十八章 茜さす
大好きな友達がいた。
いつも
ハジメが他の友達とケンカをして落ち込んでいたら、彼女は持ち前の明るさを
毎日、学校へ行くのが
ハジメは
彼女の周りには、いつも誰かがいた。そして、誰もが笑っていた。たった一言、言葉を
中学年になると、別々のクラスになった。
それでも男女の
一方で。
彼女の
持ち前の明るさは、
ハジメは彼女を案じた。
なにか好からぬことが起きているのはすぐに判った。
ある時、ハジメは
「なにか
すると彼女はハッと
ハジメはすぐに、それを
ただただ嘘が痛かった。
そんな
やがてハジメは、問題を解決すべく動きだした。
学校からの帰り道。
彼女を
彼女は例の新しい友達と帰るようだった。男女混同、四人ひと塊となったグループだった。
ハジメは気付かれないように距離をとらなければならなかった。だから四人がどんな話をしているのかは
やがて四人は公園にたどり着く。仲良く遊ぶ、という雰囲気でないのは一目で知れた。
三人は薄ら笑いを浮かべると、彼女をとり囲んだ。正面に立ったのは、女の子だ。その女の子は、目があうなり彼女の髪を引っ掴んだ。残り二人の男の子は、それを合図としたように、彼女の肩や腹を殴りはじめた。
ハジメは短い悲鳴をあげた。
公園に伸びて
ハジメの心から血が噴きだした。氷の刃を突き立てられたような恐怖と怒りが
後先など考えられなかった。原始的な感情しかなかった。だから
「やめろぉ!」
腕を振りあげた男子を横から
「
震えた声は、きっと怒りより
それでも彼女のためなら、
「許さないぞ……!」
いつまででも立っていられるような気がした。
どんなに大きな相手でも。
どんなに強い相手でも。
それで自分が痛い目に
彼女のためなら
女の子が露骨な嘲笑を浮かべた。
それが自分に対するものであればいい、とハジメは思った。
けれど女の子が、彼女を一瞥したのが判った。
心を刺した刃が、氷から業火に変わった。ハジメは怒気をこめて女の子を睨みつけた。
「……っ」
女の子は
しかし男子たちは、
――結局、ハジメは、
「あぁ……痛い、すっごく痛い……」
ボコボコに
身体のいたるところが痛み、痛まないところを探すほうが
けれど、
「ごめん、ごめんね……っ!」
ハジメはこの痛みを誇らしく思った。
彼女の泣き顔を見上げ、あれ以上の傷が
「
ハジメは泣きながら言った。「泣きながら言われても説得力ないよ」と、彼女も泣いた。
しばらくの間、二人でただただ泣いていた。
これからどうなるのかは
不思議と怖くはなかった。
もし、また彼女を
にもかかわらず。
思いの火は、
大好きなあの子との別れは、突然訪れた。
――
誕生日を明日にひかえたハジメは、
今年はどんなプレゼントを
そんなことを考えるだけで楽しく、当日までまだ一日あることに
「嬉しそうだね?」
「うん」
隣を歩く彼女に
「じゃあ、また明日ね」
「うん、また明日」
途中で彼女と別れ、真っ直ぐに
この日も、そんな当たり前の日常を
それなのに、
「え……?」
いざ自宅に
土間には不自然に光が
何が起きているのか解らなかった。
サプライズ――ではないはずだった。誕生日は明日だし、こんなむちゃくちゃなサプライズはないだろうと子どもながらに理解する。
じゃあ――と、考えてみても解らない。なにか良からぬ事が起きたのだけは解った。
近所のおばさんなら、この時間にもいるかもしれない。それとも交番? そのほうが
胸が
けれど母のことを
ハジメは穴から家中にとびこみ、
「お母さん!」
室内を見渡すと、母はすぐに
ハジメはほっと胸を
一方で、ますます玄関の異変に
「お母さん」
いや、それ以前に、
「ねぇ、お母さん」
なぜ母は振り向かないのだろう?
廊下をどたどた踏みならし、
どうして――。
恐るおそる
一瞬の安堵がこみ上げる。
最悪の事態には
なのに母は、やはり振り向かない。ぴくりとも動かない。肩がゆっくりと上下して
なんの反応も、
「グルルル……ッ」
「えっ」
その時、視界の
ダイニングキッチンに、黒い炎のようなものが揺らめいた。
ハジメはそれを
キッチンの
ゆっくりと。
現れたのは――犬だ。
「ひぃっ……!」
しかし、それは尋常の存在ではない。
色は夜を
デザートを前に
「あ、あっ……」
ハジメは後ずさろうとして、尻から
と同時に、
びちゃ。
嫌な音がした。
しかし飛び
フローリングを
顔にかかった髪の隙間。そこから
決して
「グルルル……!」
ハジメは確信した。
こいつが母を殺した
そして、あの子の前に立ちはだかったように、勇気の湧いてこない自分に
母という
この心はもう
異形を前にした
だが、その恐怖さえも、
捨て鉢な気分がこみあげる。
もうどうにでもなれと思う。
母はいない。大好きな母はいない。
間もなく自分も同じになる。母と同じ虚ろになる。
それを食い止める
ああ、明日は誕生日。プレゼントは何だったろう。
知ることはできない。
その日は来ないのだから。二度と来ないのだから。
「あ、ア」
最高の一日を
幸せになりたかったのに。永遠を、永遠を感じたかったのに。もうこの胸に、それは、それはない。
だから、だからもう、どうにでもなれ。
たとえ、たとえ誰かの幸せを奪ってでも、それで待ち
「どうにでも、な、れ……アア!」
それからあと、ハジメの目はいかなる光も映さなかった。何も聞こえなかったし、何の
ただ
激しく傷つき。身体中が痛んだ。
けれど、ハジメには力が
だからこそ、あの
ハジメは家をとびだした。
そして、すぐに見出した。
ハジメはその
まるで、砂漠のなかで口に
間もなくハジメは、匂いの発生源へとたどり
くぐもった悲鳴を聞いたような気がした。
爪を振りあげ、しかし
ダメだ。
ハジメは思った。
幸せになりたかったからだ。
奪われ、
この子だけは、傷つけてはならない。
「ア、アア、マタ、アシタ、ネ……?」
彼女は、光だから。この世界を淡く、けれど
心の
「……ないよ」
すると、何も聞こえないはずの暗闇に声が聞こえた。大好きなあの子の声だった。ひどくくぐもって、全部は聞き取れなかったけれど。肌が
ハジメは耳をそばだてた。
「いっくん、だよね? 辛かったんだね」
いっくん。彼女だけが、呼んでくれる名前。
「
心の中で犬が
一方で、闇の外からは、震えてか細い穏やかな声が聞こえる。
「あたしもいっくんの気持ち分かる……。だって同じだから。
同じ?
ああ、同じだ。盗ってしまえばいいと思うのだ。そうすれば幸せになれると。失くしたものを取り戻せると思うのだ。
「でも、いっくんはそんなことする必要ないよ。きっとダメなの。戻れなくなっちゃう。幸せはオイシイから。いっくん、帰ってきて……」
彼女の声の震えは大きくなる。声量は小さくなっていく一方なのに、
「大丈夫。何があったのかは知らないけど。いっくんは
異形と
かすかな
「だって、だっていっくんは、あたしのヒーローだから!」
違う。違う。
ハジメは訴えた。
何度もそう訴えた。
声にならない声で。
だって、
「ヒー、ロォ、ハ……」
君のほうだったから。
ハジメにとってのヒーローは、間違いなく彼女だった。
ヒーローだって、いつでも強いわけじゃない。一回も負けないわけじゃない。だから、ピンチに陥った彼女を、たまたま、たった一回
「……あたしはここにいるよ。ずっとここにいるから……ねぇ、お願い……!」
それでも、彼女にそう
自分のようなちっぽけな人間が、彼女のヒーローになれるなら。
「ア、アア、ッ……!」
なりたい。
「目を覚ましてよ……。いっくんは」
なりたい。ヒーローに。君が
「あたしのヒーローなんでしょ!」
なりたいと。
「ア、ああ……っ」
重いまぶたをこじ開けた。
瞬間、
眼前の濡れた
茜の景色に、ハジメは明日を見る。
今度こそ人肌に回された彼女の感触とともに、また生きていくのだと確信した。
「……おかえり、いっくん」
「ただいま、
そして、この世で
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