十二章 きみと最後の思い出を

 その日〈死神グリム・リーパー〉は、宇曽蕗うそぶき市をはなれた。

 目的地は隣市、せん市、仙緒グランドパーク。茜音が行ってみたいとせがんだ遊園地だった。


 今、二人はとなり合って電車にられている。

 そのせまい箱の中は、抑圧的で無関心に満ちている。誰もが心をくした人形のごとくスマホを見下ろしている。若い男女も、スーツ姿の中年も、つえを投げだして座る老婆ろうばも。

 普段ふだんは口数の多い茜音でさえも。


 だから腕を組んで黙然もくねん虚空こくうを見つめる〈死神グリム・リーパー〉のような人間のほうが稀有けうで。

 隣の車両からアイコンタクトを送ってくる〈紫煙スモーカー〉は、どうやらお前もスマホをいじれと示唆しさしているようだった。


 そう〈紫煙スモーカー〉だ。

 このデートには随伴者ずいはんしゃがいる。

 くわえて現地には、危急の際に対応できるよう、仙緒管轄の〈虚無エンプティ〉たちが待機済みだ。〈自我エゴ〉という未知数の存在イレギュラーに、白犬ホワイト・ドッグが光らせる警戒の目である。


死神グリム・リーパー〉は微かな吐息をもらす。

 すると、茜音がスマホから顔をあげた。


「どうかしたの?」

「いや、べつに。ちょっと緊張きんちょうしてるのかな。遊園地とか初めてだし」

「へぇ、初めてなんだ。男の子はあんま行かないのかな? あたしも仙パは初めてだけど、きっと楽しいよ」

「もちろん、楽しみにはしてる」

「よかったぁ。絶叫系とか大丈夫?」

「どうだろ。乗ったことないから」

「あ、そっか。怖かったら抱きついてきてもいいよ?」


 芝居しばいがかった悪戯いたずらな笑み。

死神グリム・リーパー〉はあえて、彼本来の表情で返した。


遠慮えんりょしとく」

「おぉい。もっとれたりしなさいよ、若いの」

「九条さんも若いよ」

「ピチピチのJKだからねぇ」


 何故か茜音が気分を良くしたところで、車内アナウンスがある。次の駅が目的地だ。下車後五分も歩けば仙緒グランドパークに辿り着く。

 刻々こくこくと流れゆく時を感じながら〈死神グリム・リーパー〉は、これからについて考える。どんなアトラクションに乗ろうか、茜音にどんな言葉をかけるべきか。そんなことではない。


 あとどれだけ茜音とともにいられるかだ。


 報告書を欺瞞ぎまんするのも、いよいよ限界だった。決定的な要因よういんがない限り、じきに監視任務は打ち切られるだろう。

 そして〈死神グリム・リーパー〉は、彼女が〈自我エゴ〉である事実を最後までかくしとおし、彼女を日常のなかへかえすつもりだった。


 運命に翻弄ほんろうされた二人には、そう遠くない未来、束の間の夢からめるときが来る。


 ゆえに今日この日が。

 感情めいた錯覚さっかくに振り回された〈虚無エンプティ〉の、最後の夢である。


――


「ねぇねぇ永田くん! まずはあれに乗ろっ!」


 到着するなり茜音はとび跳ね、螺旋らせんをえがくレールを指さした。芋虫のようにたよりない車体が上にも下にもめぐり、絶叫は左から右へと流れていく。


「え、いきなりあれ?」


 遊園地は初めてだが、あれがいの一番に体験する乗り物のようには思えなかった。メリーゴーランドやコーヒーカップでおだやかに回る人々を一瞥いちべつすれば尚更だ。

 そこに茜音の挑発的な笑み割りこんでくる。


「あ、もしかのもしかで、ビビっちゃった?」

「いや、そんなことはないけど」

「ホントかなぁ? ひざ笑ってない?」

「笑ってない。九条さんこそ、最初があれでいいの?」

「いいのいいの! 五回くらい乗るから!」

「頭どうにかなっちゃいそうだけど……」

「大丈夫、あたしもうバカだから! 一緒にバカになろうぜ!」


 親指をたてる茜音。

 バカになるとかならないとか、そういう話ではない気がするが。

 まあ、せっかくここまで来たのだ。多少の無茶には目をつむってやろう。


「わかった。バカに付き合ってあげるよ」

「ちょっと、言い方ぁ!」


 むすっとほおふくらませてから、しかし茜音は吹きだした。腕をバンバンたたかれる。意外に力が強い。随分ずいぶんはしゃいでいるようだ。


死神グリム・リーパー〉には、その気持ちが分からない。茜音といることで心身の弛緩する感覚かんかくはある。だが、この状況じょうきょうを楽しんでいるわけではない。


 ジェットコースターに乗れば、わかるだろうか。


死神グリム・リーパー〉はいつの間にか、感情をもとめ始めていた。感情さえ理解できたなら、もっと茜音を知ることができるような気がしたから。


「ほら、永田くんいそいで!」


 急かされるまま、足をはやめる。

 スキップなのに速い。

 なんとか並ぶと、茜音は、突然とつぜんひたいを叩いて立ちどまった。


「あっちゃー」

「あー、並んでるね」


 ジェットコースターの乗り場には長い行列ぎょうれつができている。待ち時間を見れば「一時間」とあった。


「どうする、並ぶ?」

「うーん、あとで来たらってたりしないかなぁ。それともかえってえちゃうかなぁ」

「どうかなぁ。でも、やっぱり最初からジェットコースターじゃなくてもいいんじゃない?」

「うむ。では、ここは永田くんにまかせよう」

「え、うん……」


 まずい。押しつけられた。


死神グリム・リーパー〉はアトラクションの詳細しょうさいを知らない。マップを確認してみても解説があるわけでなく、いまいちどのような乗り物なのかわからないものが多かった。

 だから彼の決断はこうだ。


「……あれはどう?」


 目に入ったものをとりあえず指さし、確認をとること。

 すると茜音は、一瞬、きょを衝かれたように立ちくした。

死神グリム・リーパー〉は身構えた。


 ……失敗したか。


 指さした先にあるのは、ずんぐりとしたとうのようなアトラクションだ。その表面を今、むき出しのゴンドラが上昇し、利用者の声がざわざわと降り注ぐところだった。


 様子がおかしい。拷問ごうもんか?


 怪訝けげんに目をほそめたときだった。

 茜音がふいにケラケラと腹をかかえて笑い出したのは。


「なんだよ、永田くん! 結局けっきょく、絶叫系じゃん! ウケる!」


 まなじりに涙まで浮かべ腹をよじる茜音。どうやら選択肢を誤ったらしい。

 間もなく答え合わせだ。

 塔のいただきに達したゴンドラが、


「「「ワアアアアアアアアアアアアアッ!」」」


 急降下きゅうこうかした。

死神グリム・リーパー〉はおもむろに目をせる。


 なるほど。こういうアトラクションか……。


「やっぱ……やめとこうか」

「いや、いいよ、乗ろう! ドロップタワーも楽しいよ! めちゃ刺激しげき的!」


 どうやら茜音にとっては刺激、すなわち楽しいということらしい。

 ジェットコースターも、あのドロップタワーとかいうのも刺激的なのは間違いなさそうだ。茜音理論からすれば、めちゃ楽しいのだろう。


「とにかく行こ! 行列できる前にれっつらゴー!」

「う、うん」


 茜音はよほどいあがっているのか、躊躇ちゅうちょなくクラスメイトの手をとりけだした。


 そのやわく微かに汗ばんだ感触。


死神グリム・リーパー〉の胸の奥で、ボッとねつきだす。

 それが好い感情なのか、悪い感情なのかは判然はんぜんとしない。皮膚の裏側が、むずむずとこそばゆくなるような感じはするものの。拒絶する気にはなれない。


 さいわい、ドロップタワーの列は短かった。すぐに順番が来るだろう。そのわずかな間、茜音はまだ手をにぎっていた。

 つと、つながったそれを見て彼女が苦笑くしょうする。


じつはさ、絶叫系って、乗るまですっごくこわいんだよね。乗ってからは楽しいんだけど。だから……もう少しだけこうしてていい?」


 見上げる双眸そうぼう。猫のように大きく丸く。うるんだ表面が光をはじく。


「うん。俺も初めてだから不安」

「大丈夫、きっと大丈夫。乗ったらマジで楽しいからっ」


 なぜかこちらがはげまされる形になっている。

 自然と苦笑がこぼれていた。


 そこへアトラクションを終えた人々がりてくる。

 満面まんめんに笑みをかべ「コワかったぁ」と言う者もあれば、げっそりとして「トイレ……」と鳩尾みぞおちを押さえる者もいた。

 同じ体験をして、こんなにも受け止め方が違うものかと〈死神グリム・リーパー〉は首をかしげた。


「よっしゃ来たきたー!」


 しかし期待きたいは湧かなかった。茜音のような昂揚こうようもない。

 いざゴンドラに腰かけ安全バーが下ろされても、胸中きょうちゅうは凪いでいた。


 係員からの激励げきれいの挨拶。

 その時、茜音の手がつながれていない事に気付きづく。

 てつのように固まった心が、ふいに融解ゆうかいする。

 かたわらに感じる彼女の存在ばかり胸のおくにあつかった。


 ああ、風がいている。

 それなのに、何も聞こえない。


 視界が、無機質むきしつにゆっくりと上がっていく。

 地上が遠く、人々が小さい。景色けしきが広い。


 その様を。

 スクリーン越しの映像のようにしか体験できない。


 これが化け物とは違う、幸福に生きる人々の見る情景じょうけいか。


 風はかわいていく。喉の奥の、さらに奥のほうにみてくる。

 なおもゴンドラは上昇し、地上はパノラマのようになる。


「さあ、来るよ……!」


 隣から声。茜音の声。

 緩やかに動きを止めようとする世界。天にとどまろうとする視界。


 それが、


「きゃああああああぁぁあああぁぁぁッ!」


 急速きゅうそくに地へといこまれた。

 重力のもたらす万の糸が、人々の居場所を地上へかえし。


 急制動きゅうせいどう

 ふいに首根っこをつかまれたように、浮遊感が下から上へつきける。


 それが三度もくり返された。

 にもかかわらず、一瞬だった。

 絶叫した彼女の横顔よこがおを一瞥するもない。

 呆気あっけない刹那せつなの出来事。


 感慨かんがい深いものはない。よろこびも恐怖も。

 ただ天から地へ下った感覚が、胃の底で綿を作るのが分かるばかりだ。


虚無エンプティ〉。

死神グリム・リーパー〉は、その名の意味を改めて理解する。


「ヤッバ、楽しかったぁ!」


 満面の笑みを向ける、彼女と向かい合いながら。

 人間でなくなってしまった自分が、彼女とおなじ気持ちを味わうことはできないのだと思い知る。


 俺は何者でもない。


「すっごいね、これ……。怖かったけど、楽しかったよ」


 でも、笑う。

 今、被るべき仮面で。

 茜音からは、本物の微笑が返ってくる。


「平気そうだね。じゃあ、つぎ行こっか!」

「うん、今度は九条さんの乗りたいやつ乗ろう」

「オッケー。まっかせっなさーい!」


 それから〈死神グリム・リーパー〉は、茜音にみちびかれるまま、様々なアトラクションを体験した。ほとんどが彼女の言う絶叫系だった。娯楽ごらくというより、やはり拷問じみていた。こんなものに乗り続けていたら、そのうち血がこごって死にそうだ。


 そんな体験だった。

 楽しさなど微塵みじんも感じられなかった。知ることはできなかった。比較ひかくする亢進こうしんもなかった。


 それなのに、はしゃぐ茜音の姿すがたの当たりにするたび、はっきりと心が動く。胸がめつけられるようにちぢみ、どくどくとはげしく脈打つのが分かる。


「ほらほら、次行くよー!」


 知りたい。

 もっと知りたい。


 この感情はなんだ? なんと名付けられている?

 九条さん、君も……俺とおなじ気持ちを感じるのか?


 知りたい。

 けれど、きっと永遠えいえんに知ることはできない。

 問いかけることさえも。


「俺は……」


 どうしてしまったんだ。

 解らない。

 どうして感情とは、こんなにも複雑ふくざつで自分をくるわせるのか。

 あんじるように、こちらを覗きこんでくる君の眼差しが、なぜこんなにも熱いのか。


「永田くん、つかれちゃった? ちょっとやすむ?」


死神グリム・リーパー〉はひたいを押さえ弱々しく笑う。


「いやぁ、そうみたい。ちょっとだけ休もうかな」

「わ、わかった。大丈夫……?」


 茜音はあたふたと判りやすく狼狽うろたえた。


「大丈夫、全然。体調悪いとかじゃないから。ちょっとアイスでも食べたいなって」

「え、アイス? あたし買ってくるよ!」

「いや、いいよ。一緒に行こう」

「あ……うん」


 ハッとしたように目を逸らす茜音。

 うつむいた首許の、白いうなじがまぶしかった。

 二人そろってアイスの列に並ぶ。財布さいふをとり出した茜音が、おもむろに見上げてくる。


「永田くんは、なに食べたいの?」

「実は何でもいいんだよね。普通のソフトクリームでいいかなって」

「バニラ?」

「うん。九条さんはあるの?」

「もちろん!」

「あ、わかった。チョコミントだ」

「おっ、正解せいかい! 正解者に一茜音ちゃんポイント!」

「なにそれ、あんまうれしくない……」

「おいぃ!」


 くだらない会話ほど、すぐに過去かこになっていく。

 いつの間にか二人の手許には、バニラのソフトクリーム、チョコミントのカップアイスがあった。


 ちょうどカップルのはなれた二人用のベンチに、隣り合って腰かけた。

 ひじが触れる。近い。

死神グリム・リーパー〉は胸のざわつきを殺すように、ソフトクリームへ唇を近づける。

 すると隣から「あ、ちょっと欲しい!」とスプーンがはじをさらっていった。

 見れば茜音は、スプーンを口のなかへ突っこんで、頬をゆるませている。「おいひい」と感嘆かんたんがもれる。


「永田くんも、あたしの食べていいよ?」


 差しだされるカップ。中にはチョコチップを含んだ緑のアイス。

 しかし〈死神グリム・リーパー〉の手許にスプーンはない。にぎられているのはコーンだ。

 それに気付いた茜音が、ぱちくりとまたたいて「ああっ!」とわめいた。


「ごご、ごめんね! スプーンないんだった、マジで忘れてた、ごめん!」

「いや、そんなあやまらなくても。べつに気にしてないよ」


 苦笑。茜音のリアクションは、たいてい大仰おおぎょうだ。


「じゃ、じゃあ、あたしの使う……?」


 へなへなと笑みを浮かべ、恐るおそる差しだされるスプーン。

死神グリム・リーパー〉は無意識に、それと彼女の唇とを見比べた。

 奇妙きみょうな沈黙が落ちる。それが長引くぶんだけ、二人の間にわだかまるものが膨れあがっていく。

 とっさに笑みでつくろった。


「ありがと、気持ちだけ受け取っとく。でも俺、チョコミントそんなに好きじゃないし……」

「ああっ! また歯磨き粉の話すんの!」


 わざとらしくまゆをしかめる茜音。その端々はしばしに、裏腹うらはらな感情がにじむのを見る。


「そ、そういうんじゃないから」

「いいよ! あとで欲しくなっても、絶対分けてあげないから!」


 大きな口をあけて、緑のかたまりほうりこむ。

 咀嚼そしゃくして、


「っつー……!」


 こめかみを押さえうめいた。


「大丈夫?」

「永田くんが変なこと言うからぁ……!」

「えぇ……」


 ぷりぷりする茜音を横目に見ながら〈死神グリム・リーパー〉もけないうちにソフトクリームをめた。甘い。ほんのりと、鼻腔びこうを抜けるミルクのかおり。

 これが美味おいしいということなのか。やはり実感じっかんは湧かない。


「……いつもむずかしい顔してるよね」


 その時、ふいに哀しげな声が鼓膜こまくいた。

 一瞬、誰のことを言っているのか解らなかった。

死神グリム・リーパー〉は首を傾げようとして、真っ直ぐ向けられた視線に意味を知った。


「そんなことないよ。俺なんか、ほとんど何も考えてないし」

「だから笑わないの?」

「えっ……」


 胸をドンと突いた言葉。

 彼女へ返した笑みが、引きつるのを確かに感じた。


「ほらね。永田くんって、いつも心からは笑ってない。何かかくしてるみたいに。こんな事言うとおこるかもだけど、あたし、最初は永田くんのこと人形にんぎょうみたいだなぁって思ってた」

「……!」


死神グリム・リーパー〉は絶句ぜっくする。見抜かれていたという事実じじつにではない。

 胸にさる痛みの鮮烈さにだ。

 茜音は虚空こくうに視線をとばした。


「だから最初に相談そうだんしたんだよね、お母さんのこと。ちゃんとしたアドバイスなんてもらえないだろうけど、きっと心配とかもしないんだろうなぁ、変に気遣う必要ひつようとかないかなぁってさ」


 そんな理由だったのか。

 核心かくしんを隠していたのは、自分だけではなかったのか。

 胸のなかに、ぽかりと、大きなあなが開いたような気がする。

 けれど茜音は、何か熱いもののたぎった目で〈死神グリム・リーパー〉へとき直った。


「でも違った。永田くん、真剣しんけんいてくれて。あれ? って思ったの。人形なんかじゃないって。ちゃんとあたしの事見えてるんだって。おどろいて、安心して……だから」


 恐るおそる、僅かな彼我ひがを埋める指先が、クラスメイトのシャツのすそをつかむ。


 一方、目まぐるしく去来きょらいする衝撃に、〈死神グリム・リーパー〉は唇を湿すことさえできず。

 沈黙ちんもくを、茜音によって埋められた。


「永田くんのこと、もっと知りたいって思ったよ?」

「え……」


 首筋くびすじに、すずやかな風が吹きぬける。ゆっくりと胸にまでめぐっていく。

 いたみにしみることはない。

 むしろ、痛みはもうどこにもない。

 ただ熱いものだけがこみ上げて。

 言葉にならない。


「俺は……」


 この感情を、なんと言いあらわせばいいだろう。なんと解き放ってしまうのが正しいのだろう。

 解らない。何度考えてみても。解らない。

 だから〈死神グリム・リーパー〉は、ただ率直に告げた。


「知りたいんだ、この気持ちを」


 と。


 とても目など合わせていられず、うつむいて。

 ますます彼女を理解できなくて。


 先とことなる痛みが、こごえる風のように吹きつけてくる。

 それなのに、温かい手のひらが肩にのって――判らなくなる。

 驚いて見返せば茜音がいる。穏やかに微笑む彼女がいる。

 頬には人差し指の感触かんしょく


「へへっ、気持ちっておおげさだなぁ。でも、それが永田くんの本音ほんねなんだね」


 ニカリと笑う。

 悪戯な人さし指を引っこめて胸を叩いた。


「なら、茜音ちゃんに任せなさい! 知りたい事があるなら、なんでも教えてあげるから!」


 心によどんだものが、たちまちけて消えていく。

 広場に満ちた喧騒けんそう。有象無象の気配。

 何もかも消えて。


 あるのは自分と彼女の二人だけ。

 他には何も――。


 べちゃっ。


 と思っていたのに。

 世界は依然いぜんそこにあって。

死神グリム・リーパー〉はとっさに手許を見下ろした。


「……?」


 ソフトクリームがある。表面のとけたソフトクリームだ。

 だが、それが崩れて落ちたわけではない。


 では、さっきの音は――。


「え……」


 と考えだしたとき、隣から声がした。

 きりきりと、喉を万力まんりきで絞めあげられたような声だった。

 とっさに茜音の見る先をえば、そこに、


「ウソやん……」


 つきしろ西園寺さいおんじかおるが立っていた。


 その足許につぶれたソフトクリームがある。

 散らばったカラースプレーの混沌こんとん


「ち、ちがっ……。これはちがうんだよ、カオちゃん!」


 茜音が腰を浮かし釈明しゃくめいした。

 なにが違うのだろうと〈死神グリム・リーパー〉は思った。


 だが、それを差しはさむ余地よちはなく。

 嶺亜と〈死神グリム・リーパー〉がまったく違った意味合いから視線しせんを交わした。


 薫の両腕がわなわなとふるえだした。


「なにが違うんや……」


 声もまた憤激ふんげきに震えた。


「このクソビッチがっ!」


 そして、悪罵あくば咆哮ほうこうを轟かせた。

 茜音の手許からカップがこぼれ落ちた。

 悲惨ひさんな緑がさらされた。


「信じてたのに……」


 しかし頬に涙を伝わせたのは薫のほうだ。

 しずくがあごにまって、


「ゆるさん……!」


 こぼれ落ちる。

 を、蒸発じょうはつさせながら。

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