それが来る前に対象の人間が死ぬべきかどうかを、その対象と実際に接触して、行動を共にしたり会話をしたりして決めていくというものだ。

 死神が対象と接触できるのは七日間。調査終了後の八日目に、死神が「可」と判断すれば、対象は事故か事件で亡くなり、「見送り」と判断すれば、その死は先延ばしにされる。


 以上のように、死神の仕事は非常にシステマチックだ。死ぬかどうかの対象になった人間と接触するのが千葉の所属する「調査部」、他にも「監査部」や「情報部」というのがあり、それが余計に会社のようである。

 死神がいて、生死を管理しているのなら、あの世があるのかと読み始めは思ったが、それははっきりしない。死後の世界どころか、幽霊もいるのかどうかわからない(映画版ではちらっと幽霊が出てきたが、それはオリジナル展開だった)。


 そもそもにして、死神とは何なのかというのも、かなりぼやかされている。どうやら千葉たち調査部は「人間の姿」になって、この世に来ているようなのだが、その元々の姿は不明である。そして、仕事以外ではどこにいるのかも分からない。

 明瞭なようでいて、大事な所はぼんやりとしているのが、本作の死神の設定だ。もしかしたら、こうなっているんじゃないかと想像を張り巡らせる余地がある部分に、心を囚われてしまっている。


 二つ目は、死神の千葉というキャラクターである。

 この前、ツイッターで『死神の精度』と調べてみたところ、ある書店が行った伊坂作品の好きなキャラクターランキングで、堂々の第一位が千葉だった。映画では、金城武さんが演じているのだから、人気なのも納得でもある。


 ただ、人間の姿をしていると言う千葉が、どんな容姿なのかは、一編ごとに異なっている。共通点は「千葉という名前の男」ということだけで、ファッション誌のモデルのような青年とか、派手なセーターを着た中年とか、紺の背広の会社員風とか、接触する相手によって変化する。つまりは、読み手それぞれが好みのタイプを想像できるようになっている。

 性格については、キャッチフレーズになっている「クールでちょっとズレてる」がピッタリだ。一番好きなものはミュージックで、一番嫌いなものは渋滞で、重度の雨男だから今まで一度も晴れを見たことがないというのも面白い。


 死神なので、人の死については淡々としている。対象者に恋されても、人生相談されても、トラウマを打ち明けられても、決して同情せず、自分の仕事をしっかりこなす。仕事の情熱はないのだが、そこら辺のプロ意識は高いのがクールだ。

 だが、人間の世界に疎いので、相手との会話がズレてしまったりする。「年貢の納め時」と言われた時は、「年貢制度は今もあるのか?」と返し、仕事で会った男と言って、二千年前の思想家の言葉を引用する。こういう、時間の感覚の違い以外にも、「わたし、醜いんです」と言われて、「いや、見やすい」と返すなど、素で天然な所もある。


 そんな千葉の目線で物語が語られるのだが、人間の負の部分をぶった斬るというよりも、人間って結局こうだよねとユーモラスに包んだ状態で、すっと入ってくる。千葉自身が、人間を小馬鹿にするでも憐れむでもなく、どこまでもフラットに見ているので、こちらも不思議な発見がある。

 それから、忘れてはならないのが、この『死神の精度』がミステリー小説であるということだ。死神のフラットな視点故に、作中には大きな謎が隠されていて、それが露わになった時の驚き――ここはぜひ、本作を読んでいただきたい。


 最後の魅力は、文章表現の面白さだ。皆さんが小説を読む理由は個々であると思うのだが、私の場合は、文章だからこそできる表現が好きで、読んでいる部分もある。

 もちろん、ストーリーやキャラの魅力などもあるのだが、如何せん、分かりやすさやスピード感で言えば、漫画や映像に比べると、小説は幾分か劣ってしまうと思う。だが、遠回りでも無駄なようでも、作家が視ている世界を言葉で描き出した際に、はっとさせられる表現があったら、その時点で小説の勝利なのだろう。


 『死神の精度』で言えば、こんな表現がある。千葉が、雨の降る街で車を運転しているシーンだ。


 手品師が、客の前で一瞬だけ種を見せるかのように、ワイパーがさっと動いた。


 脳内にガツンと来るような比喩だった。「ワイパー」と「手品師」という、率直に結びつかないような二つの単語、「客の前で一瞬だけ種を見せるかのように」という皮肉めいたユーモア、そして、聞いたことのない例えなのに、すぐに連想される情景……何もかもが完璧に思える一文で、ずっと心に残っている。


 千葉は、青空を見たことがないほどの雨男という設定なので、作中はずっと雨が降っている(一編だけ、吹雪の話はあるが)。だが、その雨の描写も、手を変え品を変え、色々な顔を見せてくるので、それもまた飽きさせない。

 「雨が垂れていた。激しい勢いではないが、その分、永遠に降りやむこともないような粘り強さを感じさせる」「昼間よりも、夜間のほうが雨脚が強くなるように感じた。暗いうちに、町中の汚れを洗い流すかのような勢いがある」「窓の向こうでは、雨が激しく降っている。秋雨というのだろうか。強弱をつけながらも、止む気配がない」などなど、季節や時間の異なる雨の表現を、それこそBGMのように、じっくりと楽しめる。


 他にも、魅力的な表現が多くて、ドキリとさせられる。比喩だけではなく、台詞のちょっとした言い回しや、エピソードの語り方など、細かい所に伊坂さんという作家の特徴が色濃く出ている。

 『死神の精度』をきっかけに、私が伊坂作品を読み始めたのは必然だったように思える。そして、伊坂さんのように、「この人の文章をもっと読みたい!」と思わせる小説を自分も書きたいという、一つの目標となっている。


 最後に余談だが、自分のちょっとした妄想を。『死神の精度』が、アニメ化しないかなぁということを、ずっと密かに思っている。

 実写映画化もしていて、それも満足のいく出来だったのだが、アニメ化の願望が芽生えたのは、意外にも『ポプテピピック』のアニメを見ていた頃だった。一話毎に二回、そして毎週主人公二人の声優が変わるという大暴挙に出ているこのアニメを爆笑しながら見ている内に、ふと思った。


 主人公の声を固定しなくてもいいのであれば、エピソードごとに姿が変わる千葉の声も、固定しなくてもいいんじゃないかと。

 そう思いつくと、またまた妄想が膨らんでくる。キャラデザは、特別編の表紙を書いた石黒正数さんが良い。いや、それも思い切って、エピソードごとに変えてしまってもいいんじゃないかとか、いっそのこと、エンディングも変えてしまおうじゃないかとか。


 伊坂さんの作品のアニメ化は、二〇二二年現在、まだされていない。エンタメ小説のアニメ化で成功した例は、『四畳半神話大系』や『風が強く吹いている』などがあるので、伊坂作品も行けるんじゃないかと思う。まあ、アニメだったら、『陽気なギャングが地球を回す』や『ラッシュライフ』も向いているとは思うのだが。

 『マリアビートル』が『ブレット・トレイン』というハリウッド映画として封切られた現在だからこそ、大チャンスですよ、ぜひご検討ください。……と、どことも知れない虚空に向かって頭を下げてみる。


 とはいえ、毎週千葉さんの姿や言動に見惚れて、デレデレしたいだけではあるのだが。今は、本編を何度も呼んで、自分で思い描いた千葉さんに浸っていたい。

 ということで(?)、閉め時を見失ってしまったのだが、伊坂さん、死神シリーズの新作も、いつまでもお待ちしております……と懇願して、終わりたいと思う。




 

 


 



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