第26話 時折備忘録 『いだてん』第13回「復活」


 今年から、初めて大河ドラマを毎週見ている。『いだてん』には、何度も笑わされたり驚かされたり、感動させられたりしたが、第13回は一番泣いた。

 その主な理由を、ここでは語っていきたいのでネタバレ注意。あと、これ以降の回はまだ14話しか見ていないので、そこ以外については触れられないし、あまり教えてくれなければ有り難い。


 まずは、第13回までの流れをざっくりと。

 一度ずつしか見ていないのに、自分の記憶に頼った語りなので、間違っていたら申し訳ない。


 熊本に生まれた金栗かなくり四三しそうは、これまで自分の体を丈夫にするため、移動手段として走っていたが、進学のために東京に出て、初めてマラソンを知る。

 そして、初めてフルマラソンの大会に出場、雨の降りしきる中で優勝し、さらに世界新記録を出す。そこで、日本人初のIOCであり、ずっと四三が憧れ続けていた嘉納治五郎先生から、ストックオリンピック出場を持ちかけられる。


 資金作りの困難さを乗り越え、家族や同学校の仲間たちの応援を背に、四三と短距離代表の三島弥彦はストックホルムへ。

 しかし、オリンピックが始まっても、監督の大森が病気で寝込んでしまったり、嘉納先生が中々現地に来れなかったり、弥彦も四三もスランプになってしまったりと、様々な難関にぶち当たる。


 とうとう迎えた、マラソン競技。四三は初の日本人オリンピック日本代表として健闘するが、白夜と暑さの影響で日射病に掛かってしまい、途中で倒れてしまう。

 彼がスタジアムに帰ってくることは叶わず、初めてのオリンピックは悔しい結果に終わった。


 ……と、振り返ってみたが、実を言えば、私は金栗四三の半生を、とあるネット動画で知っている。それは本当に偶然で、大河ドラマで彼が主役と知る前に見てしまった。

 そのため、四三のストックホルムオリンピックの結果も知っているのだが、一番涙腺に直撃したのは、四三とポルトガル代表選手のラザロとの話だった。


 マラソン選手のロッカールームで、どこか敬遠されている様子だった唯一の東洋人の四三に一番最初に話し掛けたのが、このラザロ選手だった。

 彼は、四三の履いている足袋を見て、足が蹄のようになっているのではないかと不思議に思ったのがきっかけだった。


 四三はラザロ選手が足袋に興味を持っていることに気付き、片言の英語とジェスチャーで、この足袋が職人用の履物だという事を説明する。

 それはラザロ選手にも伝わり、彼は自分がカーペンターであることを話した。


 そこで、四三はラザロ選手に足袋をプレゼントするのだが、この一連の流れは完全にフィクションのようだった。

 シベリア鉄道からストックホルムでの出来事を、史実の金栗四三は日記として書き残しており、そこから引用した部分はドラマ内で字幕と四三のナレーションで紹介している。


 それから、四三はマラソンの練習中に、ラザロ選手もコーチと練習している所を見かける。

 コーチに、「負けたら死だぞ!」と怒鳴られながら走るラザロ選手の姿は、日本から「たおるるまで 進めよや」という歌詞のある軍歌・「敵は幾万」に見送られて出発した四三には、感じ入るものがあったようだ。


 そうして迎えた本番。四三は暑さにより、ストックホルムの道中に日の丸を振る日本人や、羽田の予選会の時の雨を幻視して、時折立ち止まりながらも走り続ける。

 「失敬!」と叫んでラザロ選手を追い越したが、森の中の二本道で立ち止まる。そこで見えたのは、子供の頃の自分の姿。それをふらふらと追い掛けて、コースを外れてしまい……反対側の道では、ラザロ選手が「NO! NO!」と叫びながら走っているのがぼんやりと目に入っていたが、四三はそのまま進んでしまう。


 マラソンを見ていた子供を追い掛けた四三は、その子の家族が白夜のパーティー中の民家の庭へ辿り着いてしまう。

 初めて見る日本人が木の下に倒れてしまったことに驚きながらも、その家族は日射病に対する正しい措置を行い、四三の命を救う。


 通訳兼現地コーディネーターのダニエルと、駐在スウェーデン大使の内田に発見されて、四三はそのままホテルに帰るが、レースは終わってしまっていた。

 失意の四三は心配する嘉納先生と弥彦と大森監督に対しても、「すみません」としか謝ることが出来ない。


 さらに、翌日の新聞から、四三は信じられない事実を知る。レース中のラザロ選手が、倒れて病院に運ばれたのち、亡くなったのだ。

 四三はラザロ選手と別れた道が、生死の分かれ道だという事に気付いてしまい、自分の彼と同じ道を走っていたらと呟いてしまう。それを聞いた弥彦は、「死んだらもう走れないんだぞ!」と叱責するのだった。


 嘉納先生の口から、死者が出たマラソン競技は、次のオリンピックからは行われないかもしれないと話を聞いた四三は、改めてマラソンコースを走ってみることにする。

 道中、ラザロ選手がコーチと練習していた坂道の途中に、同じマラソン選手たちが集まっているのを見かける。近付いてみると、そこには木を組み合わせた十字架と、ラザロ選手のユニホームがあり、彼の死を悼んだ選手たちが花を手向けている所だった。


 四三も献花をした後に、他の選手とともにラザロ選手と同じくポルトガル代表マラソン選手の話を聞く。


「ラザロは、病院のベッドの上でも走り続けていた」


 後に、選手たちはその場を後にする。また、四年後に会おうとハグを交わして。

 選手たちは、国を背負って戦うライバルでもあるが、共に過酷な距離に挑む仲間でもあったのだ。


 しかし、四年後もマラソンは開かれるのだろうかという懸念が残る。そして、場面は嘉納先生も参加する、IOCの会議へ。

 そこでは、ラザロ選手を擁するポルトガルのIOCが熱弁を振るっていた。ラザロ選手は貧しい生まれで、故郷の妻は妊娠中だった。しかし、IOCはこう言い切る。


「四年後もマラソンを開催してほしい。ラザロを忘れないでくれ」


 近代オリンピックで初めての死者が出た出来事を、一つの悲劇として閉じるのではなく、またその先の未来に繋げてほしい。

 彼の熱意は受け入れられ、嘉納先生を含めたIOC全員は立ち上がり、拍手を送った。


 一方四三も、ストックホルムの街を走りながら、決意する。

 「次は四年後、ベルリンで」――彼の日記には、そう力強く書かれていた。


 ……と、本当にざっくり語ったが、13話にはたくさんの見所があった。

 本編の語り手(キャスト表記では噺)である後の落語家・古今亭志ん生、当時の朝太の初舞台。ストックホルムで別れた、大森監督が妻・阿仁子あにこの故郷であるアメリカで息を引き取ったこと。船に乗る際に、四三が弥彦からカメラを譲ってもらった場面などなど。


 初めて大河を見ている分際で偉そうだが、有名無名関係なく、たくさんの人々の言動が、歴史という大きな流れを作っているのだと感じ入ってしまう。

 近代日本と世界のスポーツの源流を見ているようで、わくわくしている。


 その中でも、史実では擦れ違っただけなのかもしれない四三とラザロ選手との関わりを、フィクションとして作り出すことで、彼の死がより印象深く、四三にも視聴者にも深く刻まれることになった。

 こういう所がフィクションの力だ。「一人のポルトガルの選手が亡くなりました」と言わないことで、歴史上に無駄な出来事や人物がいないことを教えてくれる。


 余談だが、本編後のいだてん紀行でもぼろぼろ泣いた。ポルトガルとラザロ選手の現在を紹介していたからだった。

 当時のポルトガルも、王制から民主制に変わったばかりで、日本と同じように近代化を目指していた国であり、ラザロ選手も四三たちと同じく黎明の鐘となるべくオリンピックに参加していたのだ。


 さて、ストックホルムオリンピック編を終えた『いだてん』。

 これから四三を中心とした登場人物たちが、どのような歴史の流れを生み出してくのか、とても楽しみである。



  

 



  

 

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