第22話 時折備忘録 アヴラム・デイヴィッドスン『どんがらがん』
人は忘れる生き物である。だからこそ、備忘録を書いて自分の感性を残しておこうとするのだろう。
しかし、元来怠け者の私は、あんまり備忘録を書かない。読書メーターにも登録しているし、読んだ小説の記録はそこに残すので十分だと思っていた。
だが、どうしても長尺で語りたくなる作品がある。読書メーターの二百五十文字の感想欄では足りない。
そんなときのために、『ペンギン自由帳』内で備忘録を書くことにした。
第一回目は、奇想コレクションからアヴラム・デイヴィッドスン『どんがらがん』。
『ペンギン自由帳』の第14話で、読みたい本の一冊に、デイヴィッドスンの『あるいは牡蠣でいっぱいの海』を挙げていた。
この邦題の短編は見つけられなかったが、代わりに「さもなくば海は牡蠣でいっぱいに」が収められた短編集を見つけた。しかも、一番近所の図書館で。
「他の作品も読めてお得やーん。ハードカバーで持ち運びするには重たいけど……」そんな感想を持ちながら、借りた。
そして、読んだ。ひっくり返った。
読んでいた頃の私のツイートに、その驚きはあちこちに現れている。
「べらぼうに面白い」「こんなに面白い小説を読んでいたら罰が当たるんじゃないのか」などなど。
なんでもっと早く読んでいなかったんだ! と、過去の自分に理不尽な叱責をぶちかましたくなる本作は、もうあらゆるところが私のストライクゾーンだったのだ。
簡単にまとめると、その理由は三点ある。
一つは、オチが全く予想が付かないこと。
小説をたくさん読んできたら、ある程度の展開は想像できてくるようになると思う。色んなものを食べてきたから、舌が肥えてきたように。
しかし、デイヴィッドスンのオチは、想像が出来なかった。まさかこうなるなんて! の連続だ。
さらに、そのオチが全く無理のない。突然神様が出てきたとか夢オチとか、そういうのは皆無なのだ。ちゃんと伏線があり、だがそれを悟らせずに意外な結末に導かれるので、すっきりする。
二つ目は、タイトルがとっても素晴らしいこと。
前回の「このタイトルがすごい!」で語ったが、『どんがらがん』のタイトルは一見不可解だが読んだ後に納得する、あるいはタイトルそのものが伏線になっているというものが多い。
このエッセイ内でも何度も熱弁したが、私にとっての性癖ど真ん中を貫いてくれるタイトルばかりだった。
また、目次でタイトルを眺めているだけで、「こんな話だったなー」と思い出せるのも素晴らしい。
三つめは、作品の幅が広いこと。
百年くらい前のアメリカ、人類が宇宙に移住した遠い未来、異世界の神話時代――時代も場所も次元も、関係なく物語世界は多岐にわたる。
読後は、旅をして戻ってきたかのような疲れと達成感が喜ばしい。
短編の並びも意図されているのか、「イタリア行ったら今度は南米!?」みたいな感じで、本書に振り回されている感がひたすらに楽しかった。
デイヴィッドスンはニューヨーク出身だが、戦時中に北京へ行っていた時期や、戦後家族でメキシコに移り住んだ時代もあり、その事が作品に強く影響されているようだ。
また、博覧趣味があり、様々な書籍を紐解いていたという。星新一の「ボッコちゃん」を訳して、アメリカに初めて日本SF作品を紹介したという功績もある。
舞台も多岐に渡るが、ジャンルも多岐に渡る。しかも、その完成度が素晴らしく、それぞれジャンルの異なる短編賞をいくつも受賞した。
私は、このジャンルの幅広さに感銘を受け、つい一か月ほど前から読み始めたのに、「尊敬する作家はデイヴィッドスン」と言いたくなってしまうくらいにのめり込んだ。
それぞれ異なる作風で、どれもこれも素晴らしいのだが、断腸の思いで収録作品十六編からベスト5を決めたい。
一位 さあ、みんなで眠ろう
人類が宇宙に移住した遠い遠い未来。資源も目新しい生物もいない小さな星に住む原始人・ヤフーは、長い宇宙旅行の途中の憂さ晴らしとして、地球人類に追い回され、殺され、女性は拉致されて囚人たちの慰み者にされていた。
この状況を憂いた男・ハーパーは、ヤフーを移住し、保護しようと奔走するが、それは思う通りには行かなかった……
SF作品だが、今現在にも十分通じるお話。
ドードー鳥やオオウミガラスなど、絶滅した動物たちの話がハーパーの口から語られ、何故こうして人類は同じ過ちを繰り返してしまうのだろうかとやるせない気持ちになってくる。未来も過去も大差ないじゃないかという怒りすら湧いてくる。
そんな中で、ヤフーの事を心から愛し、助けようとするハーパーの努力は、全く受け入れられなくても、涙ぐましいものである。
だからこそ、あのラストからは美しさを感じ取ってしまうのだろう。
二位 そして赤い薔薇を一本忘れずに
主人公のチャーリーは、中古のストーブを磨く仕事をしている。ストーブを販売している雇い主は、誰もいない時にチャーリーをいじめる癖があった。
チャーリーが自宅のアパートにいれると、アジア系の男が表札に名刺を入れようと四苦八苦していた。それを手伝ったチャーリーは、アパートに書店を開くという男に案内される。
そこにあったのは、本とは別の形をした「書」と、妙に長い文章が記された値札だった。
書籍の値札を読むだけでも楽しい一編。
さらに、ラストの展開でタイトルを完全に理解し、「ああ!」と驚くカタルシスがとてつもなく気持ちよい。
最初にタイトルだけを見た時は、「男女のメロドラマかな?」と思っていたけれど、まさか××な話だったとは――この××が語れないのが口惜しい。
読書メーターの感想を目にする限り、この一篇もすごく人気のあるようで、「確かに面白いよねー」とニヤニヤしてしまった。
三位 さもなくば海は牡蠣でいっぱいに
F&O自転車店は、かつてファードとオスカーという二人の男が共同経営していたが、現在はオスカーの一人だけである。客にファードはどうしたのかと尋ねられたオスカーは、その理由を話し始めた。
……すべてのきっかけは、オスカーの女好きと、ファードが好きな自然についての本と、勝手に増減する安全ピンだった。
タイトルだけは知っていて、ずっとずっと読みたかった一編。
発想の奇抜さが目を引くが、ヒューゴー短篇賞を受賞した力作でもある。
このタイトルから、こんな話が展開されるなんて、そうそう考え付かないだろう。ちなみに、タイトルの由来はシャーロック・ホームズの台詞かららしい。
白黒はっきりさせていない、様々な想像力の余地があるラストもまたお気に入りである。
四位 パルシャーニー大尉
両親のいない孤独な少年・ジミーの元に、キャディラックに乗った軍服を着た父親・トンプソン少佐が現れた。普段は学校中から嘘つき呼ばわりされていたジミーも、自分が知らなかった立派な父親の存在に鼻が高い。
トンプソン少佐とともにニューヨークへ行き、買い物やクルーズを楽しむジミー。しかし、実はトンプソン少佐は彼の父親ではなかった。
ずっと田舎町でひとりぼっちで、寂しい思いをし続けていた少年の夢が叶うお話。
序盤の方で、トンプソン少佐が父親ではないことは示されているけれど、彼の視点になった瞬間にその正体が分かる構造にははっとさせられる。
この短編集の収録作では、珍しくロマンチックな余韻に浸れる一編だという事は、特筆すべきだろう。
また、こちらもタイトルの付け方が理想的だった。
五位 眺めのいい静かな部屋
老人ホームの屋根裏に住むリチャード氏は、深夜に鐘の音がきっかけで騒ぎだす同室たちに毎晩困らされている。しかも、老人ホームは満員のため、簡単に別室へは引っ越せない。
昼間、リチャード氏は同じ老人ホームの住民たちに囲まれて、傭兵時代のエピソードを話していた。すると、突然同席していたハモンド氏が彼のことを「人殺し」だと糾弾し始めた。
序盤はお爺さんたちの行動に笑ってしまっていたけれど、終盤はぞわっと嫌な汗を掻いてしまう作品。特に、ラストの一文が良い。
こんなことを書いてしまえば、読んだ人の驚きが半分になってしまうとは分かっているけれど、構成が素晴らしくって、紹介せずにはいられなかった。
一人のお爺さんに、人間の色んな部分が詰め込まれていて、それが短い文字数で描き込まれている。
解釈によっては、タイトルの「眺めのいい静かな部屋」も二通りの意味がありそうで、そこでまたぞくりとした。
……以上、五位までのランキングを紹介したけれど、正直ちょっと足りない感があるというか、元々は全編紹介したいと思っていたけれど、文字数と時間がとんでもないことになりそうだから、省略しただけで語り足りないというか……
しかし、読んでいない人にネタバレせずに紹介するというのは中々難しい。特に数ページで終わってしまう短篇は、どう作品の肝を隠すかで悩んでしまった。
これで、『どんがらがん』の面白さがちょっとでも伝われば幸いである。
まあ、もっとわかりやすく言えば、星新一が好きな人はきっと好きだと思う。……これ、『「また会いに来たよ」』でも言ったな。
で、私はもっとデイヴィッドスンの小説を読みたい! と思ったが、あんまり翻訳作品が無いらしい。
何でも、デイヴィッドスンの英語は「悪文」と言われるくらいに読みにくいとか。私は日本語で読んでいて、そうは感じなく、むしろ読みやすかったので、翻訳者の皆さまには感謝したい。
もっと読みたいから、本格的に英語を勉強して、原文を読んでみようかなーとか考えてしまうほど面白かった。流石に思いとどまったが。
しかし、デイヴィッドスンは『エラリー・クイーン』シリーズでも作品を書いているというので、そこも出来ればチェックしてみたいなと、思って所存である。
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