十章 翳りの裏の日常に
「んまぁ、気味の悪い話は置いといてさ、
今日は久しぶりに女子三人での昼食だ。
目的はひとつ。
ささやかな嗜虐心と好奇に満ちた茜音と嶺亜の目は、まっすぐに獲物に狙いをさだめ細められる。
「で、永田とはこれからどうすんだよ?」
そう、これは男子
だが主役の薫はというと、あまり乗り気でないらしい。眼鏡の奥の目をぐるぐる回して胸を押さえている。
「あー、しんど。別に学校で話すことでもなくない?」
「いやいやぁ、茜音っちバイトで忙しいじゃん? 気の置けない? 三人で? 話せるのって? やっぱここしかないでしょうよ」
「ないよ、ないよー」
「いやぁ、そやけど……」
薫が「永田くんのこと、好きかもしれん」とカミウングアウトしてきたのは、驚くべき事に、彼が
一目惚れなのかと問えば「そうでもない」と言うし、どこが好きなのか問えば「雰囲気」と
「な、そろそろ聞かせろって、薫っち。永田の、どんなところにィ、キュムキュムすんだよォ……!」
嶺亜の言い回しが
ふと、裕司はこの現場を見ているだろうかと気になった。茜音は一人で弁当をつつく裕司を一瞥、
あ……。
するつもりが、はっきりと目が合い逸らせなくなる。
あちらからも曖昧な微笑が返ってくる。
気まずい……。
けれど、かすかな喜びもあった。ほんの短い、なんの意味もないやり取りだけれど、二人だけに解る合図のようにも思えて。
同時に、薫がその様子を見ていないか
だが杞憂だ。
薫は、嶺亜に質問攻めにされていて、それどころではない。
とたんに
茜音が裕司を
薫の恋心を知りながら、二人きりで会ってしまったこと。親友たちにも話せなかった
友情だと言い聞かせれば自分では納得できることも、客観的に見れば、やはり特別な事のように思えて。薫を裏切っているような気がしてならない。
そして、そんな思いが
心の底で
「――そのへんさ、茜音っちはどう思う?」
「へっ?」
ふいに意見を求められ、茜音はとび上がった。
嶺亜が呆れたように薫から身を離す。
「聞いとけよな、茜音っちー。まだ寝たりないのかよ」
「いやぁ、ごめん。そうかも、昨日
「昼間寝すぎてんじゃねぇの?」
「あっは、そうかも」
薫と目が合えば、ウインクされた。嶺亜の注意を
茜音は微笑んで返すが、胸がちくりと痛んだのを見過ごせなかった。普段どおりの関係をおくり、感謝される、その
薫の知らない
ますます
心が責めているのか。そうやって自分を
あるいは
いずれにしても、茜音の心境は
本音を
この罪を
薫と裕司の関係を
茜音は、思い出をあわく胸のなかにしまい込み。
親友の幸福を第一に考えることにした。
――
『……あたしは、ここにいるよ』
首筋に
おぼろな感触に
『大丈夫。ずっとここにいるから』
親身に訴えかける少女の遠い声は胸にやさしい。
けれど、彼のまぶたに
こんな世界はいらない。消えてしまえばいい。この手ですべて喰らい尽くしてしまえばいいと。
友は
彼は、それらの言葉が何よりも正しいのだと感じる。世界に満ちた、目に見えないたくさんの考えの、どんなに穏やかで
だから目覚める必要はない。
友の言葉に応えられるだけ
友に身を委ね、自分はこの闇にとっぷりと浸かって、永遠に眠っているべきだと。
そう思うのに。
少女の涙は首筋に熱く、手のひらの柔らかさに、
『ねぇ、お願い……!』
自然と瞼がひらいて、その隙間から涙の代わりにぽろぽろと。なにか得体の知れないものがこぼれ落ちていくような気がする。
彼はそれを
少女の声はまだやまない。
『目を覚ましてよ……』
悲痛に震えて、彼の睡魔と
ずっとやまなかった。
そして彼の
彼女の発した魔法の言葉のせいだった。
『――は、あたしのヒーローなんでしょ!』
悲痛な訴えを聞き届けた瞬間、彼の胸の奥で炎が燃えた。
陰鬱にかげった心に、光が射した。
いつか見た大好きなあの子の面影が、笑顔が、
彼は取るものもとりあえず、手中に残ったものだけを頼りに、夢の世界をとびだしていく。
――
「――永田くん?」
演者の記号を呼ばれ、〈
彼女は
「びっくりしたぁ。悪い夢でも見てたん?」
「いや、うん、そんな感じ」
「はは、どっちよ」
狩人としての
これが待機時であれば何も問題はないのだが。
今は任務中だ。任務に
一昨日は〈
〈
「……」
嶺亜と
周囲に〈
ほっと胸を撫でおろすと、薫は視線の先を
「どしたの、なんかあるの?」
「いや、べつに。西園寺さん、珍しく二人と一緒にいないんだなって」
「ええ? なにそれ、ちょっと怪しいなぁ?」
薫がにたりと笑った。光の
「もしかして永田くん、二人のどっちかに気があんのかなぁ?」
そう言って胸に手をやり、微かにそこを
〈
しかし特性に
そもそも〈
それはともかく……。
「うーん、二人のこと、まだよく知らないからなぁ。二人とも可愛いとは思うけど」
「おっ、可愛いのは
「西園寺さんもキレイじゃん」
「あっ、ホンマぁ?」
頬に手をあて身をよじらせる、やたら
「まっ、
「そう?」
「うん。永田くんがマジメやから、ノート
「たまには自分でなんとかしなよ……」
「そういえば部活は決まったんやったっけ?」
今日の薫は、いつにも増して
「ううん。先生から早く決めろって急かされてる。だから、幽霊部員を
「うわ、やる気な! 青春しようや、青春。ウチの部活なんてどう? ユルいよー」
「文芸部だっけ?」
「そうそう。文芸って聞くと堅苦しいけど、べつにそんなことないから。ウチの部はオタクの集まり。
「幽霊部員も受け入れてくれそうだね」
「いや、来んのかい!」
「あんまり時間なくてさぁ」
苦笑とともに返すと、薫は前のめりな
「あ、もしかしてバイト組やった?」
「いや、バイトはしてないんだけどね。家の
「ああ、そうなんや」
薫は
〈
ところが薫のほうは準備に取りかかろうとしない。
「……」
なるほど、無にも種類があるのだと思い知らされた。感情を理解するのは難しいが、〈
嘘とは本心の
薫の表情は、水をかぶった
ややあって我に返った薫は、隣にクラスメイトの顔があるのを見てとると、目を剥いてとびあがった。
「わっ、びっくりした! 近いわっ!」
「あ、ごめん。体調悪いのかと思って」
「いやいや、大丈夫やって。ちょっとボーっとしてただけ」
「そっか、ならいいんだけど」
不可解だった。そこにはやはり嘘の
しかしその真意を
だが、それだけだ。
九条茜音が〈
茜音さえ。
茜音さえ
そのための一瞥だった。
「……っ」
けれど目が合ってしまえば、逸らすことはできない。
一瞬の
合理的な解釈などできず。
ただそのために目を逸らせなかった。
だから胸が痛んだのだろうか。
微笑も苦笑もなく、彼女のほうから目を逸らされた時には。
間もなく始業のチャイムが
日々変わっていく世界に反して、変わらず今日は進んでいく。
――
その夜、茜音から
通話ではなかった。メッセージが送られてきただけだ。
それでも〈
茜音はまた苦しんでいるのだろうか。家出を
胸の奥を
しかし茜音からのメッセージは
『カオちゃんにID教えてもいい?』
それだけだった。
〈
淡白だったはずの自分が、ひどく醜悪なもののように思えた。
濁った水たまりの底に沈んだヘドロのような、静謐な森に打ち捨てられたガラクタのような。あるいは人の魂を喰らう黒い犬のような醜さを自身に覚えた。
何度もなんども返信を書いては消した。どれも納得のいく内容にはなり得なかった。
むろん、最終的に送信した一言も。
『いいよ』
決して彼の望む答えではなかった。
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