十六章 絶望との対峙

 戦況は絶望的だった。

 蟷螂とうろうおのは砕け、〈籟魔パズズ〉は現れず、銃声は沈黙する。


 相棒スモーカーの生死もさだかではない。

 むしろ、〈奈落の霊牙サーベラス〉の餌食えじきになったと考えるのが自然だろう。


 奴は自らの濃霧が充満じゅうまんした空間ならば、どこにでも死のあぎとを現出できる。自らの爪牙そうがひらめかせることなく〈雌蟷螂エンプーサ〉を喰らってみせたように。


「……」


奈落の霊牙サーベラス〉を迎え撃てるのは、今、〈死神グリム・リーパー〉しかいない。


「ガァ……ッパ」


 わらうように、三つ首の異形いぎょうみだす。タイルの床がくだけ、蜘蛛くもの巣じみた亀裂きれつをきざむ。


 それと同時、〈死神グリム・リーパー〉の足許で粒子が泡立あわだった。

 膨張ぼうちょうし研ぎまされる牙。

死神グリム・リーパー〉は側転で口腔こうこうを脱する。

 一拍遅れて閉ざされる顎。幻のごとく霧散むさんする。


 顎の出現から攻撃までにはタイムラグがある。かわすのはそう難しくもない。

 だが、この咬撃こうげきのがれながら本体をたなければならない。


奈落の霊牙サーベラス〉は、さらに距離を縮める。

 め込まれれば、長くはもつまい。


死神グリム・リーパー〉は白犬ホワイト・ドッグ支局へ増援要請を送るべく、通信チャンネルを切りえる。


 ところがその時、粒子の霧の狭間はざまで紫がかった煙が身悶えた。


『こちら〈紫煙スモーカー〉。増援要請が受諾じゅだくされた。それまで持ちこたえろ』


 無茶を言う。無事を確認できたかと思えば、これだ。

 次なる虚空こくうの牙をかわし、〈死神グリム・リーパー〉は地面にころがった警棒へ馳せた。

 得物えものをとり戻し、伸縮機構に異常がないのをみとめるや湾曲わんきょくしたやいばを生成する。


「こちら〈死神グリム・リーパー〉。サポートは可能か?」


 相棒バディの無事に安堵あんどすることもなく尋ねる。

 無論〈紫煙スモーカー〉からかえる言葉にも、感情の亢進こうしんは感じられない。


『不可能だ。ターゲットから攻撃を受けている』

「……」


 だろうな、という一言はみこんだ。

 やはり、実質的には一対一の構図こうずか。増援が来るとはいえ、もちこたえられるかどうかはわからない。


 このまま〈奈落の霊牙サーベラス〉が攻めてこなければのぞみはあるが、


「……パアアァッパッ!」


 望みにはんして怪物は地をった。

 体高およそ四メートルの巨躯きょくからは想像もつかない速度。

 彼我ひがの距離は、疾風はやてが翔けるがごとくめられる!


「……!」


死神グリム・リーパー〉は直撃を避けるべく真横にスタートをきる!


「シャアッグ!」


 それぞれ独立した三つ首が空間を圧する。

 回避は寸毫すんごうの差。

 ひるがえったコートのすそは牙に裂かれ、襤褸に変わる。


 巨大な体躯たいくゆえに、敵は小回りがかない。

 にもかかわらず、〈死神グリム・リーパー〉は足を止めなかった。

 異形の背から振りおろされる車輪が。

 へびのように弧をえがく長尾ちょうびが。

 縦横に襲いかかってくる!


「……ッ」


死神グリム・リーパー〉は前転。

 かろうじて攻撃範囲を逃れた。


 奈落戦場に満ちた濃霧は、なおも獲物えものを追いつめる。

 足許からき立つ瘴気の牙。

死神グリム・リーパー〉はこれを、鎌を下向け受ける。


 ギンッ!


 ざされる顎を刃がくい止める。

 咬撃は一瞬。獲物を喰らいそこね霧散する。


 その時、〈奈落の霊牙サーベラス〉が旋回せんかい。長尾が口惜くちおしげに地を打ち、体毛はほのおのごとく逆立つ。


 見開かれる六つの暗黒の睥睨。

 ふり返った〈死神グリム・リーパー〉は即座そくざに身構える。


「アア、コナアアアアァアゴッ!」


 もたらされたのは悲鳴じみた咆哮ほうこう

 突如、背から生じた二本の輪が上向きに打ち合わされた。

 双輪そうりんの間にく、火花。

 直後、触手の車輪がうなりだす。

 濃霧をとりこみ回転をはじめた!


 なんだ……!


 四年前の戦いでは見られなかった挙動きょどうだった。

 双輪の触手が大地と濃厚のうこうな口づけをわし。

 血のごとく火花が散る。

 異形の巨躯が、わずかにきあがる――!


 ……まさか。


 刹那せつな、高速回転する双輪が、巨躯を疾風のなかへと送りだす!

死神グリム・リーパー〉はすでに駆けだしている。

 しかし、


「……!」


 殺戮列車からは逃れられない!


 きざまれる二条にじょう烈火れっか

 驀進ばくしんした黒き塊は、地上の蝿をつぶした。

 間もなく、およそ十メートル離れた地点にまれた影から、粒子が剥落はくらく

 ち満ちる濃霧は、〈死神グリム・リーパー〉の転移てんいを瞬時にぎとる。


 ガゴゴゴゴ!


 双輪が大きくかしぎ、急ターン。

 タイルをえぐり取り、再度驀進!


 さらに正面、瘴気がわき立つ。

 前後から迫りくる牙!


「……くっ!」


 こめかみに伝う汗の感触が、えあがるようにするどくなる。脳内にぜる熱。思考は加速する。

 退路は側面。解りきっている。

 だが、そこは死の軌条。〈奈落の霊牙サーベラス〉の直線。死線しせん


 瞬時に牙を乗りえるのは?


 無理だ。

 鎌でふせいでも同じこと。転移能力の再動さいどうも間に合わない。


死神グリム・リーパー〉は死を確信かくしんした。


 その瞬間、秒針が無慈悲むじひに一をきざんだ。


死神グリム・リーパー〉は足掻あがく。

 側転をうち、牙を躱す。


 即座に鎌をたてに。ダメージを最小限にらす。

 望みをたくせるのは、もはや運しかない!


「ガッ!」


 ところが鎌の向こう、烈火に燃えたつ双輪が、ふいに動きを止めた。

 四本の足が地をふみ砕き。

 触手が虚空こくうを薙ぎ払った。


 ギャリッ!


 とどろく銃声と摩擦音。

 車輪に小さな火花がともり、ほんの一瞬間、濃霧の一部をしんえんに切り抜いた。



――



死神グリム・リーパー〉の無事を確認した〈柘榴グレネード〉は、あらい息をつきながらディスプレイの倍率を通常にもどした。


奈落の霊牙サーベラス〉の奇襲きしゅうを受けた〈柘榴グレネード〉だったが、すぐさま足場から飛び、直撃ちょくげきはまぬかれていたのだった。牙のかすめた上腕じょうわんからは、今なお出血が続いているものの致命傷ちめいしょうにはいたらない。


 それよりも問題なのは、背部のコードをきず付けられたことだ。倍率調整機能にこそ障害は見られなかったものの、各種計器、通信機能には致命的な障害しょうがいしょうじていた。


「……」


 地上をける〈柘榴グレネード〉の進路上に、瘴気があふれだす。

 横跳びに躱すも、


「……っ」


 かみ一重ひとえだ。

 身体はおもく距離が稼げない。

柘榴グレネード〉は決死の覚悟で肩に手をやった。


邪魔じゃまだ」


 パワーユニットごとヘッドギアをぎ捨て、ライフルも廃棄したのである。

 牙を避けつづけるためには、ライフルもパワーユニットも邪魔だった。もはや長距離射撃にたよることはできないが、体勢を維持いじできない以上、狙撃に拘泥こうでいするのも賢明けんめいではない。

 

 メインウェポンをはいしようと、勝機しょうきが潰えたわけではない。


柘榴グレネード〉は今、黒い霧におおわれ、一層不気味さを増したお化け屋敷前を通過つうかする。

 ターゲットはすでに肉眼で視認しにんできる位置にあった。

 ミラーハウス入口から湧きだした瘴気の牙を避け、〈柘榴グレネード〉はいよいよ大腿だいたいホルスターにおさめられた拳銃を抜く。


 スナイパーライフルの弾丸を転用てんようすることこそできないが、拳銃規格にあった弾丸も事前に用意してある。

 弾数は六発。予備弾倉マガジンもない心もとなさはあるが、一発でも命中すれば火力のうえでは不足ない。


柘榴グレネード〉はさらにターゲットとの距離をめ、〈死神グリム・リーパー〉にびかかる後ろ姿をとらえた。


「ガアアァァァ……」


 すると、亡霊じみた威嚇いかくの唸りとともに、車輪の触手が射線しゃせんへだてる。

柘榴グレネード〉は拳銃を構えるが、


「……」


 ちはしない。触手の先端はおおむね硬質こうしつで銃弾さえもはじき飛ばしてしまう。このまま引金トリガーをひいても無駄撃ちになる。


 だから、これでいい。


 奴が拳銃を警戒することで、触手による多段攻撃は制限せいげんされる。〈死神グリム・リーパー〉は格段にたたかいやすくなる。後衛担当リアガードとしての役割とは、直接金星をあげることにこだわらず、部隊を勝利へと牽引けんいんしていくことにある。


 ターゲットとの間に、つねに遮蔽物をもうけながら〈柘榴グレネード〉は立ち回った。


雌蟷螂エンプーサ〉は死んだ。〈紫煙スモーカー〉の生死も定かでない。だが〈死神グリム・リーパー〉が生き残っている以上、増援の望みはあるはずだ。


 このまま奴の猛攻もうこうに耐え続けていれば、いずれ希望増援はやって来る。

 そうしんじ、奈落の牙を避けた直後だった。


「ゴ、ゴゴ……ゴメン、ナサイ。カオ、カオ……」


 ターゲットが不明瞭ふめいりょうな声をあげたのは。

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