十五章 奈落より出でし牙

柘榴グレネード〉のメットは狙撃用に特化したオリジナルモデルだ。

 フルフェイスタイプでなく、目許までをおおうヘッドギアタイプ。後頭部から伸びたコードは、各種計器を内蔵ないぞうした背嚢はいのう型パワーユニットと連結れんけつされ、無機質な毛髪もうはつのごとく束をなす。


 ディスプレイの右上端には、リアルタイムで気温、気圧、湿度、風向き、風速が更新こうしんされ、照準十字線レティクルはAIの自動処理しょりによって最適化される。また各種表示、倍率調整は受信じゅしんした脳波によって識別しきべつされ、手動操作を必要としない。通信チャンネルの切替もしかりだ。


 彼は今、火山をしたアトラクションの頂上に粒子の足場を構築こうちくし、伏射プローン姿勢をとっている。ライフルの先台フォアエンドを支える二脚バイポッドの固定も粒子によるものだ。


 しゃかくを充分に確保かくほでき、敵の攻撃範囲内から大きく逸脱いつだつした位置取り。遮蔽しゃへい物こそ少なくないものの、狙撃ポイントとしては悪くない。


 だが〈黒犬ブラック・ドッグ〉討滅において狙撃手スナイパーという存在は、重要視されず不利ふりな立場にある。敏捷びんしょう性に長ける犬を狙撃するのは、そう容易よういなことでないし、ほとんどの場合において戦いは早急さっきゅうに決着がつくからだ。まして、殺傷力に不足ないたまを生成するにも多大な時間をようする〈柘榴グレネード〉は、一度も引金トリガーをひく事なく戦場を後にするケースが少なくなかった。


 しかし今回のターゲットは〈猟犬ハウンド〉である。

 長期戦はけられぬ相手であり、単に的として大きく当てやすい。

 そして攻撃力に特化した能力の特性上、たった一撃いちげきでも当てることができれば、それだけで決着ゲームエンドにもちこめる可能性は高かった。


 現に、塵芥じんかいの膜をやぶり姿をあらわした〈屍肉喰らいスカヴェンジャー〉は、みじめなものだった。着弾した横腹から背までが半月型に大きくえぐれている。錐型追加肢オプションは根元からたれ、体軸たいじくにははっきりとブレが見てとれる。


 とはいえ、粉塵によってターゲットの位置を正確に把握できなかった以上、先の命中ヒットが運にっていたのは否定できない。

 体勢復帰をたした今、致命打クリティカルヒットを狙うのが絶望的なのも確かだ。


 数百メートルはなれた地点まで粒子の目が行き届いているのは、さすがに予想外だった。槌が弾丸をはじき飛ばした事から見ても、こちらの指先の動きまでまれているのはあきらかだ。


 それでもまだ役割をうしなったわけではない。

 狙撃手スナイパーの存在は、それだけで牽制となる。

 戦況せんきょう悪化あっかする前に、別の標的――二体目の〈猟犬ハウンド〉にも対処しよう。ひとりで討滅まで果たせずとも足止めになれば充分だ。


紫煙スモーカー〉の寄越よこした情報をたよりに、〈柘榴グレネード〉は視野をめぐらせた。


「……」


 それはほどなくして見つかった。

 戦場から百メートル以上離れた地点ちてん

 回転ブランコの落とす影の中だ。


 鈍重な足運びで前進し、二本の触手を波打たせた巨大な異形いぎょう

柘榴グレネード〉はメットの倍率を拡大かくだいさせる。


 触手は環状。環をむようにして、ホイールのような部位ぶいが確認できる。三つある頭部も追加肢オプションの類か。尾は一本だが、体長の半分ほどの長さがある。およそ二メートルといったところ。異様いように長い。


 せんでは未確認の〈猟犬ハウンド〉だ。

 詳細しょうさいなデータが欲しいところだが、能力が確認されるまでは期待しないほうがいいだろう。


 相手が何者であるにせよ、やるべき事は決まっている。

柘榴グレネード〉は冷静れいせいに狙撃体勢をととのえる。


 異変に気付いたのは、その最中。

 視覚倍率の調整に集中していたときだった。


きりが――」


 ここにまで及んでいない?


 仙緒グランドパークの敷地内は今、大部分が黒い霧に覆われている。黒い粒子ダークマタ由来の霧だ。数分前から、その濃度はいや増していた。

屍肉喰らいスカヴェンジャー〉の拡散粒子――とばかり思っていた。こちらの動きは確実に読まれていたから。


 だが、違った。

 奴のは、他の〈黒犬ブラック・ドッグ〉と同じだ。拡散できる範囲はんいにこそすぐれていても、濃度に違いはない。視覚に影響を及ぼすほどではない。


 戦場をフォーカスしていた所為せいで気付かなかったが。

 黒い粒子ダークマタの濃霧は、今なお拡がり続けている。


 だとすれば、発生源として考えられるのは一つだ。

 もう一体の〈猟犬ハウンド〉しかあり得ない。


柘榴グレネード〉は怪訝けげんに目をすがめた。


 二体目の〈猟犬ハウンド〉出現がげられたのは、つい先程ではなかったか?


「いや……」


 彼はすぐに、その前提ぜんていが間違っていると気付く。

紫煙スモーカー〉は〈屍肉喰らいスカヴェンジャー〉の足止めのため、索敵に集中できていなかったはずだ。そしてこの場に、他に索敵能力に特化した〈虚無エンプティ〉はいない。

 パーク内で待機たいきしていたはずの〈籟魔パズズ〉が今なお姿をあらわさないのも――、


「つまり」


 二体目の〈猟犬ハウンド〉が、報告より前に、すでに出現していたからだ。


柘榴グレネード〉はその時、初めてあせりという感情を知った。

 照準十字線レティクルかさなった〈猟犬ハウンド〉を睥睨へいげいしながら。


 引金トリガーをひこうと力をこめた。

 それとほぼ同時だった。


「……!」


 三つの頭が、一斉いっせいにこちらを向いたのは。


 六つの深淵しんえんの眼差しが、

 彼の周囲にまで、濃霧が及んでいた。


 首筋がしびれたように粟立あわだつ。

 とっさに粒子を放出。簡易かんいな索敵網を展開。

 その時、彼の粒子は、背後の異物をみとめた。


「……ッ!」


 ふり返れば、闇があった。

 奈落ならくへのとば口があった。


柘榴グレネード〉の血肉に、巨大なあぎとらいつく。



 ――



「ズブブブブ……!」


 蟷螂の鎌が眷属けんぞくの爪を受けると同時、〈死神グリム・リーパー〉もまた別の眷属と打ち合った。


 みこみがあさい。

 爪牙そうがち切るにいたらず、たがいに衝撃でのけり相殺。


 眷属は着地時のエネルギーをすぐさま跳躍力に変換へんかんする。

 人ならざる異形いぎょう敏捷びんしょう性がなせるわざ


「……ぬっ!」


 戦闘機械として生きてきた〈死神グリム・リーパー〉も、そう易々やすやすとはたおれない。

 しかし彼の得物えものは大鎌。至近距離での間合いを得意としない。必然、防御をいられる。


「ガルゥア!」


 みぎあしひだりあしみつき――。

 凄まじい連撃がおそいくる。

死神グリム・リーパー〉は柄で的確に受け流すが、じりじりと後退を余儀なくされていた。


 かわすことはできた。

 だがここで打ち合いをこばめば〈雌蟷螂エンプーサ〉が危ない。眷属の後ろからは〈屍肉喰らいスカヴェンジャー〉もせまってくる。二体目の〈猟犬ハウンド〉の存在も看過かんかできない。戦況が悪化せぬうちに、なんとか奴らの注意を、こちらへ引き付けなければ――!


 しかし反撃の糸口をつかめぬまま、次の一撃がさらに〈死神グリム・リーパー〉を後退させる。

雌蟷螂エンプーサ〉のいるさくまで、もうさほど距離がない。ここは多少無理をしてでもめにてんじるべきでは――。


 そう思われた時だった。


「ズブブブブ……!」


 視界のすみを黒い異形がけた。

 一対いっついの鎌を振りあげ飛翔ひしょうする蟷螂が。

 さらに反対側からも、奇怪きかいな羽音が反響はんきょうする。


「ズブブブブ……!」


 背後から、頭上から。

 いたるところで羽音がこだまする。

 空白をめる。視界を埋める。

 数十体もの鎌のれだ!


「ガアアオゥ!」


 対峙たいじした眷属が、無数の鎌にさらわれたのは一瞬だった。

 蟷螂の発達はったつした大顎がバリバリと漆黒しっこく肢体したいを喰らっていく。


死神グリム・リーパー〉は〈雌蟷螂エンプーサ〉を一瞥いちべつする。


 彼女は満身まんしん創痍そういの身でありながら、次々つぎつぎと分身を生成していた。

 ひたいに脂汗をにじませ、傷口は無理やり黒い粒子ダークマタで止血して。

 いなごの大群よろしく蟷螂の大群が、真正面から〈屍肉喰らいスカヴェンジャー〉へと襲いかかる!


「「「ズブブブブ……!」」」


死神グリム・リーパー〉もこれに続いた。


「ゲエエエエェエエエェエッ!」


屍肉喰らいスカヴェンジャー〉は応戦する。

 鉤の触手を打ち振り、やじりの爪で群れを裂く。

 次々と黒が霧散むさんする。かくとなった血がこぼれ、赤黒の雨がる。

 それでもなお蟷螂たちは、その鎌で触手にとりつき顎をひらく。数でとりかこみ肌を裂く。


死神グリム・リーパー〉はふところへとびこむ。その首にねらいを定めながら。


「ゴォアアアァアアアアァアアアオォォン!」


 しかし、そう容易よういに事ははこばない。

屍肉喰らいスカヴェンジャー〉は、その場で四肢ししを振り乱し、ところ構わず牙を突きたて、三本の尾をいだ。


「……ッ」


死神グリム・リーパー〉は後退を強いられる。やはり正面からめるのは無理がある。首をるなら上からだ。


 だが、ここで能力を使用すべきではない。

雌蟷螂エンプーサ〉に重傷をわせたプレス攻撃を繰りだされれば回避手段は他にない。

 弱点を狙うに、残された道筋みちすじは一つしかなかった。


「ズブブブブ……!」


 今、かたわらを通りすぎる蟷螂へ、


「……」


死神グリム・リーパー〉は飛び乗った!

 刃を解除かいじょし、警棒はホルスターへ。蟷螂の長い首へ腕をまわし、飛ぶに任せた。


 有象無象を薙ぎ払い、去来きょらいする鉤。

死神グリム・リーパー〉は躊躇ちゅうちょなく蟷螂を乗り捨て、別の蟷螂のあしつかむ。


「ゲラァ!」


 つづけてわにのように細長い顎が襲い来る!

死神グリム・リーパー〉はあえて手を離した。落下し身をよじった。


 額すれすれの位置を牙がかすめた。


 眼下に、その身を受けとめるあらたな蟷螂。

 翼に衝突し姿勢をくずすも〈死神グリム・リーパー〉が体勢をたて直すには充分な足場になり得た。って、さらに上へ!


 警棒を抜き、大鎌を再生さいせいする。

 頭上に飛来ひらいした蟷螂の鎌に、己の大鎌を噛み合わせる。

 とたんに蟷螂の姿勢が前傾ぜんけいする。そのいきおいでもってちゅうへ反転。蟷螂の頭部を踏み、〈屍肉喰らいスカヴェンジャー〉の肩へ飛びついた。


 漆黒の毛皮へ大鎌の刃を突き立てる!


 ところがその時、〈屍肉喰らいスカヴェンジャー〉の沈黙した槌型触手が、突如とつじょ息を吹き返した!

 下からすくい上げるように迫る!


死神グリム・リーパー〉は空いた手を触手の付け根へむけた。

 たちまちそでぐちから宙を馳せる銀光ぎんこう。触手にワイヤーフックが絡みつく。


 大鎌は手離し。

 きあげ機構きこうで空を舞う!


 背後で剛撃ごうげきが天をく。

死神グリム・リーパー〉は触手へと引き寄せられる。

 手をかざし、粒子を編む。生ずるは湾曲わんきょくの刃!


「ゲェアッ!」


 しかし触手の後ろから、尾の一本が螺旋らせんをえがき迫る!


 メットの奥。瞠目どうもく

 接触。

 矮小わいしょうな人の体躯たいくは無残。

 異形の尾につらぬかれ。

 爆散ばくさん


「……」


 そして〈屍肉喰らいスカヴェンジャー〉の背後。

 バサリと音をたてロングコートがひるがえった。


 爪牙そうがに、触手に蹴散けちらされた蟷螂がおくれて死を認め、次々と散っていく。ふたたび血の雨が降り、あたりを赤くめあげる。


 そのいってきが肌へみたように。

 突如、〈屍肉喰らいスカヴェンジャー〉の体毛がぞわりと波打った。


「ギィィリャアアアァアアアアァアアッ!」


 異形の慟哭どうこくとともに、触手の一本が、根元からおびただしい粒子の血をいた。

 天へ向けられたまま槌が戦慄せんりつした。蒸発する輪郭がえ尽きるように消えていく。


死神グリム・リーパー〉は異形に向き直る。

屍肉喰らいスカヴェンジャー〉の体毛が燃えたつようにうごめいた。噛み鳴らした牙から、ギャリギャリと憤怒ふんぬこだました。


「アアア……ググ、ク、ソガァ……!」


 人語のようなうなりとともに、最後の触手が激しく地を打った。


「グラァ……?」


 しかし臨界に達した殺気は、突如、沈黙した。

 波紋を打つように体毛が震え、やがてギャラギャラと笑うように鳴きはじめた。三本の尾が縦横にふり乱され、漆黒の渦を描いた。


「ゾォガ、ゾッガ、オバエェ、オバエガァ……ギ、ギギャ、ザバアビロッ! ゲゲ、ゲッ、ゲェエエエリャアアアァアアアッ!」


 耳をろうする嗤いだった。おぞましい哄笑こうしょうだった。戦意とは別種の緊迫が〈死神グリム・リーパー〉をその場にいつけた。


 直後、〈屍肉喰らいスカヴェンジャー〉が鏃の爪で地をきかけ出した。

 三本の尾で黒ずんだ霧を巻きあげながら、〈虚無エンプティ〉たちから遠ざかっていく。


「……逃がすか!」


死神グリム・リーパー〉は我に返った。


 ここで。ここで逃がすわけにはいかない。仕留しとめなければ、あれは間違いなくこれからも人の精神こころらい続ける悪だ。

 たとえその正体しょうたいが、一時を共有きょうゆうしたクラスメイトなのだとしても。

 生き残った蟷螂とともに〈死神グリム・リーパー〉は、鏖殺おうさつの女王へとどめを刺すべく走りだす。


 ところがすぐに足をとめた。

 見る見るうちに〈屍肉喰らいスカヴェンジャー〉の背中は遠ざかっていくというのに!


「まずい」


 だが、いたし方ないことだった。

死神グリム・リーパー〉は、見てしまったのだ。


 遠方から、悠然ゆうぜんとあゆむ巨躯きょくを。

 見紛みまがうことなき、環状の触手と三つの首を。


 そして、気付かされた。

 蒼穹そうきゅうをもかげらす、濃霧の意味を。


死神グリム・リーパー〉はとっさに警告をさけんだ。


「逃げろ、〈雌蟷螂エンプーサ〉!」


 しかし、傷ついた彼女が逃げられるはずもなく。

雌蟷螂エンプーサ〉の足許から瘴気しょうきが湧きだした。

 たゆたう漆黒は、たちまち牙を、口腔こうこうを、あぎとを形作った。

 奈落より出でし牙のごとく。


「ゴバ、ァ……ッ!」


 次の瞬間、顎は閉ざされた。

雌蟷螂エンプーサ〉の半身を喰らい、胸から上の部位のこりカスを吐き捨てると霧散した。


「ズブ、ズブブ……」


屍肉喰らいスカヴェンジャー〉を追った蟷螂たちが、力尽き霧散していく。

 それでも〈雌蟷螂エンプーサ〉には、まだかすかに意識が残っていた。

 雄たちを労わるように醜い断面ののぞく手を伸ばした。したたる血は虚空を撫ぜた。

 唇が震え、まなじりから涙。

 滴が風にれば、もう二度と動かなかった。


「……」


 かくして、戦場に残された影は二つとなった。

 虫けらを排除はいじょした三つ首が、終わりなき六つの眼差しで〈死神グリム・リーパー〉をとらえた。


 その胡乱うろんなることを、彼は知っている。

 猟犬ハウンド〉の事を忘れられるはずがない。


 黒い粒子ダークマタの濃霧で冥府めいふの門をひらく、しずかなる暗殺者アサシンは。

 その三つ首と畏怖いふもってこう呼ばれている。


奈落の霊牙サーベラス〉と。

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