十一章 二度と戻れない夜
いつも誰かに生かされてきたような気がする。
母に
自分の選択を、いつも人に
「……」
いや、それは少し違うかもしれない。
選択してきたのは、あくまで自分だ。
ただ、ずっと周囲を言い訳にしてきただけで――。
薫の幸せのためには、こうするしかないのだと。
夜の公園で二人きり
選択授業でも隣へ
反面、
かつての満たされていた日々が、もう何年も昔のことのように
たびたび寄越される薫からの連絡も、今は虚しい。
文面だけで伝わる幸せそうな様子。
薫は大切な友達だ。大好きな友達だ。
初めて会った時から、この子とは親友になれる、と確信的な予感があった。
そして、その通りの今があり。
もっと幸せになって欲しいと思えるのに。
一方で。
誰も幸せにならなければいいと思ってしまう。
お母さんはあの人を
永田くんも、あたしだけを見ていてくれればいい。
カオちゃんとだって、前みたいに一緒にご飯が食べられたら――。
茜音は
どうすればよかったの……。
母の幸せを
「……ん」
枕元に
真っ先に浮かんだのは、母でも薫でも嶺亜でもなかった。
裕司だった。
いつかの約束を思い出さずにいられない。
今もし、電話をかけて「家出する」と言ったら、彼は来てくれるだろうか。夜の公園で共にブランコを
こんな事を
ふいに永田裕司の文字がひらめいて、八方ふさがりの世界から、自分をさらってくれはしないだろうか?
「バカみたい……」
ここは現実だ。恋愛小説や少女漫画の世界ではない。
ブブブブブ――。
だから実際にスマホが震えだしたとき、茜音は狐につままれたような心地がした。
恐るおそるスマホを
表示された名前に
とっさに
「……ッ」
その痛みがあまりに
奇跡の呼び声が消えてしまうのを恐れ。
「……も、もしもし?」
『あっ、もしもし』
永田くんだ……。
「……」
『……』
それでも沈黙に
やがて口をひらいたのは裕司だ。
『……よかった』
「え?」
『
奥歯に物が
原因を作ったのは自分だから。
薫を応援するにせよ、他にやり方があったはずだった。友達を幸せにするために、友達を傷つけてしまっては
そう、裕司の
「うん、あたしも話せていいなって、思う。あの、ごめんね、永田くん。なんか最近のあたし変だったよね。避けてるっていうか。……ううん、避けてたの。ごめんなさい」
『……』
すぐには返事がなかった。突然の謝罪に
ややあって
『ううん、大丈夫。また話せたから』
「それだけ……?」
『え?』
「だってほら、理由とか
『ああ、そっか。理由か……』
裕司は本当に今、そこに思い至ったようだった。
その
「理由はね、ごめん、どうしても話せないの。でも、やっぱりあたしが間違ってた」
『いいよ。理由も聞かない。今日はさ、その、べつに特別な用事があったわけじゃなくて……』
それもそうだろう。恋人でもない異性の友達。おまけに高校生同士。特別な用事などそうそうあるはずもない。
じゃあ、どうして――。
その
言ってしまったら、美しい
「家出したくなったんじゃなくて?」
『え、いや、家出するのは
「いやいや、べつにあたしのセンバイトッキョじゃないから!」
答えると裕司はハハと声をだして笑った。
それはとても
裕司の笑い声を聞いたのは、これが初めてかもしれない。微笑をはり付けたような好青年のくせに、決して声を出して笑わなかった。
だから嬉しかった。
一度は遠ざかってしまった裕司の、新たな一面を垣間見ることができて、なお。
「ホントは、あたし、永田くんと話したかった」
『……』
「でも、勇気でなくて。連絡できなかった。電話じゃなくても、いつでも話せたはずなのに。
『うん』
たった一つの
どうして、と思う。
けれど、考えてはいけない。考えだしたら、きっと、もっと苦しむことになるから。
今、この時。
『俺も、ずっと
裕司が
茜音は待つ。いつまでも待てるような気がした。
その先に続く、彼の言葉を知りたくてたまらなかったから。
そしてそれは、思わぬ形で告げられた。
『えっと、だから、今度ふたりで遊びに行かない?』
「え……」
はっきりと、はっきりと。
その瞬間。
胸が
思ってもない言葉だったから。
それは自分が
返答に
だけど、そう言ってしまったら。
大事な友達を。彼を好きなあの子を。
裏切ることになる。
薫の
欲望が
「……」
どちらを手にするべきか――。
どこにも見えない。確かにあるはずなのに、その瞬間たしかに、茜音は
「……いい、よ」
言ってしまってから
同時に
ずるい自分が
バレなきゃ大丈夫、と。
あとでまた応援してあげればいい、と。
茜音はその声に
『よかった』
裕司の声は
それが、いっそう胸を高鳴らせた。
スマホの明かりひとつが、ぽうと浮かび上がった寝室。
けれど電話口の向こうに。
裕司の存在だけが聞こえる。
まるでこの世にたった二人、
海へ戻る
互いの事しか知らず。
元いた場所を
茜音はすべての
母のことも薫のことも
裕司と交わす言葉の一つひとつが、この世界を形作る粒子だった。
他には何もなく、何も必要としなかった。
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