第29話 魚影


 魚を見るのが好きだ。

 水槽の中の魚を見るのも好きだが、川や海などを上から見て、その魚影を見るのが特に好きである。


 魚の種類が分からなくても、水面近くでゆらゆらと揺れる紡錘形の影を眺めているとほっとする。

 季節や場所などは関係なく、いつまでも見続けられる自信がある。


 しかし、何故私は魚影を見るのが好きなのだろう。

 それにはおそらく、小学生の頃の思い出が関係しているのではないだろうか。


 台風が過ぎた後の週末だったはずだ。

 私は数名の友人たちと共に、よく行くショッピングモールへ向かっていた。決して近い距離ではなかったが、私たちは歩いていた。


 その道中に、一軒のマンションがあった。特に何の変哲の無いマンションだが、一階部分が駐車場になっていて、坂道から下へ降りることが出来た。

 その駐車場の真横は草むらで、なんとなく私たちは道沿いのフェンスから、そこを見下ろした。


 駐車場と草むらは、すっぽり浸水していた。地面や駐車場のコンクリートは見えなくて、長い草の頭が水から逃れて生えていた。

 その巨大な水溜まりをフェンス越しに除いていると、巨大な魚の影が、ゆっくりと横切った。当時の私を飲み込めてしまいそうなほど、大きな魚だった。


 ……と、ここまで書いたが、実のところ、この後にどうしたのかがよく覚えていない。

 友人たちに魚の影の話をしたのか、何も見ていないふりをして、ショッピングモールへ行ったのか。


 私自身、この出来事は九割九分、夢の中の話だと思っている。

 一緒にいたはずの友人たちが誰だったのかを思い出せない。後々その場所を見たが、台風の後でもあんな風に浸水してしまうのは可笑しい。


 ただ、なんとなく、あの夢を見た理由は分かるかもしれない。

 そのマンションから数メートル歩いたところの空き地には、小魚が泳ぐ小川が流れていたからだった。それを見た記憶が、あんな夢を生んだのだろう。


 私の水辺を覗き込む癖は、いつからあったものか全く覚えていない。だが、その夢なのか現実なのか謎の記憶が、癖にさらに拍車をかけたのは間違いない。

 あの巨大な魚影を見た時の恐怖と興奮、私はそれをもう一度味わいたくて、水面を眺めているのだろう。


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