第46話 愛車遍歴……とは呼べないもの


 沖縄で暮らしているからか、私は両親に押し切られるかのように大学一年生の頃から教習所へ通い、免許を取った。

 しかし、免許を取るのに履修期間を大幅にオーバーしていた。その頃から、車を運転することに対して、嫌な予感がしていた。


 その予感は悲しいことに的中した。遅すぎるからと追い越し禁止のところで追い越される、ぼんやりしているから青信号にもすぐ気付かない、車道の左側に寄りすぎていると父に必ず怒られるなどの出来事が積み重なるほど、私は、絶望的に運転が下手だった。

 また、最初の免許更新の三年間で、事故に遭ったのは四回、車は三回、代替わりした。車社会の沖縄、いや世界中を探しても、そんな人はなかなかいないだろう。自慢にすらならない。


 一代目の車は、大学生の時に乗っていた中古の軽自動車だった。ある日、大学の駐車場で、止まっている車と車の間に駐車しようとしたら、ガリガリッと一方の車の側面を削ってしまった。血の気が引いた。

 その時、相手側の車の方がいなかったので、学生部の人と相談して、名前と電話番号を書いたメモをワイパーに挟んだ。後に電話してきた持ち主と警察呼び、事故処理。止まっている車相手なので、十対〇になった。


 それからしばらくして、夕方、大学から家に帰る途中、T字路の信号機で。私の方が赤信号に左の矢印が出ていたので、それに従って曲がった。反対車線から、右に曲がる車が、私が曲がろうとしていることに気付かずにUターンをして、運転席側と衝突した。

 慌ててお互いに路肩に止めて、警察を呼んで話し合い。それは揉めずにまとまったが、私が両親を呼んで待っている間、エンジンを止めていたままハザードランプを点けっぱなしにしていたので、バッテリーが上がってしまった。結果、事故で車は凹んだだけだったのに、レッカー車を呼ぶことになってしまった。


 しかし、これが最初のレッカー車ではない。実は、それ以前に一度呼んだことがあった。

 その時は大学へ行く途中、下り坂で信号待ちをしていたら、車がぷすんと言ってエンジンが完全に止まった。焦ったが、下り坂だったので動かせるハンドルとブレーキを用いて近くの空き地に停車、ブレーキベルトが切れていたので、レッカー車を呼んだ。


 さて、事故の後の車だが、大分距離を走って、車検ももうすぐだったので、このまま買い替えようということになった。

 車関連に疎いというか興味のない私のために、父が用意した二代目は、一代目と同じ車種の中古車だった。またこの車かとは思ったが、有り難くいただいた。


 三回目の事故は、アルバイトが終わった深夜。家に帰る前にツタヤへDVDを返しに向かっていた。赤信号で、私の車一台だけが止まっている所へ、後ろから車が。結構スピードが出てるなと思っていたら、そのまま追突された。

 路肩に止めて、話し合い。なんと、相手側の運転手は飲酒していた。警察はやめてくれというのだが、私は強い意志でパトカーを呼んだ。あと、近所だったので両親も。


 もちろん、こちらは〇対十であちらが悪い。車の後ろがべっこり凹んでいたが、これも後々直せるだろうと思っていた。私にも怪我やむち打ちもなかったのが不幸中の幸いだった。

 実はこの事故の直後、前回のUターンの車との事故のことを思い出していた。不吉だから、事故のことは考えないでおこうと思っていた、矢先に……。


 飲酒運転追突事故から一週間経つか経たないかのタイミングだった。とあるスーパーの駐車場を走っていると、バックで出ようとする車と、誰も座っていない助手席側が追突した。

 頭が真っ白になった。また事故かと。相手側の車には、殆ど傷が無かった。そのため、そちらの運転手に言いくるめられて、警察を呼ぶのを阻止された。


 家に帰ってから、父に指摘されて、私は助手席側のヘッドライトのところが凹んでいることに気が付いた。あの時の、やられたという気持ちともう誰も信じられないという絶望は、きっと一生忘れらない。もちろん、相手の名前や住所も知らないので、こちらの泣き寝入りとなった。

 私の車は、後ろの凹みがそのままの状態だったので、駐車場での相手が、それを見た時にちょっとでも良心が痛んでほしい。そして、あのスーパーに行く度に私の車との事故を思い出して、蕁麻疹が発生してほしいと、今でも思っている。


 そんな風に、カーライフというか、事故と故障ライフを過ごしていたある日。後ろの凹みも直ったというタイミングである。

 私は大学へと向かっていた。単位がギリギリの講義に向かっていたのだが、車の調子が悪くて、一度完全に止まってしまった。それでも、何とかエンジンをかけ進めていた。それがいけなかった。


 完全に、信号待ち中に車が止まった。しかも、今度は上り坂の途中である。今踏んでいるブレーキを離したら、後続車にぶつかる、あの恐怖をなんと言い表そう。

 偶然、隣のお店で旗を出していた方に助けを求めて、後続車の運転手と協力して押し出してもらい、信号を抜け出せた。しかも、お店の前に止めていただいて、有り難い限りであった。おかげで、人を信じる心を取り戻せた。


 故障の原因は、エンジンオイル入れのところに空いた穴であった。しかも漏れが酷い状態で、これはもう買い換えないといけないレベルだった。

 一度泊っても無理に進めてこうなったので、父にはこっぴどく叱られた。だが、車がないと不便するだろうと、中古だが、三代目を用意してくれた。


 私の使っていた家の駐車場に置かれていた三代目は、一代目、二代目と全く同じ車種だった。

 私は、泣き喚いて抗議した。この車と私は相性が悪い! 頼むから、他の車にしてくれ! と。


 結果、普段は頑固な父もその申し出を聞き入れてくれて、軽で中古車という以外は、これまでとメーカーも色も、全く別の三代目が来た。

 現在、私はこの車に乗っている。本当にあの車種と相性が悪かったからなのか、それとも三代目だけはちゃんと神社でお祓いをした為なのか、事故に遭ったことがない。


 ただ、故障はあった。しかし、タイミングが完璧で、タイヤのパンクは自宅の駐車場にバックしている瞬間だったし、バッテリーが上がったことがあったのも、自宅から出発しようとしている時だった。

 まあ、他人には迷惑をかけていないけれど、私のその後の用事が前倒しになってしまったので、手放しで喜べないのだが。それ以前に、故障させるなよという話である。


 余談だが、事故を目撃したことも二回ある。

 一回目は、電線などを検査する高所作業車が、梯子のような部分を中途半端に上げている所為で、街灯に引っかかってブリッジするように横転する瞬間だった。その時は、私も反対車線で車を運転中だったので、走り去ってしまったのだが、その後どうなったのかまでは分からない。


 もう一つは、台風が去った後、水浸しの道路を父に運転してもらって大学に向かう途中。私たちの真後ろの車が二台、スリップしたのか玉突き事故になっていた。

 車を運転する以上、いつ何が起こるか分からないので、皆さまもお気をつけて。私も、定期的なメンテナンスを行い、交通安全をきちんと守っていく所存である。










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