第2話 もうひとりのアン

アン・ベルフィット・ローゼンバーグは伯爵家の末娘として生まれた。生来、癇癪かんしゃく持ちで気が強く、6歳の時には剣術を始め、12歳の頃には二人の兄を叩きのめすくらいの腕になっていた。


薄赤いクセのある髪の毛、淡い碧色をした瞳にはいつも生気が宿り、馬を乗りまわす事もしばしば。健康的な肌は室内に籠ることなど皆無である事を示している。そのうえ頭の回転も速く学習能力も優秀で、14歳で魔法を行使できる兆候も表れたとあっては、増長しない訳がない。


「父上、私が家を継いでもよいですか?! 」


本人は至って大真面目なのだが、それを聞いた父親のサスローは苦り切った声でこう言った。


「アン、お前に足りないのは統治者としての自覚と協調性だ。しもの村を一つ任せるから、自分で統治してみなさい」


体のいい厄介払いであったが、アンは勇躍して家を出た。アンが16歳の時である。本来、16歳と言えば成人してお嫁に行ってもおかしくない年齢なのだが、彼女にその気はさらさらない。何となれば、優秀とされる二人の兄でさえ、剣術や魔法において彼女の足元にも及ばないのだ。


窮屈なドレスに身を通す事も無く、服装は肌着に真っ赤なサーコートを引っ掛け、下半身はキュロットパンツに見える膝上までのキルト。膝下に厚手のキルティングというラフな、いで立ちである。サーコート正面には、ご丁寧にローゼンバーグ家の紋章である向かい合う二匹の蛇が描かれている。


彼女には何かが欠けていた、……のかもしれない。母親は早くに他界し、頼れる人間が自分以外は同じ乳母の元で育ち、同じ年齢であるアリエルしかいなかったし、一応は彼女の配下として付けられていた騎士達も3名いたのだが、誰も彼女の能力に敵わなかった事も影響していた、主に膂力りょりょくで。どういう訳か、彼女の腕の力は成人の倍以上あり、にもかかわらず見た目は16歳の少女なのであった。


彼女に与えられた村の名前は「カッスルの丘の村」という。戸数にして100に満たない小さな村である。サスロー伯爵家の領地の南に位置し、深淵の森と呼ばれる外縁部に近い静かな農村で、主に木材と狩猟と牧畜で成り立っているような村だった。


そこにある伯爵家の別宅を拠点に、彼女の村経営は始まったのだが……


意外な事に村人の評判はよく、瞬く間に彼女は村人の心を掴んでしまったのである。


「今日は私も狩りに出るわよ?! 」


もはや側に誰も彼女を止める者はいない。育て親の乳母の娘で幼馴染であるアリエルが彼女に付いていたものの、性格はアンと正反対のおとなしさで、とても彼女のブレーキ役は務まりそうになかった。


彼女のやり方は領地経営という面で言えば、およそ褒められたものではなかったのだが、村の立地が領土外縁部に近く、漏れ出したモンスターによる羊や牛の被害もそこそこあった事が逆に幸いした。


南に角猪ホーンボアが出たと聞いては飛んでいき、東に子鬼ゴブリンが現れたと聞いては先頭に立って排除した。領主の娘が、胸に家紋を記したサーコートをはためかせて先頭に立って村人を守るその姿が賞賛されない訳がない。


「やったわ! 」


ここに来て、皮肉な事に彼女の生来の癇癪かんしゃく持ちも収まりつつあった。イライラとして当たり散らす捌け口が出来たからかもしれない。毎日、村人たちの誰かが収穫物や毛皮を持ち寄っては彼女の別宅に置いていく。


「お嬢様、村長より、明日の収穫祭では是非とも皆に言葉を賜りたいとの申し出が来ておりますよ? 」


幼い頃より彼女に寄り添ってきたアリエルの言葉だけには耳を傾けるアンである。


「そう。それは是非とも行かなくてはならないわね」


年に一度の収穫祭は村ごとに開かれ、ここアンのいる「カッスルの丘の村」でも例外なく行われる。


この日ばかりは村人たちは老若男女を問わず村の広場に集まり、酒を解禁してキャンプファイヤーの周りで踊り騒ぐのだ。若者にとっては自分の伴侶を見つけることができるいい機会でもある。


「明日はきちんと正装なされませ」


「……そうね」


窮屈なドレスは着慣れなかったが、これも村の統治に必要となれば我慢する気にもなれる。一年に一度の大切な行事でもあるし、それを成功させることは父に自分を認めさせることにもつながるだろう、と彼女の中ではなっていた。


そして収穫祭当日


陽は徐々に傾き、それにつれて村の広場には徐々に村人たちが集まってくる。中央のキャンプファイヤーに点火される頃には200人近くの村人たちが参集していた。


「みんなー? いつもいつも、ご苦労様。父に代わって私からお礼を言わせてもらうわ! 」


特設された台の上で彼女が村人に向かって大声で叫ぶと、


とんでもねー! 

いつもいつもありがとよ、姫さん!


既に酒が入っているのか、あちこちから反芻がかえってくる。


「みんなのおかげで、収穫祭を迎えられて、アンもうれしく思います! さあ、飲んで食べて歌って今夜はやっちゃって頂戴! 」


乾杯ー!!

おおー!!


月並みな挨拶もアンが言うと華になるのは何故か。今日はいつもと違って白のドレスを纏っているせいかもしれない。


アンは上機嫌だった。


「これでお父様も…… 」


早くも木陰でいちゃつき始めているカップルもいたが、アンの目には止まらない。そもそも今まで自分より強い男に出会った事すらないせいもあったのだが、彼らがという理解に及ばないのだ。そう言う面を手ほどきする人間がいなかったし、今まで興味が湧いた事もない。どころか、彼女に近付こうとする勇者などいなかった。


今はとにかく彼女にとっては、村人たちが幸せそうに時間を過ごしている事がうれしかったのだ。


やがて、くぐもった音が聞こえる。


「何かしら? 」


大地が鳴っている気がする。いや気のせいじゃない。


(これは何? )


騒いでいた村人たちも、いつの間にか動きを止め、聞き耳を立てている。

やがて、ひとりの年配の村人が叫んだ。


「バーストだ! 」


「森がバーストするぞー?! 」


そのような怒声を合図に、広場のあちこちで悲鳴が上がった。


(バースト? 何? ) 


何かの本で読んだことがある。


しまった……今日は剣を持ってきてない!


その時、森が溢れた。


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