第4話 私は負けない

地鳴りのような音がする方向をみれば、夕闇に薄っすらと左右に広がっている土煙が見える。それが音を立てて、こちらに向かってくるのが判る。


あれは何? バーストと聞きはしたものの、そう思わずにはいられない。


広場にいた200人ばかりの村人達は、全てを悟って一斉に逃げまどっている。


森林バースト


16歳であるアンも知識としては、薄っすらと知っている。様々な理由で、森に棲む魔獣や魔物をはじめとした生き物達が一斉に移動を開始し始める事だ。その理由は、いろいろある。例えば山火事に追われたとか、突出して強力な魔物が出現して追い立てられたとか、あるいは部族を率いた魔物が食料などの調達に困り、恣意的に森を出て人間たちに攻撃を仕掛ける場合もある。理由によって、規模もさまざま。


いけない、みんなを守らなければ!


「みんな、女や子供は高台の礼拝堂に避難して! 」


アンの頭の回転は速い。散り散りに逃げては蹂躙されるだけだ。弱い者は最も安全な一か所に固まり、そこを戦えるもので守るのが一番いい。


一瞬のうちに、彼女はそう判断していた。


「アリエル?! あなたも逃げなさい! 逃げて! 」


数少ない理解者である幼馴染の少女にも、そう言い放つ。


(あとは…… )


御付きに来ていた3人の騎士のひとりから無理矢理、剣を取り上げる。


「これは私が使うわ! 」


理不尽な主人の言いようではあったが、次の言葉に彼は安堵した。


「その代りにあなたは、お父様に伝令に走って! 」


言いながら邪魔なドレスに剣を突き立てると引きちぎり、両足を動かしやすいようにまとめる。


「お前達、早くしなさい! 」


皆、一斉に動き出してはいるが、逃げるか残るか、迷いを残すものは多い。


駄目だ、駄目かもしれない。一瞬、そう思う。けれども自分はこの村を任されているのだ。


「女や子供は高台の礼拝堂に、走りなさい! 」


礼拝堂は石造りで周囲に壁もある。そこまで辿り着く事が出来ればあるいは助かるかもしれない。


そう、助かるしれない、そんなレベルだ。


「早く、早く! 」


しばらくしてアンは周囲を見回す。戦いに参加しようというものなど皆無だった。そもそも今夜の収穫祭に武器を持ってきているものは少ない。アンでさえ帯剣していなかったのだ。


だが、不思議と皆を恨む気持ちは無かった。


「それでも、私は、負けない! 」


両手で握った剣が炎を纏う。アンの薄赤い肩まである髪の毛が逆立つ。


傍らでは、人気ひとけがいなくなった中、未だキャンプファイヤーの火が音を立てて燃え盛っていた。


それに負けない程の炎を彼女の剣は紡ぎ出す。


現れたのは、横一列に広がった角猪ホーンボアとそれに跨る子鬼ゴブリン達だった。子鬼ゴブリン達が一斉に角猪ホーンボアから後方に飛び降りる。それと同時に角猪ホーンボア達はアン目がけて突撃を開始した。その後ろから、小鬼ゴブリン達も声をあげながら走り寄ってくる。


Grararararararagya!!


気味の悪い雄たけびが夜空に響き渡る。


「えいりゃああああああ! 」


負けじと彼女も叫び返すと、間近にせまった角猪ホーンボアの群れに炎の剣を薙いだ。いくつかの火球が剣から飛び出すと、数頭の角猪ホーンボアが弾け飛び宙に舞う。


だが、それは全体の一部だった。


「それ以上、行っては駄目ぇ!! 」


声の最後は裏返っている。


叫びながら又、炎の剣が振るわれ、数頭の角猪ホーンボアが消し飛んだ。


「あっ…… 」


駄目だ、自分一人ではどうしようもない。既に何頭かの角猪ホーンボアが彼女の横をすり抜けている。それどころか、続けて子鬼ゴブリン達の群れも迫っていた。


「私は、負けない! 」


脇をすり抜けるもの達を気にしている暇はない。次から次へと新手がくるのだ。今度は群がり寄る子鬼ゴブリン達に向かって勢いよく剣を振るう。


たちまち数匹の子鬼ゴブリンが消し飛ばされた。


PuoOOOOOOOooo!


やがて一際大きな小鬼ゴブリンの個体が角笛を吹き鳴らし、現れたのは数頭の銀狼シルバーウルフだ。


その存在を確認した時、彼女の心は折れそうになって、思わず瞳に涙がにじむ。


Gahyahyahyahya!


彼女の使う炎の剣にひるむことも無く向かってくる小鬼ゴブリン達。


(駄目……)


干し草を持ち上げるピッチフォークのようなものに髪の毛を取られ、バランスを崩したところを棍棒で殴られ、振るおうとした剣を持つ片手に銀狼シルバーウルフが噛みついた。


激痛が走る。下半身に目をやると、片足にも銀狼シルバーウルフが牙を立てている。


(死んじゃう?! )


もはや仰向けに倒された彼女に群がる子鬼ゴブリン達。


「あっ、あああああ?! 」


仰向けに倒され、見上げれば、とうに陽は暮れており、満天の夜空が彼女の視界に入る。


「……あっ、流れ星…… 」


流れ星に祈りを込めれば助かるだろうか、もはやそんな状況でない事は明白であり、自分の身体がどうなっているのかさえ判らない。


痛い痛い痛い痛い痛い


「助けて…… 」


また目に入った流れ星は、それはやがて徐々に大きくなり、


「……助けて」


耳鳴りがする。振動がする。空気が震える。


Gigii Gugi?


異変を察知した子鬼ゴブリン達の活動がやむ。見上げる空が赤い。


そして、それは降ってきた。


巨大な音を立てて、空から十字の形をした真っ赤な塊がアンの足元後方に堕ちた瞬間、大地は揺れ、小鬼ゴブリン達は舞い上がる。


(えっ、……ええっ? )


堕ちた時に生じた風圧は、ぼろ屑のようにアンの身体を転がす。


「あっ……痛っ」


まだ生きている。自分に群がっていた子鬼ゴブリン達は飛ばされた後に一斉に跳ね起き、堕ちてきた真っ赤なそれに駆け寄ると、奇声を上げながら周囲を回っているようだ。


(……逃げなきゃ…… )


片手片足の感覚が無い。身体がいうことをきかない。何故か思考だけがはっきりしていて頭の中で渦巻いている感じだ。


(……逃げな……きゃ…… )


地面に突き刺さった真っ赤な逆十字から、やがて真っ白な水蒸気が周囲に吹き出される。熱く焼けた塊は急激に冷まされ、あちこちひび割れているようだ。


(……逃げ…… )

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