第40話 首里城へ
二〇一九年十月三十一日、朝起きた私はラジオから信じられないニュースを聞いた。
首里城の本殿で火災が発生、現在も消火活動中だというのだ。その後、十三時に鎮火が発表された。
私は、首里城へは二回行ったことがあった。そのうちの一回は小さい頃で、正直覚えていない。
生まれ育ったのも那覇ではなくて、首里城が見える場所に住んでいたこともない。どちらかと言えば、首里城とは距離のある半生を贈ってきたのだと思う。
ただ、このニュースにただならぬショックを抱いたのは確かだった。まさか、夢であってほしいと何度思ったほどか。
その理由として、「首里城は沖縄のシンボルだから」という気持ちよりも、「再建に全力を尽くした人々がいることを知っているから」という気持ちが強かった。
父がプロジェクトXの首里城再建の回を録画していて、何度も見ていた。
当時子供だった私も、横で見ながら、特に瓦の色の再現に苦心したという話を覚えている。
大学生になった時に、入った学部の専攻の中に、その首里城再建の中心メンバーだった教授がいらっしゃった。その方はプロジェクトXにも出ていた。
二回目の首里城の訪問は、大学の授業の一環で、その教授が案内してくれるという非常に贅沢なものだった。
その時はまだ、一部の建物を建築中で敷地内にショベルカーがあったことをよく覚えている。
案内してくれた教授は、下から臨んだ石垣に歪みがあることに不満を漏らしていて、ドラマの「テンペスト」にも登場した首里城内の森は、琉球王国時代に比べると木々の茂り方がまだまだ足りないということなどを話していて、教授はまだ満足していないんだ、そしてまだ首里城の再建は終わっていないんだとしみじみと感じ入った。
首里城が沖縄戦の際に日本軍の陣営で、城の中にも壕が残っていることもその時知った。
戦後のアメリカ占領下の中では、首里城跡には琉球大学が建っていて、そこから再建計画が始まったという話も、大学生になってから聞いた。
激しい地上戦により、焼け野原となってしまった沖縄で、資料も技術も材料も失われた状況でも、首里城の再建は住民たちの悲願の一つだった。そうして完成した首里城は、故郷の誇りと平和への祈りが籠っていたのだろう。
そのため、私はニュースを知ったその日一日中は、ぽっかりと心に穴が開いたかのようだった。いつも当たり前のようにあるものがなくなっている、それなのに生活は続いていくんだなと、車を運転しながらその虚無感に襲われてしまった。
それ以降の日々は、首里城に関するニュースに注目していった。
瓦を造った職人が亡くなっているために再現が難しいこと、材料となる木が足りていないこと、前回の再建では二百四十億円かかったことなど、落ち込むニュースもあれば、どんどん寄付金が集まっていることや、防火フィルターや博物館への貸し出しによって焼けるのを免れた文化財があったこと、国内外から全焼を悲しむ声と協力してくれる声を来ていることなど、未来に希望を持てるニュースもあった。
後のニュースで私も初めて知ったのだが、首里城の火災はこれが五回目だったという。何度でも蘇れる強さを、首里城は持っている。
どれだけ時間がかかっても構わない。首里城が、再びその美しい姿を人々の前に現してくれる日が、必ず来ることであろう。
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