九章 屍肉喰らい

類似るいじコードのデータ提供をもとむ」

『不確実な情報は混乱こんらんの元になる。照合しょうごう結果をて』

「……」


大鴉レイヴン〉はみ千切られた腕を黒い粒子ダークマタで止血し、相棒バディの態度にかすかな苛立ちをおぼえた。


 いかに感情の起伏きふくに乏しい〈虚無エンプティ〉と言えど、さすがに死を目前にすればストレスを感受かんじゅせずにはおれないというわけか?


 彼は逼迫ひっぱくした状況だからこそ、あえて冷静な分析をおこたらなかった。


 メットの熱線暗視機能により紫にいろどられた世界では、今、熾烈しれつな攻防がり広げられている。眼前で赤々とえる背中は、救援にけつけた〈転瞬シャッターズ〉の熱源反応だ。

 その正面に、〈転瞬シャッターズ〉の障壁しょうへき鎮座ちんざする。それが何層ものミルフィーユを築き、かろうじて〈猟犬ハウンド〉の猛攻を食い止めていた。が、ターゲットに突破とっぱこそされないものの、膠着こうちゃく状態をやぶる手立てがない。


 ここは立体駐車場五階だ。

 飛行能力をもつ〈大鴉レイヴン〉にとって、閉所へいしょは最悪の戦場だった。〈転瞬シャッターズ〉の障壁によって視界を確保かくほできない以上、強引に飛びだすのもリスクが高い。せめて粒子の触覚機能を用いたいところだが、それも〈転瞬シャッターズ〉の能力によって遮断しゃだんされてしまっていた。


 ここはさらなる救援を待つのが最善さいぜんか。


転瞬シャッターズ〉も端からそのつもりで能力を展開し続けているはずだ。

 だからこそ〈大鴉レイヴン〉は、不測の事態を考慮して、敵の正体を知りたがったのだが。


「照合結果はまだか?」

『急いでいる。しかしターゲットのを把握できない以上、固有こゆうコードの合致がっちは認められない』


 相棒バディはあくまで潔癖な態度たいどを貫くつもりらしい。

 その間にも壁の向こうでは、粘ついた殺気がざわめいていた。


「くぅ……!」


 次の瞬間、駐車場全体が震撼しんかんした。

 大木を割ったような轟音ごうおんが鳴り響く。


 障壁が破壊されたか。

転瞬シャッターズ〉はすぐさま次の障壁を生みだすが、その背中は人体と思えぬほどのねつに赤く染まっていた。えずきだされる、ノイズのようなものは蒸気じょうきだ。


 長くはもつまい。

大鴉レイヴン〉は意をけっし、うしなわれた腕に意識を集中した。

 黒い粒子ダークマタは、物体に固定することでを展開できる。それは人体であっても例外ではない。


「……はぁ!」


 そして、彼の得意とする形状は翼だ。

 たたれた腕の断面。粒子が蝟集いしゅうし形成されたのはよく状のやいばだった。表面にしろがねの光沢がぬらりとう。

 この命ある限り、全身がつるぎだ。〈猟犬ハウンド〉相手となれば、刺し違えるだけの価値はあると、彼は判断した。


「〈転瞬シャッターズ〉、奴をかこめ」


転瞬シャッターズ〉の肩からい蒸気が立ちのぼった。


「仕かけるつもりか?」

「このままでは、こちらがやられる。もう長くはもたんだろう?」

「うむ」

「タイミングはまかせる。一瞬でも奴のを塞いでくれればいい」

「……了解オーケー


 返答がかえるや、〈大鴉レイヴン〉は障壁と平行に駆けだした。先にあるのは防止柵。彼はそれを腕の刃でちきり、一抹いちまつ逡巡しゅんじゅんもなく飛びだした。


「ヌッ……!」


 外は天空。地をはるか目下もっかに望む翼の領域りょういき

大鴉レイヴン〉にとって、それは何よりも信頼のおける友だ。彼の背に、たちまち黒き双翼そうよくが生じる。月光をまとうように表面がぬらりと煌めいた。


 それが二度、三度と羽搏はばたけば、狩人の肉体は月のいざないをうけて天高く夜をう。


 そして自らが月にでもならんとするがごとく、大きくをえがき。

 駐車場へ向きなおった痩躯そうくは、彗星すいせいのごとく落下をはじめた。


 視線の先、まったき漆黒の異形いぎょうを障壁が囲った。

転瞬シャッターズ〉。

 壁がこわされるまでの短い間とはいえ、彼の異能は本体と粒子の連絡をたつ。

 この一瞬間。奴は盲目もうもくだ。


大鴉レイヴン〉は背中の翼を霧散むさんさせ、手足を伸ばし抵抗をへらそた。

 加速する。

 加速し、加速し、加速する――!


 一撃でめる。


 防止柵衝突の寸前。

大鴉レイヴン〉は刃の腕を振るった。

 柵は紙切れのごとく切断せつだんされ、黒き彗星を受けいれた。


 その時、活路かつろもまたひらかれた。

転瞬シャッターズ〉の障壁を〈猟犬ハウンド〉が打ち破ったのだ。


「ヌアッ!」


 衝撃波とともに粒子が散った。

 眼前に闇が吹きつけた。

 刃の腕が空間を十字にいだ。


「グガアアアアアアァアアアッゴ!」


 粒子を固定した肩へ反動。肉にめり込み血をしぶく。

 手応えありだ。

大鴉レイヴン〉は支柱衝突の間際まぎわ、ふたたび双翼を生みだし衝撃を殺した。


 床を転がり向き直る。


 視線の先には。


 黒き異形がたたらを踏むのが判った。後肢うしろあしの一本がぼとりとくずれ、首から血のような黒い霧をく。間もなく首は地に落ち、全身がぜるように霧散した。


「……やったぞ」


大鴉レイヴン〉はよろめきながら立ちあがった。背の双翼も、仮の腕も、快哉かいさいを叫ぶように散った。

 彼は相棒バディの任務完了報告を待った。


「……」


 その胸に、些末さまつな違和感を覚えながら。

 そこに返答は寄越よこされた。


『待て、戦闘態勢を、いや、犬? すぐに、救援ッ、あが、ああぁぁあああぁッ!』


 おぞましい絶叫ぜっきょうだった。

 耳にした瞬間、全身が粟立あわだった。

 そして見た。

 視線の先、犬の霧散した場所に。


「あれは、俺の……」


 腕が落ちているのを。


「なッ、こいついつの間に。ぐあッ、ぎぃ、ぎゃあああぁぁあああッ!」


 たて続けに背後から断末魔だんまつまがあがった。

 はじかれたように振り向けば、いた。


 漆黒の異形が。

 巨大なあぎとをひらき、熱源をふたつに裂いた黒き狂犬きょうけんが。


『……』


 相棒バディからのサポートはない。

 それが惨劇さんげきの答えだ。


猟犬ハウンド〉が地をった。

 その背から生じた、鉤、錐、槌型の触手――追加肢オプションを振り乱しながら。


大鴉レイヴン〉はとっさに背中へ粒子の泉をかせ、真横にとんだ。その足を鉤の斬撃がかすめ血をしぶいた。


「ガアァック!」


猟犬ハウンド〉が奇怪きかいな鳴き声をあげた。まるで甘美なる血の味にったようだった。

大鴉レイヴン〉は宙に舞い、刃の腕をんで身構えた。

 戦況せんきょうを見渡し、


「……っ」


 絶句ぜっくした。

 悠然と振り返るターゲットのかたわら、熱を失っていくにくかいを見た。それがぶるりと震える様を見た。

 粒子をともない、〈黒犬ブラック・ドッグ〉と化していくのを見ていた。



――



『ターゲットはおそらく〈屍肉喰らいスカヴェンジャー〉だ』

「〈屍肉喰らいスカヴェンジャー〉」


死神グリム・リーパー〉は相棒バディの言葉を復唱ふくしょうする。

 闇をふみ、光をこばむように加速しながら。

 平凡な少年の体躯たいくには粒子の輪郭が流れる。闇のシャワーを浴びているかのように。


 しかし黒き人影が次の街灯の明かりを受けたとき、粒子の闇は剥落はくらくした。


 暗視フルフェイスメット。カーボンファイバースーツ。漆黒のロングコート。

 コードネームにたがわぬ冥府めいふよりの使者がそこにいた。


『七年前に誕生した〈猟犬ハウンド〉だ。最後に確認されたのは宇曽うそぶきでなかったはずだが。なんの因果いんがか、こんな所までやって来たらしいな』


「特徴は?」


『鉤、錐、槌型の追加肢オプションをもち、を操る』


にく……どういう意味だ?」


『奴は自らが死をもたらしたものに命を与える。肉片にくへんでも死体そのものでも、奴が蹂躙じゅうりんした命は、そのままかくとなって〈黒犬ブラック・ドッグ〉を生みだす』


「……」


猟犬ハウンド〉は〈仔犬パピー〉とは比較にならない脅威きょういである。奴らは追加肢オプションによって単なる手数の多さを獲得かくとくするだけでなく〈虚無エンプティ〉同様に固有の異能をふるって獲物を狩るのだ。

 また非常に狡猾こうかつでもある。〈仔犬パピー〉のように、無暗に心をわず、じっと闇にひそみ、あるいは気配を殺してしのびより、時がくれば途端に牙をく。

 ゆえに〈猟犬ハウンド〉と呼ばれる。


「それにしても七年。今までなにをやってたのか」


 皮肉にも同い年だ。


『さあな。欲求に忠実ちゅうじつな〈仔犬パピー〉と違って、可愛げのない連中だ』

「……」


死神グリム・リーパー〉は、首肯しゅこうとはべつの沈黙を返す。〈猟犬ハウンド〉であろうとなかろうと、可愛げのある〈黒犬ブラック・ドッグ〉などいない。


死神グリム・リーパー〉は電柱にワイヤーフックを射出しようとして手をとめた。


 聞いたのだ。

 背後でドルドルと重いうなりがねるのを。


 振り返れば、刃のような閃光せんこうが地上の闇をち、疾駆しっくの熱が夜気やきをはらい迫ってくるのが見えた。

 赤い残光ざんこうをひきながら近づく一台のモーターサイクル。騎乗きじょうするのは黒き影。メットの奥にひそんだ眼差しと相棒バディの声がシンクロする。


『乗れ』


 並走は一瞬だった。

死神グリム・リーパー〉は伸ばされた手をつかんだ。車体と自身とを粒子の湾曲刃で固定しながら。


 そして漆黒のモーターサイクルが、住宅街をおおきく抜き去り、国道へカーブしたとき、彼はまるで最初からそこに乗り合わせていたかのように相棒バディの腰へ手を回していた。


 モーターサイクルは急加速する。いまだ光のまばらに散った世界を、音のなかへ置き去りにするかのように。

 左右の景色は幾何学きかがく模様。遠方えんぽうの風景ばかりが存在感をしてゆく。


 そして見えてくるのは。

 輻射ふくしゃ光の帯にでつけられた、巨大な箱型建造物。

猟犬ハウンド〉出現が確認されたショッピングモール、ラバーズだ。


死神グリム・リーパー〉はメットの暗視機能はオフのまま、倍率だけを調整した。敵の正確な位置を、その手がかりを探した。

 それはほどなく明かされた。立体駐車場五階から、頭部を撃ち抜いた弾丸のように、影が飛び出したからだった。

 すぐに〈大鴉レイヴン〉だと判った。背の双翼は、間違いなく彼のものだ。たちまち上空へむけて弧をえがき、屋内へ落ちていくところまで確認できた。


 充分だ。

 倍率を通常に戻す。

 その間にもモーターサイクルは、法定速度をゆうに超過ちょうかし、距離をえぐりぬくように戦場へと近づいていた。


 しかし正面の信号は赤だ。

 今まさに、交差点へ進入するトラックの姿がある。

 ブレーキは間に合わない。仮に間に合ったところで、車上から投げ出されるのは必定ひつじょうだ。

 ところが〈紫煙スモーカー〉は、ブレーキをかけるどころか、獰猛どうもうにスロットルを唸らせた!


「……」


死神グリム・リーパー〉から抗議こうぎの声はなかった。


 気がくるったのか?


 無論、否だ。


 モーターサイクルの直線上。

 そこに蛮勇ばんゆうの答えがある。


 粒子によってりあげられた斜めの円柱。

 死の綱渡りじみたジャンプ台が。


 次の瞬間、狩人かりうどたちを乗せたモーターサイクルは、まっすぐに円柱を駆け上がった。

 大きく放物線をえがき、トラックの頭上を通過つうかする!


 まだ油断はならない。

死神グリム・リーパー〉はホルスターから警棒を抜きはなち伸長しんちょうした。


 間もなく接地せっち

 首の抜けるような衝撃が二人をおそう!


紫煙スモーカー〉は暴れ馬の手綱たづなを放さない。

 しかしスラロームのごとく蛇行だこうする。

 僅かな操舵そうだの乱れが、車体を右へかたむかせる。


 その時、警棒の先端。弧をえがく粒子あり。

死神グリム・リーパー〉は路上に鎌を突き立てた。

 たちまちおびただしい火花が、りゅうの息吹のごとく飛散した。


 その反動をうけて、〈紫煙スモーカー〉は主導権をとり戻す。車軸しゃじくをたてなおし、ラバーズの敷地内へハンドルを切った。


 今やそこに駐車された車はまばらだ。

 モールの内部はほとんど光が失われ、シャッターが下り、平面駐車場にころがった明かりばかりが光源こうげんだった。

 狩人たちは暗視機能をオンに切りえ、平面駐車場を縦断じゅうだんし始める。


「俺はそろそろ行く。ができ次第支援サポートをたのむ」

了解オーケー


 ごく簡単な連絡をおえ、〈死神グリム・リーパー〉は警棒を収納。モーターサイクルから飛びりた。横転して衝撃をころし、モール壁面へ。わずかな凹凸おうとつにワイヤーフックを射出。きあげ機構きこうでとびうつり、それを二度、三度とくり返し屋上へでた。


 とたんに足許から突き上げる衝撃。

 巨大なモールが揺れる。戦場はこの下か。


死神グリム・リーパー〉は障害物のない平地へいちを横切り、スロープを転がるようにけおりた。


黒犬ブラック・ドッグ〉はすぐに見つかった。前肢まえあし一本絶たれ、無様に着地したところだった。天井てんじょうすれすれに、黄緑きみどりの熱源がける。そこに別な二体の異形が追随ついずいした。


死神グリム・リーパー〉は〈転瞬シャッターズ〉の死亡を確信しつつ、悲哀ひあいも逡巡もいだかず警棒を抜いた。


 獣どもをほふるべく踏みこんだ。

 すると、三本足の体毛たいもうが波打った。

 すでにこの一帯いったいは、奴らの黒い粒子ダークマタ充満じゅうまんしていると見て間違いない。空気すべてがやつらのだ。


 三本足が振りかえる。

 後肢うしろあしで地をけり、バネのような力で距離をけずりとった。

死神グリム・リーパー〉は真正面から迎えつ。

 交錯こうさく間際。

 前肢が振りかぶられる。


 しかし敵の肉体には、明確な死角しかくがある。

 接触の直前、欠けた前肢へと踏みこめば。

 爪撃そうげき虚空こくうを薙いだ。

死神グリム・リーパー〉は鎌を振るわず、ただ負うようにして構える。

 それが地から突きたつ罠となる。


 刹那せつな、〈黒犬ブラック・ドッグ〉の胸が刃へとびこんだ。

 すべての足は地面から離れている。もはや、その軌道きどうから逃れることも止まることもできない――!


「ギラァ、ァ……!」


黒犬ブラック・ドッグ〉は己が敏捷びんしょう性をもって、脇腹までを両断りょうだんされた。


 間もなく全身が粒子に爆ぜる。べちゃりと肉塊の落ちる音。


 休む暇はなし。

死神グリム・リーパー〉はクラウチングスタートの要領ようりょうで地をせる。


 一方、〈大鴉レイヴン〉は柱の間を旋回せんかいし、敵を攪乱かくらんしていた。片腕を羽翼に置換ちかんしてこそいるものの、まだしぶとく生きびていた。


 猛追もうついするのは二体の異形だ。

 どちらが〈猟犬ハウンド〉かは自明じめいである。

 一方があきらかに巨大だからだ。背が天井にれんばかりの巨躯きょくだ。


 形態けいたいも〈仔犬パピー〉のそれとは大きく異なっていた。

 口器こうきふんのごとく前方へ伸び、地をつかむ爪の一つひとつはやじりのようだった。尾の数は三本。暗澹あんたんたる体毛の蠢動しゅんどうはさながら燃えるようだ。

 だが、なによりいびつなのは、その背から生じた三本の触手だった。それぞれに先端の形が異なり、鉤爪、針、金槌に似ていた。


 あれが〈屍肉喰らいスカヴェンジャー〉という魔物まもの

 この七年、狩人にらえられることのないまま生き延びてきた憂鬱。

 畏怖いふの象徴のごとき二つ名を与えられた〈猟犬ハウンド〉。


 そして、今ここでほふらねばならぬ絶望だ。


 今、〈大鴉レイヴン〉が〈仔犬パピー〉の背を裂き、紙一重で〈屍肉喰らいスカヴェンジャー〉の鉤を避けた。


死神グリム・リーパー〉はそこへ仕かけた。

 肩に担いだかまを、疾走のいきおいにのせ、


「……ッ!」


 投げた。

 刃は黒き月と化し、ビョウと空を裂いて〈仔犬パピー〉に迫る。


 しかし周囲にはすでにが満ちている。

屍肉喰らいスカヴェンジャー〉が動く。

 錐の追加肢オプションが。

 しもべを守るように弧をえがき、飛来ひらいする刃を一蹴いっしゅうした。

 鎌は虚空こくうを斜に裂き、天井へ突き刺さった。

 ところが〈死神グリム・リーパー〉は止まらない。丸腰のまま突撃した。


「ゲェリャアアオッ!」


 奇怪な咆哮ほうこうが〈死神グリム・リーパー〉を定めた。

 槌型の触手が振り下ろされ、巨大な前肢が夜を削りとる。

 逃げ場を与えぬ十字の構えだ。


大鴉レイヴン〉が支柱を中心に旋回すると同時だった。

死神グリム・リーパー〉の肉体は、異形の前に千々ちぢと散った!


「ギャアッゴォ!」


 直後、〈屍肉喰らいスカヴェンジャー〉は夜にえた。新たな眷属けんぞくを宿し、殺戮さつりくするよろこびに震えたのだった。


 ところが快哉かいさいむなしく、もたらされたはどこにもない。

 黒き肉は霧散。全体を見通すが、頭上に命を感知したとき、すでに弾き飛ばしたはずの鎌が頭上から弧をうち飛来していた。


屍肉喰らいスカヴェンジャー〉は棹立さおだちになり、もう一方の前肢で刃をはじいた。


 すると、その軌道上に〈大鴉レイヴン〉が去来きょらいする。

 彼の背後では、〈仔犬パピー〉がおおきく跳躍。

 今度こそ鳥の肉をらうべくあぎとをひらく!


「……!」


 その時、〈大鴉レイヴン〉が急速ターンし向き直った。

 咄嗟に、刃の腕を口腔こうこうにねじこんだ。後ろ手につかんだのは、〈猟犬ハウンド〉に弾かれた大鎌だ!

 腕からぬらりと光が伝った。鎌に反射し一閃した。

 真横にふり抜かれた月色が、仮初かりそめの腕ごと〈黒犬ブラック・ドッグ〉の頭部を爆散させた。


「グラァオォォォッ!」


 と同時に、〈屍肉喰らいスカヴェンジャー〉が嗤笑ししょうをあげるように吼えた。

 眷属けんぞくへの決死の反撃は、致命的なすきをさらしていた。


大鴉レイヴン〉の背中。

 そこに三本の尾が迫った。


 周囲を紫のけむが圧したのは、その時だった。

 煙が〈大鴉レイヴン〉と尾のあいだに渦を巻いた。

 それがたちまち万の黒き糸を編み、漆黒の支柱をいあげる!


 阻まれる打擲ちょうちゃく

紫煙スモーカー〉によって編まれた柱は間もなく消失したが、鳥は弾丸のように飛翔ひしょうし離れた。


 さらに〈屍肉喰らいスカヴェンジャー〉は、新たな命の灯火ともしびを捉えた。

 防止柵をフックが噛み、影がくるりと宙を舞った。闇色のグローブで柵を破壊した闖入者が戦場の地を踏んだ。


 一方、背中にはわずらわしい虫。

 砕いたはずの肉体を霧散させ、頭上に出現したあの気配が、背中へとび移っていた。


「……」


 三本の追加肢オプションは、それぞれ意思をもったように〈死神グリム・リーパー〉を襲う。

 間断まだんなく隙のない、それでいて死角すらもない正確無比な猛攻もうこうだった。

 ステップを踏み、上体をらし、根元へ踏みこもうとするが、できない。


 だが、これでいい。

 こちらへ注意を引くことで、〈屍肉喰らいスカヴェンジャー〉は仲間たちに追加肢オプションを仕かけることができない。その一瞬は、致命の刃を受けいれる隙だからだ。


 カツンと、地を打ち〈拳闘士グラップラー〉がトップスピードの初速を打ったのは、〈死神グリム・リーパー〉が槌の横薙ぎを跳んでかわしたときだった。


屍肉喰らいスカヴェンジャー〉は背の蝿を牽制けんせいしつつ、肉達磨を迎撃げいげきせねばならない。やじりの爪を剥きだし、叩きつけるように振りおろした。


 しかしその数瞬前、〈拳闘士グラップラー〉の動きを予測した〈大鴉レイヴン〉が、寸毫すんごうの差で衝突をまぬかれ、その足に触れていた。


拳闘士グラップラー〉の肉体は、さらに加速。

 爪の間をい、あごの下をくぐり抜け、ふところへ。

 玉砕ぎょくさいのいきおいで殴りつける!


「ギョアアアアァッス!」


猟犬ハウンド〉の巨躯が衝撃に後退こうたいした。胸から粒子がしぶき、痛みに尾を振り払って支柱を破壊した。


死神グリム・リーパー〉はこれを好機と見る。

 しかし足場となった〈屍肉喰らいスカヴェンジャー〉は安定せず、出るに出られない。

 能力で鎌を呼び戻せば傷は与えられる。触手を断てるやもしれない。

 だがタイムラグを生ずる能力の特性上、己が身を守るすべもなくなる。

 勝機と見るのは早計そうけいか。


「グヌアァ……」


 結果として、その判断は正しかった。

 苦しみに悶えようと、〈屍肉喰らいスカヴェンジャー〉は怒りに我を忘れる魯鈍ろどんの獣ではなかった。


 そのおぞましい巨躯に、激憤げきふんをたぎらせた〈猟犬ハウンド〉はしかし、尾を振るい、追撃にでた〈大鴉レイヴン〉を牽制した。

 距離をとった〈拳闘士グラップラー〉には構わず、ひたと目標を定める。


 鏖殺おうさつの異形が向いたのは、ひしゃげた防護柵である。


 その圧倒的な質量は、夜気を穿ち猛進する!


死神グリム・リーパー〉はなおも向けられる追加肢オプションの殺意をかわす。

 しかし不安定な足場、迫りくる柵に、勝機がついえるのを認めざるを得なかった。

 彼の身体は錐の触手に貫かれて蒸発じょうはつし、一瞬間ののちに、瓦礫の上に影を編んだ。


 煙が渦をまき、出現した柱が〈屍肉喰らいスカヴェンジャー〉を阻むも。

 漆黒の巨躯は足を止めない。

 人の領地りょうちにはっきりと己が足型をきざみ――。


「ジャアアァアアアアッス!」


 抵抗なく柱を破壊せしめた。

 勢いそのままに柵もうち破り、衝撃で天井の一部が崩落ほうらくする。


 間もなく〈屍肉喰らいスカヴェンジャー〉は夜に跳んだ!


 その黒すぎるほどに黒い輪郭が、あおい夜にえた。またこの世に絶望をもたらすことを約束するように。


虚無エンプティ〉たちはすぐさま行方を追った。

 しかし地に吸いこまれた〈屍肉喰らいスカヴェンジャー〉は、ふいに輪郭を縮小しゅくしょうさせると、ごく小さな火花のような熱源を発し闇へと消えていった。

 悪夢じみた逃亡を裏付けるように、〈紫煙スモーカー〉からの通信がある。


『〈屍肉喰らいターゲット〉感知不能』


死神グリム・リーパー〉はその微妙なニュアンスに彼女の集中を察した。

 黒い粒子ダークマタを頼りに遠隔支援にてっしていたのだ。とっさに索敵網を展開する余力など残っていなかったに違いない。


 その後〈虚無エンプティ〉たちは、それぞれの相棒をたのみ、しばし警戒を継続した。

 が以降〈黒犬ブラック・ドッグ〉を感知することはなかった。

 無論、戦場に散ったにくかいもそのまま。

 二度と動きだすことなく、夜だけが更けていった。

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