第17話 『地獄変』と出会って十年以上


 もしも誰かに、「一番好きな小説は?」と尋ねられたら、TPOを無視して、「芥川の『地獄変』です」と答える。

 それくらいに、私は『地獄変』が好きだ。好きな本ランキング、堂々の殿堂入りだ。


 初めて読んだのは中学生の頃、赤城かん子さんが編集したホラーセレクションシリーズの『サイコ』という巻に収録されていた『地獄変』だった。

 これはティーンズ向けに、ホラー小説や漫画を集めたオムニバスシリーズで、『サイコ』には『地獄変』以外に『屋根裏の散歩者』と『番町皿屋敷』が入っていた。今見ても癖の強いラインナップだ。


 芥川龍之介は、『蜘蛛の糸』くらいしか読んだことのない私には、『地獄変』はかなり衝撃的だった。

 主人公ではない「私」による語りも物珍しかったし、何より父親が燃えている娘の絵を描くという物語の筋がショッキングだった。

 ホラー初心者には、中々ハード目のパンチだったが、それでも忘れられない読書体験となった。


 高校生の頃、古典の授業で『宇治拾遺物語』の「絵仏師良秀」を習った。

 このを元ネタにして書かれたのが、芥川の『地獄変』だと、国語の先生は『地獄変』を全編印刷されたプリントを私たちに配った。これを読んで、感想に書くようにというのが、宿題として出された。


 どんな感想を描いたのか、今では思い出すことが出来ないが、クラスの中で、いや学年の中で一番この宿題にノリノリだったのが、私だと思う。

 一度読んだことがあるという事もあり、一番文字数を書いた気がする。先生がみんなの感想を一枚のプリントにまとめて配ったので。


 この頃にはもう、「私、『地獄変』、好きー!」という気持ちが膨れ上がっていて、止めどなくて、とうとう、三年生の読書感想画の題材にした。

 絵はそれほど得意ではなかったけれど、溢れ出るパッションで燃え盛る牛車を描き、区大会に入賞していたはずだ。うろ覚えだけど。今、現物が手元にないけど。


 大学では、日本の近現代文学を専攻した。

 偉大なる先生方に学び、四年間の集大成、卒業論文で私が選んだ題材は、『地獄変』だった。


 正直、浮気もした。

 芥川賞作品を全部読んで比較するとか、ジョジョにハマり過ぎていて、「吉良吉影に見るフィクションの殺人鬼とかもいいなぁ」と思ったこともあったけれど、結局私が行き着いたのは、『地獄変』だった。


 しかし、好きで読むのと研究対象として読むのとでは、全く次元が違った。

 私はたくさん読んだ。卒論のために芥川全集を買って、芥川の小説作品をすべて読んだこともあったけれど、やはりそれ以上に『地獄変』を読んだ。読者リーダーズハイになりながら読んだ。


 この半生で一番読んだ時期だけれども、『地獄変』嫌いにはならなかった。

 むしろどんどん好きになった。読めば読むほど、新たな発見がある作品だった。『芋粥』の五位のようにはならなかったのだ(芥川ジョーク)。


 苦痛だったのは、他の『地獄変』の評論を読むことだった。

 私は『地獄変』が描かれた当時の背景などの社会的な部分を知りたかったのに、『地獄変』の評論は「芸術か、親子愛か」という部分に集中していて、一番知りたいことは自分で探すしかなかった。


 『地獄変』は有名作品であるためか、様々な評論があった。それこそ、玉石混合である。

 だから、若輩者の私でも、「何言ってんだおめぇ!」と言いたくなるような論もあった、ぶっちゃけ。


 そして、知りたいことを知るために、私は労力を惜しまなかった。

 あと、睡眠時間とお金も。


 『地獄変』が新聞連載作品だったので、国会図書館に行って、当時の新聞を印刷して、分析した。

 『地獄変』が連載中は、第一次世界大戦の真っ最中だったのでえ、その辺の戦史も調べた。ここら辺は、戦争の話が苦手な私にはかなり苦痛だった。


 また、当時の芸術活動、キュビズムがどう女性を描いてきたのかとか、日本人にとっての「地獄」とは何か、などなどもたくさん書籍を買って調べていった。

 あの頃学んだことは、悲しいことに大体忘れてしまったけれど、勉強は苦しくても楽しかったことは強く覚えている。


 卒論は無事に完成して、その後に私は卒業した。

 大学で学んだことはたくさんあるけれど、やはり自分で調べてまとめた卒論のことが、私の創作活動の根幹になっていると思う。


 そして何より、このエッセイを書き終わろうとしている今、私はまた、『地獄変』を読みたくなっている。

 私は一生、『地獄変』を好きでいるのだろう。

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